CASE⑥ 君とハジメテ

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CASE⑥ 君とハジメテ

「今日は……もう少し一緒にいたい。――ダメ?」  付き合って何度目かのデート。 「そろそろ帰ろうか」──そう促して駅の方角へと足を向けた俺の手を、遠慮がちに引きながら俯いた月冴の表情が忘れられない。  含羞の色を滲ませた頬は赤く、海のように揺蕩う瑠璃色の瞳はいまにも蕩けだしそうに潤んでいる。  視線は交わらない──それでも俺の手を掴んでいる指先の震えから、月冴が冗談のつもりでその言葉をかけたわけではないということが、十二分に伝わった。  彼が求めるもの、望むもの。それが〝俺自身〟だということは、深く考えなくともわかることで。じわりと染み入るような感情に突き動かされるように、俺の手を弱い力で掴んだままの月冴の手をしっかりと握り返して、いましがた自分達が歩いてきた方へ道筋を辿り直す。  行き交う人々の喧騒、視界を灼くネオンの光──そんなものに紛れて歓楽街の外れにあるホテルへと、月冴の手を引いたまま隠れるように身を寄せた。  こういった場所にも、多少の流行り廃りはある。  もっとお洒落で今風とでも言えばいいのか──自分はともかく、月冴にとっては初めての場所になるのだから、慎重に選べばよかったのかもしれない。  けれど、彼に引き止められ、なぜそうされたのか、その意図を理解した瞬間、湧き上がる高揚を抑えることができなかった。  だた……一秒でも早く彼と──彼の持つ熱と自分の中にある昂りを綯い交ぜにして一つになりたいと──そう思ってしまったから。    フロントで受け取ったカードキーを通して部屋に入ると、人感センサーが作動して室内が明るくなる。内装はいたってシンプルな作りになっており、壁紙は薄いピンクベージュを基調とした小花柄で統一されている。置かれている家具もシンプルで、二人がけのソファー、ガラステーブル、テーブルの正面に木製のテレビラックがあり上には薄型テレビが置かれていた。すぐ脇は通路になっていて奥まった位置に一枚扉がある。最奥にあるのはトイレと風呂場だろう。ベッドはダブルサイズより少し大きいくらいだろうか。サイドボードの上には調光機と、フロントと連絡を取り合うために備え付けられた電話機と、少量のアメニティが置かれていた。俺にとっては見慣れた機材と光景だ。    このままシャワーを浴びようか、それとも少しくらい〝そういう雰囲気〟を作ろうか。いつになく、忙しなく脳内を駆け巡る思考。  そんな俺をよそに、はじめて訪れた場所に視界をとらわれたままの月冴は、興味深げに室内を見回していた。
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