1日目

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1日目

「こんな遅い時間にどこに出かけるの!」  夜の静けさを打ち壊すように母親の怒鳴り声が聞こえてくる。 「家にいても暇なだけだから散歩してくるだけだよ。別になにも悪いことなんてしないよ」  母親に軽い弁明だけ述べて家を出ていく。後ろでは母親が怒鳴り続ける声が続いているので、どうやら判断としてはあっていたようだ。  ドアを閉めると外は深夜独特の静けさに包まれていた。秋に入ったこともあり空気は涼しく薄着で出てきた僕の体を冷やしていく。だけどその寒さに不快感などなく、むしろ今までの閉塞感から解放された実感がわき心地よいくらいだ。  周りは街灯もなく薄暗く、上空にある月だけが路地をぼんやりと照らしている。今日は満月だと家でみたニュースで言っていたように、月は綺麗な円形で存在感を示している。雲一つない晴天ということもあり異質な存在のように思えた。  人が通らない道を上空にある月を見上げながら歩いていく。こうして天気の良い日は夜中に外に出ることが日課になっている。こうして外に出てあてもなく歩いていると日頃のストレスのことを忘れることができた。それに周りに人もいないので余計な気づかいを考える必要もなかった。  それから三十分近く外を歩いているといつも通らないような公園に辿り着いていた。あてもなく歩いているとは、道にはいくつパターンがあり決まったところをいつもは歩いている。それに気づかないほど考え事に没頭していたのだろうか。 「なんでこんな所にいるんだろう……まあいいか」  特に気にすることなく公園を通過する。だけど夜中の公園にしては不自然な光景が目につき足が止まる。  公園の中央に純白のワンピースを着た女の子が一人で座り込んでいる。真っ暗な公園に浮かび上がる純白な姿は不自然な恐怖感を与えていた。昼間ならさほど不自然ではない光景だが、これだけ夜遅いと事情も変わってくる。  どう考えても厄介ごとの予感しかしないし、見て見ぬふりをして通過するのが正しいのだろう。だけど対極的な存在感を示す女の子になぜかひどく心惹かれていた。  公園に入り女の子に近づいてみる。女の子は僕に気付く素振りもなく、地面をひたすら見つめている。一体何を見ているのだろうとさらに近づいてみると何匹かの猫が彼女の周りに集まっている。どうやら餌をあげているようだ。 「こんな遅い時間に何をしているの?」  こちらに振り返る素振りも見せない少女に声をかける。何をしているのかは一目瞭然だが話のきっかけとして何をしているのか聞いてみる。  ………  女の子は僕の問いかけに返事をせず黙って餌をあげ続けている。もしかしたら聞こえなかったのかもしれないとさらに近づいてもう一度声をかける。周りの猫が僕のことを警戒して少女から離れていく。  餌をあげる対象が離れたからかようやく女の子がこちらを向いてくれた。顔立ちは整っているがどこか印象に残りにくいような顔立ちをしていた。綺麗なのは確かだが、次に会ったら忘れてしまいそうな不思議な儚さを放っている。彼女は何を考えているか分からない表情で僕に語り掛けてくる。 「あなたは今の世界をどう思う?」 「はい?」  いきなり飛んできた意味の分からない質問に思わず素の声が出てきてしまう。 「今の世界なんてみんな自分が一番大切で周りのことは関心を持たない。困っている人がいても自分さえ良ければ平気で蹴落とすようなことばかり。ましてや人間以外のことになると自分勝手なエゴイズムをかざして周りを振り回すだけ。私はこんな世界が嫌い。……あなたはどう思う」  女の子は表情を変えることもなく淡々と話し続ける。その表情からは何を思っているのか読み取ることが出来ない。  深夜の公園で不自然な少女から今の世界について尋ねられる。何からなにまで現実離れしていて訳が分からないが、彼女の問いかけには応えなければいけない気がした。そもそも世界なんて大それたこと考えたこともないが、身近なことであれば僕にでも充分応えられそうだ。 「僕は……君の言いたいことも少しは分かるけどそこまで共感はできないかな。確かに周りは自分勝手かもしれないけどそれを責めることは僕にはできない。僕自身だって自分が一番かわいいし、それに周りに手を差し伸ばせるほど僕には余裕なんてないよ。そんな自分を犠牲にしてまで周りを助けるヒーローみたいな人間はいないと思うよ。仮にそう見える人がいてもそれは何か目的をもった偽善的な行動にしか僕は見えないと思う」  周りの優しさに期待しているような少女に容赦のない持論をぶつける。辛辣に聞こえるかもしれないが僕が思っている本心である。そもそも人間なんて皆、自分勝手な存在なのだ。本当に他者のために自己を犠牲にできる人などいるわけがない。本当にそんな人間がいたら逆になにか狙いがあるのではないかと疑ってしまう。  自分でも悲しくなるくらい卑屈な考え方だが仕方がない。仮に僕が周りのためにと思って行動しても、周りも僕が思っているようにどうせ偽善的な行動だろうと思って僕を疑ったり食って掛かったりするだろう。それなら何もしない方がましである。 「…そう」  女の子は無表情のまま答えた。しかしその声はさっきより少しだけ悲しみを含んでいるように思えた。僕の心の中にある罪悪感がそう聞こえさせているのかもしれないが、その声は僕の心に棘のようなものを突き刺した。 「……今日は満月だね。」  女の子が月を見上げながら呟く。その声にはさっきのような悲しさは感じられなかった。女の子につられて空を見上げると、さっきと変わらない月が夜空に一点存在感を示している。  それから視線を下に戻すとなぜか女の子の姿は消えていた。公園にいるのは僕と数匹の猫だけだった。彼女は一体いついなくなったのだろうか。移動するような音はしなかったし、まさしく音もなく忽然と消えた。  これが僕と彼女の初めての出会いになった。空には満月の月が煌々と輝いていた。
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