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※
サークルの友達と遊びに行くと言い、義妹は駅の方へ去った。
「……で、本当のところは何なの?」
「……本当のところって?」
「だって警察が調べたときは鍵は開いてたんでしょ? で、開けたら、中は空っぽで誰もいなかったって。なんで今更鍵なんか」
「その鍵が見当たらなかったかったんだってさ……ちょっと、喉が渇いた」
僕が自販機の方に歩きだすと、妻もついてきて隣に並んだ。
「警察の聴取が終わったあと、彼の母親にも覚えている限りのことは話したんだ。でも、それから家に呼ばれる度に同じ話をするようになってさ。そのうち思い出すのも考えるのも嫌になった」
「じゃあ、本当に十五年振りなんだ……ここ来るの」
「ああ、君の実家の近くって知ったときから、ちょっと確かめてみたかったんだ」
「確かめるって……売り切れねコーラ。さっきのが最後の一本だったんだ」
自販機との距離はまだ六七メートル程ある。僕は妻の視力を再認した。
「警察の報告を聞いたあと頭に浮かんだことがあったんだ。もし鍵を使ってドアを開けたなら……そこには別の世界か広がっていて……なんでもない……ごめん、帰ろうか」
自販機の前に来ても、僕はコーラの下の"売切”の表示だけを見ていた。妻が自分の財布から小銭を出して投入口に入れた。
「サイダーぐらいだね……それで鍵でドアを開けた芳樹君は別の世界に迷い込んだ……てことか。ケンちゃん、前からそういうの好きだったもんね。でもちゃんと理由があったんだ」
ガチャン、と音がした。妻が屈んで、取り出し口に手を入れた。
「ルービックキューブみたいだな、と思ったんだ……あの建物」
「それは聞いた」
「いや、さっきも思ったんだ。あの日と全く同じように。だからそれは、タイルの数もコンクリートの色や幅も、そのまま変わってないってことなんだよ。どういうことかと言えば……」
「ねえ……これもさあ、最後の一本だったよ。ラッキーだね」
"売切”の表示が一つ増えていた。サイダー缶を差し出した妻の表情は、相変わらず優しかった。
「君は飲まないの?」
「私は喉渇いてないし……じゃあ試してみようか」
砂埃が舞う中、サファリハットを押さえながら戻る妻を見て、なんだか救われた気持ちになった。
「鍵が無いよ……敷石に落ちてんのそうかな? 風で外れたんだね」
「よく見えるな……そんなに走ってかなくても……吹き飛ぶなんてことはないでしょ」
「やっぱそうだよー、ほら」
建物の前に行った妻が鍵を掲げて見せたとき、ドアが開き妻が中に引き込まれた。
今度は何メートルくらい先だったろうか。僕は視力は悪い方だ。だが今妻が何かに引っ張られていたのは、ハッキリとわかった。
閉まったドアの前に立ちノブを回してみるが開かない。妻が落とした鍵を拾い穴に挿し込むが、これも回らない。鍵を引き抜いて、もう一度ノブを回してみても同じだった。
これでは鍵もただの飾りだ。穴を塞いでただけの……塞ぐ……。
妻が最初にドアの前に来たときに、開かなかったのは何故だ?
この鍵は本来の役割を果たせない。だが鍵を抜くことによって、穴から外の空気を中に送ることが出来るとしたら……? もしあのときヨッチャンが、今の僕と同じように鍵を引き抜いていたとしたら……。
妻の香水とヨッチャンの汗……この穴は招き入れる人物の"におい”を鍵として、ドアの向こうに届けるための"嗅ぎ穴”だったのだ……。
手からサイダー缶が落ち、シャツに汗が滲む。またドアがゆっくりと開いた。
ああ、ずっと待っててくれてたのか。変わってないな。
日焼けした手が伸びてきて、僕の寝癖を思いきり掴んだ。
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