(三)

1/1
前へ
/12ページ
次へ

(三)

 「仕方ないわ。カオルさんの次の行き先に、私達も行くしか…」  「ですね。気を取り直して」  すみ子がGPS受信機を取り出し、画面のある一点を指差す。  「ここだわ。火の山公園ってトコ。山の上にいるみたい」  「火の山って、下関では有名な観光ポイントみたいですよ。瀬戸内海国立公園に含まれるらしいです」  「初めてなのに、何で知ってるの?」  「新幹線、長かったので。車内で暇つぶしに、色々調べていたんです」  「ごめん。私、夜更かししたから、殆ど寝てたわ」  灌二は頭を掻いた。  「全然、悪くないです。何か調査する時は、可能な限り下調べしろって、井中先生に叩き込まれてますから」  「どうやって行くか、移動手段もわかってる?」  「はい。車で山の上まで行けるようです」  「じゃあ、タクシーで行きましょ」   二人は頷き合い、タクシーを拾った。  「お客さん、どちらから?」  白髪混じりのタクシードライバーが、何気に尋ねる。  「東京駅から新幹線で」  後部座席に乗った灌二が、生真面目に答えた。  隣席のすみ子は黙って、受信機を見ている。  ハンドルを切りながら、ドライバーが続けた。  「下関ってのはね、かつての武士の時代のはじまりと終わりを飾ってるところなんですよね」  「そうなんですか」  「はじまりのほうは、壇ノ浦。ここで平家が滅亡して、源氏が鎌倉に幕府を開いた。終わりは、幕末。長州藩が イギリス・フランス・オランダ・アメリカの連合艦隊と戦った下関戦争」  「なるほど。最初と最後を飾ってますね」  「真ん中もある。宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した巌流島もあるんです」  信号待ちで車を停めるが、話は止まらない。  「そう言われてみれば、すごい歴史のある町なんですね」  (東京方面から来たって言ったから、観光客だと思われてるのね)  ドライバーと灌二のやりとりに適当に相槌を打ちながら、すみ子は受信機を凝視している。  (ふふ。私のほうがゲームに夢中で話を聞かない子供みたい)  すみ子は、隣席に座っている灌二を横目で見た。  「幕末に高杉晋作が挙兵した功山寺とか、日清戦争の講和会議が行われた春帆楼(しゅんぱんろう)とか、見どころを数え上げれば沢山あります」  止まらないドライバーの観光トークに答えながら、灌二はスマホを入念に見ている。ゆめタワーのエレベーターから降りて来た人達の写真を、改めてチェックしているのだ。  (私がさっきしっかりしてよなんて言っちゃったから、ちょっと傷ついちゃったのね。悪いことしたわ)  すみ子は灌二のスマホを、何気なく見やった。  (確かにこの写真って気になるよね。さっきは否定したけど、この中の誰かにカオルさんが変装してるってことも百パーセントないワケじゃない)  すみ子は顎に手をやった。  (カップルとか家族連れはないとして…。カオルさんは背が高いから、外国人に変装することだってできそう。髪を金髪に染めて、コンタクトで瞳の色を変えるなんて簡単にできちゃうし)  すみ子の思考をよそに、タクシーは坂を登りはじめた。  「火の山って名前はね、昔々山頂に狼煙台があったことに由来するんですよ」  なおも語り足りなそうな観光トークを中断し、ドライバーがブレーキを踏んだ。  山頂近くの駐車場に着いたのだ。  灌二が黙って、二人分の荷物を担ぐ。  すみ子はタクシーを降りると、すぐに受信機を確認した。  「カオルさん、まだ山頂付近。このまま行けば、会えそうね」  すみ子は逸る気持ちを抑え切れず、先に立って歩き出した。  白い息を弾ませ、山頂へ向かう。  「いい眺めですね」  灌二が眼下に広がる関門海峡と関門橋の景色を見つめ、呟いた。  厳しい寒気のせいか、すれ違う者はいない。  広い平地がある山頂には、頑丈な石造りの大きな建物が建っている。  「さっき、運転手さんが言ってたんですけど」  灌二が生真面目に言った。  「ここは旧日本軍の軍事施設だったそうです」  近くには、戦艦大和の主砲弾の展示もある。  「ふうん。中、入れるのかな」  すみ子は、建物の中を覗き込んだ。  「軍事施設だった時代は、活気があったんだろうけど…」  「今はガランドウですね。肝試しができそうな、ちょっと怖いところ」  薄暗く陰気な空間が、広がっている。  「カオルさん、いそうもないわね」  呟きながら、すみ子はその中にカオルが座っているかのような錯覚にとらわれた。  すみ子の頭の中には、膝を抱えて座り込むいるカオルが見える。  (カオルさんって、どことなく孤独な影があるのよね)  すみ子とカオルが深い仲になったのは、すみ子が火事現場で危うかった時、たまたま通りがかったカオルが助けてくれたことがきっかけだ。  カオルは教え子達にも優しい。特に、灌二と美希には学校という枠を越えて、家族のように慕われている。  (でも、自分は淋しくないの?)  すみ子はカオルのことを考える時、いつもこの疑問が頭をよぎるのだ。  (私自身、努めて明るく振る舞っているけれど、心の片隅には抜き難い孤独感がある。だからカオルさんに共感するんだわ)  カオルの心を一番わかっているのは自分。   彼を孤独から救ってあげられるのは自分しかいないと、すみ子は勝手に考えている。  「どうやらこの辺りには、いらっしゃらないようですね」  すみ子の思考を、灌二の声が遮った。  すみ子はハッとして、声のほうを向く。  「いけない。カオルさん、また動き出してる」   すみ子は受信機を確認した後、やや下りたところにある駐車場を見下ろした。  真紅のワンピースを身に付けた、長い髪の女の後ろ姿が見える。  女は、駐車場に停めてあった赤いワゴン車に乗り込んだ。  「もしかして…」  すみ子は駆け出した。  灌二が、あたふたと後を追う。  すみ子達二人が、駐車場にたどり着いた時。  ワゴン車が急発進した。アクセル全開の勢いだ。  「こっちへ、向かって来るわ!」  すみ子が叫んだ。  「うわっ! 轢かれる」  灌二が頭を抱え、しゃがみ込む。  すみ子は尻餅を突いた。  二人の眼の前で、ワゴン車は急カーブ。  駐車場を離れ、あっという間に走り去って行く。  「あの車…」  すみ子は受信機に眼をやった。  「カオルさんの動きと一致してる…。すごいスピードで遠ざかってるわ」  「今の車に、井中先生が乗っていたってことですか? 運転席の女の人以外は、乗ってないように見えましたけど」  「ここからじゃ、わからないわ。後部座席に寝転がってるかも知れないし」  「もうとっくに殺されて、トランクに遺体が積まれてるかもですね」  「やだ。怖い冗談、やめてよ」  「済みません」  灌二は頭を掻いた。  「僕、ちょっと気になることがあるんです」  「気になる?」  「今、車で走り去った女の人です」  灌二はスマホを取り出した。  「ゆめタワーのエレベーターから最初に降りて来たサングラスの人。今の女の人と背格好が似てるように思うんです」  「そういえば、そうね」  すみ子は灌二のスマホをじっと見つめた。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加