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「――――いや、別にいいよ。キミが笑ってくれたから。……少しは落ち着いた?」 安堵したかのようなその優しい声に。 その台詞(せりふ)に驚いて、私は顔を上げ目を見開き、カレの顔をまじまじと見詰めてしまった。 あまりにも間抜けな顔をしていたのだろう。 「……鳩が豆鉄砲――――」 そう呟いたカレは、口許(くちもと)に手を持っていって、ふっと笑った。 瞬時にして柔らかくなった、その切れ長の綺麗な瞳に吸い込まれそうになる。 「……」 トクン、と胸が鳴った気がした。 (……な、何?) とても温かい何かにふわふわと包まれたような心地に陥り、私はただただカレを見詰める。 こんなに柔らかく、ぽかぽかとしたナニかに身体全体が包み込まれるような感覚を体験をするのは、初めてだった。 くすくす笑うカレを見ていたら、受験票を失くした時とは違う理由で、何だか一気に鼓動が(うるさ)くなったような気がして、私はすっとカレから視線を外した。 そして、このまま、この親切なカレと一緒に教室に入るかと思っていた。 そうしたら、せめて色々とお世話になったカレの名前を聞いて、再度、御礼を言おうと思った。 すると、カレは、又しても、私には予測不能な信じられない行動を取ったのである。 一言。 「――――じゃ、頑張って」 そう告げるなり、先程一緒に上ってきた階段の方へと(きびす)を返して走り出し、勢いよく駆け上っていったのだ。 「……」 (……え、え?……ええ!?) 一瞬、何が起こったのか分からず、目を見開いて呆然とその後ろ姿を見送る。 (……あのヒト……、この教室――――ていうか、そもそも、この階ですらなかったん!?) 私は再度、自分の受験票を見て、教室のドアのところに張り出されている受験番号の範囲を何度も何度も確認した。 「私の番号、は、ある……」 さっきカレと一緒に確認したし、私が受験する教室が、この教室なのは明らかだった。 ならば、何故、カレはこの教室まで来たのか――――。 (……もしかして、私のこと、教室(ココ)まで態々(わざわざ)送ってくれはったん!?) 私の受験票を持っていたヒトだ。 受験票には受験する学部も受験番号だって、当然、記載されている。 記載されている内容を特に覚えるつもりもなかったとしても、一度見たものを写真を撮るかのように覚えるのが得意なヒトは世の中にはいる。 元々、受験する学部が同じならば、受験会場になる建物は大学側から送られてくる資料で分かるだろう。 あとは、受験番号さえ分かれば、壁に貼られている案内掲示を見て、受験する教室には間違いなく辿り着ける。 ……そう、は。 動揺のあまり未だに手の震えすら止まらず……という状態のまま、間違った受験会場に向かおうとし、これから試験を受けなければならない、という、色んな意味であまりにも心許(こころもと)なく、不安げな私を除いては――――。 「……」 今更ながら、カレが私に対して取った行動が全て私の為だったことに気付いた。 ……受験票も。 ……カイロも。 ……ラムネも。 ……受験会場、までも――――。 こんな状態の私を親切なカレは放っておけなかったに違いない。 口では淡々と抑揚の無い調子で話しながらも、声音は優しかったし、行動は最初から最後まで全て優しかった。 「……」 そこまで考えて、ある重要なことに気付いた。 (……あっ、あのヒト!じ、時間っっ!私の案内までして試験開始時間、間に合うんっ!?) バッと慌てて腕時計を見た。 (……よ、良かった……。開始時間まで、あとちょっとやけど、まだ時間があるわ……) ほっと安堵の息を漏らす。 そして、自分の左手首に着けている腕時計を見ていた私は気付いた。 私の手の震えも、いつの間にか止まっていたことに――――。
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