(二)

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(二)

 「あと二駅で、下関に着けるわね」  ピンクのセーターを身に着け、花模様のスカートをはいた美しい女が、両腕を上に伸ばした。  すみ子である。  「高雄駅を出たのが朝の四時半。東京駅から六時発ののぞみに乗って、十一時回ってますからね…。随分長旅でした」  対面の席に座る灌二が答えた時、電車が動き始めた。灌二は昨晩と同じ、詰め襟の学生服。  車窓に見える「こくら」の駅名表示が後方へ動き出す。  「東京発ののぞみが新下関に停まらなくて、小倉から在来線で引き返した方が早いなんて、知らなかったわ。色々調べてくれて、ありがとう」  「いえ。スマホでちょっと検索しただけですから」  灌二は、頭を掻いた。  「私としては、大助かりよ。カオルさん、昨日は京都も新大阪も通り過ぎて、一体どこまで行くのかって、気になってずっと受信機を見てたわ。やっぱり小倉経由で、下関で降りたのが夜の十一時半。で、今日の始発で追いかけることにしたから、結構ハードになっちゃった。ごめんね」  「いえ。別に…」  灌二は下を向き、もぞもぞと手を組んだ。  「あの…。生意気なようですけど、僕井中先生の行き先、見当付いてました」  「えっ。どうして?」  「昨日の井中先生からのメールです」  「あっ。コレね」  すみ子はスマホを取り出した。  「『見るべき程のものを見て来る』。何で、この文面でわかるの」  「平家物語ですよ」  「平家物語…。高校の時古文の授業で習ったわ。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…」  「物語のクライマックスの場面、ご存じですよね。壇ノ浦の戦いで、源義経率いる源氏軍に平家が敗れて、滅亡する場面」  「ええ。知ってるわ」  すみ子が頷いた。  「壇ノ浦って、現在の下関市にあるんです」  「それが、カオルさんのメールとどう関係するの」  「壇ノ浦の戦いに、平家はまだ八歳の安徳天皇を奉じていました。平家の敗戦が決定的になった時、天皇の祖母で平清盛の妻でもある時子が、天皇を抱いて入水しますよね」  「そうだったわね」  「その時、行き先を尋ねる幼い天皇に、時子は『浪の下にもみやこはございます』って告げるんです」  すみ子は灌二に、ハンカチを差し出した。  「太田君、涙が滲んでるよ」  「はい。思い出してしゃべるだけで、泣けてくるんです。すごい名台詞ですよね」  (カワイイ。感じやすい子なのね)  「で、肝心なのはこのあとです」  灌二は生真面目な顔で、続けた。  「天皇と時子が入水したことで、平家の滅亡を見届けた、と考えた人物がいました。平家の実質的な大将であった平知盛です」  「確か、時子さんの息子さんよね」  「ええ。知盛もあとを追って入水する訳ですが、その際に言い放った言葉。それが、『見るべき程の事をば見つ』なんです。井中先生のメールの文面と、似てませんか」  すみ子は頷いた。  「そうね。確かに似てるわ。現代文だったら『見るべき程』なんて言わないもんね」  「先生のメールでは、そのあと『追わないで欲しい』って続くんですけど、GPSでご自分の居場所がわかるようになさっています。つまり」  「つまり?」  すみ子は、身を乗り出した。  「先生は、追わないでくれっていう文面とは裏腹に、追って来てくれって暗号を中山さんに託したんじゃないでしょうか。行き先が下関だよってことも、暗に伝えておられる」  「なるほど…説得力あるわ」  (さっきはかわいいと思ったけど、すごい推理力ね。さすがはカオルさんの愛弟子だわ)  すみ子が灌二の幼さの残る丸顔をじっと見つめた時、電車が停止した。  「しものせき…しものせき」  とアナウンスが流れる。  「着いたわね」  すみ子は立ち上がると、網棚に載せていた荷物とコートに手を伸ばした。  「寒い…」  下関の駅頭に立つと、すみ子は白い息を吐いた。  フードの付いた白いコートを身に着け、黒い手袋をはめ茶色のマフラーをしているが、それでも震えている。  「ですね」  灌二は、茶系のコート。  「手袋、忘れちゃいました」  言いながら、両掌を口に当て、息を吹きかけている。  「下関は初めてだから、右も左もわからないわ。太田君は?」  灌二は頭を掻いた。  「僕もです」  「当てずっぽうに行くしかないわね。まずはカオルさんの現在地、確認するね」  すみ子はGPS受信機を取り出した。  「駅から、すぐ近くだわ。海峡ゆめタワー」  「あれじゃないですか」  灌二が、前方を指差した。  「青っぼく見える、一際高いタワー」  すみ子は、右手を眼の上に翳した。  「みたいね。案外早く、カオルさんに会えるかも」  すみ子はにっこりと笑うと、先に立って歩きはじめた。  タワーの入口までは、七分程。  灌二が上方に首を伸ばした。  殆ど全面がガラス張りの美しい建造物が、日の光を受けて輝いて見える。  「最上階の展望室は西日本一の高さだそうです」  「へえ。なかなかのものね」  すみ子は腕を組んだ。  「良かったらここで、二手に分かれない?」  「二手に?」  「二人で一緒に上まで登るとすると、カオルさんとすれ違いで会えない可能性があるでしょ。二人のうちどっちかが出入口で見張っていれば、必ず会えるはず」  灌二は頷いた。  「もっともですね。じゃあ僕が見張ってます」  「ごめんね。太田君も展望室に登ってみたい気持ちはあるでしょうけど」  「いいんですよ。誰よりも早く先生の顔を見たいのは、中山さんですから」  (いい子。随分、気を遣ってくれるのね)  すみ子は手を振り、タワーへ向けて駆け出した。  入場料を払うと、直ちに上りエレベーターに乗る。  エレベーターはシースルー。眼下に見える景色が瞬く間に小さくなり、およそ一分で展望室に辿り着いた。  「わあ。いい眺め」  すみ子は嘆声を上げた。  展望室は三層になっており、一番上の層は三百六十度、景色が楽しめる構造になっている。  関門海峡と関門橋、武蔵と小次郎が決闘した巌流島、対岸の九州の山々…。  (太田君に悪いことしたかな。こんなステキな景色が見られないなんて)  すみ子は窓外の眺めから視線を離し、館内へ眼を向けた。  (カオルさん、どこだろう)  クリスマスということもあってか、館内はカップルが多い。ぴったりとくっついて、幸せそうに景色を楽しんだり、写真を撮ったりしている。  (いいなあ。私もカオルさんと二人で来たら、ロマンチックなクリスマスだったな)  すみ子は顎に人差し指を当てた。  (カオルさん、作務衣姿だから…。いれば、かなり目立つ筈なんだけど)  が、それらしい人物は一向に見当たらない。  念のためフロアを二周したところで、すみ子は階段で下の階層に降りた。  そこにあるのは、展望レストラン。  (店員さんに、咎められそうだけど)  すみ子はそっと店内を覗いて見たが、やはりカオルの姿はない。  さらに下の階層に降りる。  (「恋人の聖地」、かあ…。ここってそういうところなのね)  このフロアには「縁結び神社」があり、縁結びのお願い札や恋みくじなどが売られている。  さらに、クリスマスメッセージツリーなるものが…。備え付けてあるリボンに願いごとなどを書いて飾るというものだ。  (七夕と混ざってるような気もするけど、悪くないわ)  すみ子は、サラサラとリボンに文字を書き連ねる。  「カオルさんと結婚できますように!!」  (彼って堅物だから、こういうのは好かなそうだけど…。今の私は、神様にもすがりたいわ)  「さて、と」  リボンを飾り終えると、すみ子は頬に指を当てた。  「カオルさん、ここにはいそうもないな」  呟きながら、GPS受信機を取り出す。  「ええっ」  すみ子は叫んだ。  周囲のカップル達の冷ややかな視線が、一斉に突き刺さる。  すみ子は物影に逃げ込みながら、受信機の画面を改めて確認した。  (どういうこと?)  カオルの現在位置を示すアイコンは、海峡ゆめタワーを離れ別の場所に向けて動き出している。  (太田君、見逃してしまったの? それとも、会えたけど引き留め出来なかった?)  「とにかく、すぐに降りなくっちゃ」  すみ子は呟き、下りエレベーターに飛び乗った。  地上に辿り着き入口に至ると、不思議そうな灌二の顔がそこにあった。  「井中先生、ご一緒じゃないんですか」  「ちょっと。しっかりしてよ。カオルさん、ここを離れちゃってるわよ」  すみ子は受信機の画面を灌二に突き出した。  「ええっ…。そんな筈は」  灌二は青ざめた。  「見逃す訳はないです。エレベーターから降りて来る人は全て顔を見て確認しましたから。それに…」  灌二は手にしていたスマホを、すみ子のほうに向けた。  「念の為、全員の写真も撮ってあるんです」  灌二はスマホを何回か指で叩いた。  画面上に、様々な人々の画像が写っている。  サングラスをかけた小柄な女。  多数の男女のカップル達。  子供連れの家族と見えるグループ。  観光客と思われる外国人。  「ごめんね。確かにカオルさん、いないわ。太田君、ここまでしてくれて、ありがとう」  すみ子は腕を組んだ。  「カオルさん、確かにこの場所は通っていない。じゃあ、どうやってゆめタワーから離れたんだろう」  「さあ…」  灌二は首を傾げた。  「私が見たところ、このゆめタワーって入場者は全部、エレベーターで登り降りするのよ。普段は使われていない非常階段に勝手に入り込んで、裏口から出たとか?」  「それは考えにくいですよね。係の人に咎められます」  灌二は、眼をしばたたかせている。  「先生、変装してるんですかね。実は写真に写っている誰かだったりして…」  すみ子は首を振った。  「それもないわ。私は嫌われてるかもだから、変装してでも避ける可能性はある。でも、この場所で待っていたのは太田君。愛弟子のあなたがはるばると旅して来たのに素通りはありえない」  灌二は、沈黙した。  「カオルさん、一瞬消えてしまったの? ワケがわからない」  すみ子は、天を見上げた。                  
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