月を食う鬼

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 夜は妖の世界だ。人間達はやれ蝋燭だ、提灯だ、明りを灯せと闇に対抗しているようだが、人の生み出す火など毛ほども役に立たない。  この国に人間が栄えて久しいとはいえ、山奥にでも入ってしまえば、未だ魑魅魍魎の領域。無謀な勇気を振りかざした人間(阿呆)など、さっさと自分たちの腹の中だ。――ようこそ、ごちそうさま。  山の中では、まともな光源など天の星明り、月明かりぐらいなものである。  ――いつもの山の中腹、いつもの広場に青鬼が顔を出せば、月明かりに照らされた大岩の上、ちょこんと腰掛けた小鬼がいる。天に向って大口あけて、空中を食んでいる。その様は、なんとも美味そうだ。天を見上げれば、見事な満月。こいつにとっては待ちにまった十五日ぶりの真ん丸お月様。    「よう、赤鬼」  青鬼が声をかければ赤鬼、と呼ばれた小鬼が振り返り、そうして気恥ずかしそうに笑った。  「ああ、青鬼。今日は月がうまい。久方ぶりの満月、腹一杯になれそうだ」  「うむ、良い月見酒になりそうだな」  赤鬼、と名乗ったのは小鬼だ。本当の名前は忘れてしまったらしい。本人曰く、体の色が赤いから赤鬼なのだそうだ。とはいえ、実際は赤と言うよりは赤褐色といった方が正しい。  お前が赤鬼なら俺は青鬼だな、と青鬼は赤鬼に名乗った。無論、こちらも本当の名前ではない。ただ、この小さな鬼が本名を――忘れていたのだとしても――名乗らないのに、自分だけきちんと名乗りを上げるのが気にくわなかっただけだ。  それ以降、この場所において自分たちは「赤鬼」、「青鬼」となった。  そも、お互いが会えるのはこの時刻、この場所でだけだ。赤鬼は鬼の集会にも、鬼たちが麓の村を襲う際にも姿を見せたことがない。日中はうまく姿を隠しているらしく、青鬼の前にも現れない。  この赤鬼の存在を知っているのは青鬼だけらしかった。この山で知らぬ鬼がいると知ったら、我らが鬼大将は、その怒りでこの山を大いに震わす事だろう。  青鬼が鬼大将に赤鬼について告げなかったのは、単純に優越感からだ。  かつて、この山の鬼大将の地位をかの鬼と奪い合った記憶は未だ生々しく、そして己は敗者として脇に追いやられた。  そんな自分を見下して、我こそはこの山の支配者と豪語するかの鬼が知らぬ事を、己は知っている。  なんともちっぽけな優越感である。  「赤鬼よ、今日は魚を二匹捕らえてきた。麓の町で奪ってきた酒もある。早速酒宴といこうではないか」  「おお青鬼。なんと美味そうな川魚か、お前さんは漁の名手だなぁ」  大ぶりの川魚は、表面を艶々とさせていていかにも美味そうだ。青鬼が赤鬼の隣に腰掛けて、彼に川魚を二匹とも差し出してやれば、解りやすい喜声と共に、赤鬼の腹がぐるるぅ、と鳴った。    本来ならば、鬼は自分で漁や狩りをしない。そういったものは人間から奪うのが常である。だが青鬼は負けた鬼だ。負けた鬼は、鬼の社会でも脇に追いやられる。青鬼よりもよっぽど弱く小さな鬼たちが――鬼大将の腰巾着たちが鬼大将の名を笠に着て、青鬼が奪ったものをさらに奪っていく。抵抗するのは容易く、しかしその後の報復は痛い。鬼の上下関係は厳しい。鬼大将は、己の名の元に奪い奪われる・・・それらに抵抗を示す者を許しはしない。  だから、人間からいくら奪っても青鬼の腹を満たすには足りない。酒だって何とか徳利一つ分隠し通せただけである。    忸怩たる想いを抱えながら、青鬼は天を見上げる。――今に見ていろ、こん畜生どもめ。  真っ暗な夜空に、無数の星がちりばめられている。その中央に居座るのが月だ。まんまる丸い、黄金のお月様。広い夜空において、星々を従え、夜空で一等大きく、強く輝いている。  (いつか俺は、あの月のように・・・周りの連中全部従えて、鬼大将のヤロウにも負けねえ、でっけぇでっけぇ鬼になってみせるのよ)  青鬼は、月が好きだ。夜空に我が物顔で鎮座するふてぶてしさ。そこに在る事を疑わない雄大さ。揺らぐことのない大きさ、輝き。いつだってその姿に自分を重ねてきた。――いつかは、いつかは。  こうして月明かりを一身に浴びていると、自分が月そのものになったかのように錯覚すらする。  今日もそうやってまだ見ぬ未来を想像し、悦に入っていたらば、すぐ隣から「熱っ!」と悲鳴が聞こえた。見れば、赤鬼が火傷した手にふぅふぅ息を吹きかけている。彼の膝の上にはうまい具合に焼けた川魚が二匹転がっていた。  「おう、いい焼き加減じゃねえか」  青鬼はご機嫌で川魚を赤鬼の膝の上から拾い上げると、大口開けて食らいつく。まずは一匹、もう一匹もぺろりと。  「うむ、美味い」  隣で赤鬼はまだ掌を冷やしている。どういうわけなのか・・・この赤鬼がなにかを食べようとしたり、飲もうとすると、それらが炎に包まれてしまう。獣肉、魚、木の実、酒や川の水に至るまで。赤鬼は青鬼の視線に気が付くと、へら、と笑って見せた。    「折角持ってきて貰ったのになぁ。やっぱり、あっしには食えないみたいだ」  「いやいや構わん。魚が駄目なら酒はどうだ? 今夜こそ大丈夫かもしれんぞ」  欠片も思っていないくせに、青鬼はそんな事を言いながら、徳利を赤鬼に差し出した。赤鬼は喜色に顔を染めて、徳利を口元に傾け――徳利の口が火を噴いた。それをまともに顔に浴びた赤鬼は、「ぎゃあっ」と岩の下へと落ちる。そのまま顔を押さえてごろん、ごろん。  落下する前に徳利だけは死守した青鬼は、その滑稽さにからから笑って、熱燗になった酒をあおった。月見より赤鬼の様の方が面白いかもしれない、などと鬼らしい加虐心で思う。  「すまんすまん。酒も無理だったようだ」   「いや、こちらこそ見苦しいものを見せた。なに、あっしにゃアレがある。月がありゃあ、ちゃんと満腹になれるのさ」  鬼の頑丈さで復活した赤鬼は、もそもそと青鬼の隣に登ってきた。そうして空に向ってぐうぅっと細い首を伸ばすと、大口をあけて、何もない空中を――がぶり。  この鬼は、こうやって月を食べる。月を食べて腹を満たしているのだという
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