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(一)
「カオルさん、遅いわね」
中山すみ子は、応接間の真ん中に置かれたテーブルの前で、ため息をついた。
すみ子は赤と白を基調としたサンタクロースの衣装に、身を包んでいる。
テーブルの上には、フライドチキン、ローストビーフ、エビやカニを盛り合わせたサラダ。ピザや寿司などが所狭しと並べられていた。
テーブルの脇には、大きなクリスマスツリー。色とりどりのランプが静かに明滅している。
「七時からって約束だったのに、もう七時半…」
すみ子は壁にかけてある時計を見上げ、呟くように言った。
同席している詰め襟の中学生に、声をかける。
「カオルさんって、時間にルーズな人だっけ?」
「いえ」
質問を投げかけられた中学生、太田灌二(かんじ)は姿勢を正し、生真面目に答えた。
「ルーズではないです。むしろ逆に、決まった時間より早く来てしまうほうだと思います」
「そうね」
隣に腰かけているセーラー服の少女が、眼を輝かせた。
「井中先生は、学校ではいつも誰よりも早く出勤されているって聞いています」
「へえー。そうなの。早く出勤して、何してるんだろう」
すみ子は、頬杖を突いている。
セーラー服の中学生、上杉美希が爽やかに微笑んだ。
灌二と美希は、近所にある高雄中学独自の部活、「野外観察部」の部長と副部長。その顧問が、社会科教師井中カオルである。
「高雄中学って、正門の前が階段じゃないですか」
「知ってるわ。私もあそこの出身だもの」
「その階段を、毎朝お掃除されてるんです」
「いつも作務衣だから、ホントのお坊さんみたいです」
灌二が笑うと、すみ子と美希も同時に笑った。
笑い終わると、すみ子はテーブルに突っ伏し、顔を伏せた。
「ありがと。気を遣って笑わせてくれて」
顔を上げたすみ子の瞳に、涙が滲んでいた。
「この歳になって、変だと思うでしょうけど。私、自宅でクリスマスをするのは人生初なの。父がお寺の住職だったから、異教の行事なぞまかりならんって、ゼッタイしてくれなくて」
「そうだったんですか」
灌二と美希が口を揃える。
「で、ちょっと準備に力が入り過ぎてしまったの。一か月前からみっちりと。カオルさん、何か引いてしまった感じで」
すみ子は、灌二と美希を交互に見回した。
「ごめんね…。あなた達に声をかけたのは、それでなの。あなた達が来れば、カオルさんも来やすくなるかなって思って」
「謝ることなんか、ないですよ。こんな美味しそうなお料理を沢山用意していただいて、感謝しかありません」
「ええ。私はさっきから、真ん中のケーキがとても気になっています」
「食べてみる?」
すみ子は投げやりに、テーブルの中央に置いてあるホールケーキに手を伸ばした。
「これ、私が一人で作ったのよ」
ナイフで切り分け、灌二と美希の前に皿を突き出す。
「悪いわね。何か、私のほうが子供みたい」
「美味しい。作って貰って、井中先生は幸せ者ですよ」
フォークでケーキをつつきながら、美希が言った。
「ちょっと、図々しいですけど…。これまで、井中先生とはどうだったんですか」
「遠慮しないでいいのよ」
すみ子はまた、頬杖を突いた。
「普通のカップルみたいに、映画とか美術館に行ったりしたわ。その時は終始ニコニコして、楽しそうだったのよ」
「先生が終始ニコニコなんて、すごいじゃないですか。ね、太田君」
美希が、灌二のほうを見た。
「先生、基本ポーカーフェイスですからね。終始ニコニコなら、特別中の特別ですよ」
「そう…かなあ」
すみ子は、浮かぬ顔で視線を落とした。
「一つ、すごく気になるのはね」
すみ子の言葉が途切れる。
「ゼッタイ、家族の話をしないのよ。結婚前提だったら、家族のことって気になるじゃない」
「まあ、確かにそうですね」
「はじめのうちは、私が父母を亡くしてるから、悲しい話題を避けてくれてるのかと思ったんだけど…。こっちから水を向けても、とぼけてばかり。全然話してくれないの」
「僕達も、先生のご家族のことは聞いたことがないです」
「そう。私が嫌われているワケじゃないのね」
「勿論ですよ。今日なかなかいらっしゃらないのも、きっと何か事情があるんだと思います」
再び、頬杖を突くすみ子のポケットで、スマホが鳴動した。
「メールだわ。もしかして、カオルさん?」
すみ子がスマホを取り出し、画面を確認する。
「何よ、このメッセージ!」
忌々しげに言いながら、灌二と美希に画面を見せる。
「大変申し訳ない。緊急の用件ができてしまい、そちらに行けなくなった」
灌二が、スマホのメッセージを読み上げた。
「見るべき程のものを見て来る。追わないで欲しい」
美希が続けた。
すみ子はスマホを自分に向け直し、素早く操作した後、耳に当てた。
「電話、繋がらない…。メールだけ送って来て、すぐに電源切っちゃったんだわ」
すみ子はまたテーブルに突っ伏し、顔を伏せる。
「やっぱり、嫌われてるのかな」
その時、玄関のチャイムが鳴った。
「誰だろう? カオルさん…のワケないか」
すみ子が立ち上がって、玄関に向かう。
「あら。美結(みゆ)とトキオさん。お揃いで」
ドアの向こうにいたのは、すみ子の親友、美結とその夫、トキオだった。
岡上トキオは、高雄中学でカオルの同僚。国語科教師である。
「ちょうど良かった。今日、クリスマス会なんだけど、カオルさんが来れなくなって。お料理余りそうだから、食べてって」
すみ子は、二人を手招きした。
「今日伺ったのは、井中君のことでお伝えしたいことがあるからなんです」
カオルが座る筈だった席に腰掛けたトキオが、口を開いた。
「お昼過ぎに、ウチにいらしたのよ」
美結が続けた。
「えっ? そうなの。私にはついさっき、一方的にメール送って来ただけなのに」
すみ子は眼を見開いた。
「詳しくは、おっしゃらなかったんだけど…。何か、緊急の用ができて、今日中に西のほうへ旅立つって」
すみ子はポケットからスマホを取り出し、美結に見せた。
「さっき送って来たメールにも、緊急の用件って書いてあったわ。見るべきものを見て来るなんて、意味シンなこと、言ってるんだけど…。具体的なことは一切、不明だし。追わないでくれってわざわざ、付け加えてるのよ」
「ちょっと様子が、気になったの。眼が落ちくぼんで頬がこけてるし、髭は延びてる。憔悴しきってる風だった」
「私は、三日前に会ってるんだけど…。その時は、普段と変わりなかったけど」
すみ子が首を傾げた。
「西のほうって、どこか心当たりはありますか?」
トキオが割って入る。
すみ子は首を振った。
「カオルさん、生まれも育ちもこの市内だって聞いてます。親戚とか友達とかが西のほうにいるって話も聞いたこと、ないですね」
「もし、井中君の行き先がわかるなら、追いかける気はありますか」
「そうですね…」
すみ子は顎に人差し指を当てた。
「中山さんはご存じですよね。井中君は副業探偵みたいなことをやっていて、たびたび危険な目に遭っています。万一の時のためにいつも着ている作務衣の襟に、GPSを仕込んでいるんです」
すみ子は大きく頷いた。
「はい。私自身、そのお陰で命拾いしたことがあります。GPSの受信機をお持ちなのが、トキオさんなんですよね」
「ええ」
トキオは脇に置いてある鞄に手を入れた。
中から出て来たのは、液晶画面の付いた黒っぽい機械。
トキオがスイッチを入れると、画面が光り始めた。
「地図ですね」
大人達三人の会話を黙って聞いていた灌二と美希が、すみ子の後ろから覗き込む。
「岡上先生。GPSの受信機って、はじめて見ました」
「愛知県…て、出てますね」
トキオが画面のあるところを、人差し指で示した。
「ここに、点滅しているアイコンがあるだろ。これが今、井中君がいる場所なんだ」
「愛知県って、随分遠くありません?」
「彼は今、名古屋から京都の方向へ向けて、時速二百キロ程で高速に移動していることがわかる」
「二百キロっていうと…」
美希が首をひねった。
「車だと高速道路を使っても早過ぎます。飛行機にしては遅い」
灌二の言葉に、美希が手を打った。
「新幹線ですね。井中先生、今新幹線で名古屋から京都に向かって移動中ってことですね」
トキオは、すみ子に向き直った。
「と、いうことなんです。井中君は作務衣からGPSを取り出してスイッチを切ってしまうこともできた。追わないでくれってメールして来たにも拘わらず、自分の行き先はわかるようにしているんです」
「行き先、わかるんですね」
すみ子は、半ば独り言のように呟いた。
「この受信機、そもそも井中君から僕が預かっているんです。彼と交際されているなら、中山さんが持ってらしたほうがよろしいかと」
トキオは受信機のスイッチを落とし、すみ子に差し出した。
「でも、私嫌われているような気がするし…」
「すみ子、さっきから何をグズグズ言ってるの!」
美結が立ち上がった。
「井中先生に、何か不穏な事態が起きてるのは、明白じゃない。あなた、彼のこと心配じゃないの?」
「勿論、心配はしてるけど…。追わないでって言われたら、仕方ないでしょ」
「そんなの、すみ子じゃない。私の知っている中山すみ子じゃないわ」
美結の眼に、涙が滲み始めた。
「すみ子は、どんな時でも積極果敢。思い立ったらすぐに行動する。私には絶対できないことを当たり前みたいにに出来る。そんなすみ子を、私は尊敬してるのよ」
美結の頬に、大粒の涙が流れ始めた。
すみ子は、眼を見開いた。
「私、馬鹿だった…。今、眼が覚めたわ」
すみ子は立ち上がって、美結の手を取った。
「ありがとう。私、カオルさんに嫌われてるかもとか、そんなことばかり考えていて、自分のやるべきことを忘れていたわ」
「カオルさんにどう思われてるかなんて、関係ない。私はカオルさんを愛している。だから、追いかけるんだわ」
すみ子は、美結の手を堅く握った。
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