(四)

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(四)

 下関・唐戸(からと)桟橋を出航した白を基調とした船が、関門海峡を航行している。  行き先の正式名称は船島。世に云う巌流島である。宮本武蔵と佐々木小次郎の二人の剣豪が決闘した舞台として広く知られている。  (参った…。参ったなあ)  巌流島へと向かう連絡船の船上で、すみ子は溜め息を吐いた。  (火の山ではカオルさんを捕まえられず…。山下りのタクシーは拾えなくて、ロープウェイは冬期休業中。歩いて下山したら、一時間以上ロスしちゃった)  すみ子は船の窓に額を付けた。  (GPSで追跡はできるから、それはいいんだけど…。問題は、あの女よね)  すみ子は眼を閉じた。  (カオルさんに謎解きの依頼をして来たタダの他人じゃないわよね…。それだったら『見るべきものを見て来る。追わないでくれ』なんてメールは来ない)  すみ子は顔を両手で覆った。  (カオルさんは私とあの女と、二股かけてたの? でなけりゃ私が結婚してって迫ったから、かえって元カノが捨てがたくなったとか? どのみち、三角関係だなあ)  「もしかして、船酔いじゃありませんか。大丈夫ですか」  隣の席に座っている灌二が声をかける。  「心配かけて、ごめん。大丈夫よ」  一応笑顔を作るが、心の中は渦を巻いている。  「GPS、今はご覧になっていないんですね」  「うん。今はいいの。今度は島だから、逃げられることはないわ。船に乗る前に一度見れば十分よ」  すみ子はゆめタワーと火の山の二箇所では、しょっちゅう受信機を確認して来た。カオルに一刻も早く会いたい気持ちがそうさせていたのだが、どちらでもカオルの顔を拝むことは叶わなかった。  加えて今度は、謎の女の出現。空回りしてカオルに会えない上、ライバルらしき人物の存在に、すみ子の心は萎みかけている。  車窓に流れる海峡の景色をぼんやりと眺めているうち、船が止まった。  「巌流島、着きましたよ」  隣席の灌二に声をかけられて、すみ子はようやく前を向いた。  すでに他の乗客達は、船の降り口へ向かって列をなしている。すみ子達は列の最後尾に付き、ゆるゆると歩きはじめた。  「巌流島は周囲がおよそ一・六キロ。現在は無人島だそうです」  「割と小さい島なのね。一周してみようか」  島に降り立つと、すみ子は重い足取りで歩き出した。  「史跡というよりも、記念公園って感じですね。よく整備されています」  スマホを構えつつ歩きながら、灌二が言った。  「立派なモニュメントがあるわね」  「武蔵と小次郎。決闘シーンの銅像ですね」  海を背景に、武蔵が木刀を振り上げ、小次郎が物干し竿と呼ばれた長い刀を構えている姿を表したものだ。  (決闘、かあ…)  すみ子は決闘というコトバに息苦しさを覚えた。  (あの女が私の恋のライバルとすると、いずれは決闘することになるのかしら。でもなあ)  すみ子は顎に手を当てた。  (決闘するとして、私は何を武器に戦えるの? カオルさんは綺麗だって言ってくれたけど、全然美人じゃないし…。頭も悪くて、ドジばっかり踏んでるし。強いて言えば、カオルさんへの強い恋心だけは負けないつもりだけど)  すみ子はうつむいた。  (でも、これだけ追いかけてるのに会えないんだもん。カオルさんの心が一番わかってるのは私だなんて、勘違いだったのかも)  「あのう…」  並んで歩いている灌二の言葉に、すみ子は前を向いた。  「この砂浜、人工のものらしいんですけど、武蔵と小次郎の決闘の地を再現した場所みたいです」  「随分、凝ってるわね。武蔵さんが渡って来る時に乗った小舟まで再現されてるのね」  「武蔵は約束の時刻に現れず、わざと遅参した。小次郎をじりじりさせる心理作戦だったって、有名な話がありますよね」  「私とカオルさんの場合は、遅れて来た私の方がじりじりしてるけどね」  すみ子は、あえて笑顔を作った。  (こんな冗談でも言ってないと、気持ちが持たないなあ)  更に前へ、歩を進めた時。  北から一陣の風が吹き、すみ子の髪を揺らした。  「あっ」  眼にかかった髪をかき分けながら、すみ子が叫んだ。  「あれ、何かしら」  「前に見えるあちら、ですか?」  灌二が前を指差した。  「海が見えますね。島の南端で、眺めのいいところなんでしょうか」  「ううん。それは私にもわかるわ。何か黒っぽいものがあるでしょ」  「えっ。まさか、あれは…」  灌二は叫ぶと、駆け出した。  すみ子が後を追う。  波打ち際に近い道の上に、四角い形のものが置かれているように見える。  黒っぽいものは、使い古されたトートバックだった。  「これ、見たことあるような…」  灌二はバックを持ち上げた。  「K.Iって小さく書いてありますよ!」  「井中カオル…。カオルさんのイニシャルだわ」  すみ子はバックをまじまじと見つめた。  「間違いないわ。ちょっと安物の、古ぼけたやつ。カオルさんがいつも持ち歩いていたものよ」  灌二は、左右を見回した。  「このバックが置かれているってことは、井中先生、近くにいらっしゃるんじゃ」  「待って。こんな時こそ、GPSよね」  すみ子が受信機を取り出し、電源を入れた。  「あれっ? 何これ」  「どうしました」  「おかしいわね。『発信機の信号がありません』って表示が出るのよ」  灌二が受信機の画面を覗き込んだ。  「本当だ。どうしたんでしょう」  すみ子が受信機を叩いた。  「故障かな? 叩いても変わらない」  灌二が首を傾げた。  「いや、故障じゃないでしょう。受信機はちゃんと動いてます。問題が発生しているのは、先生が身に付けていらっしゃる発信機のほうじゃないですかね」  「発信機の故障?」  灌二は腕を組んだ。  「ここって向こうの陸地がすぐそこに見えますよね。見た感じ数百メートルです。先生、泳いで渡ろうとなさったんでは。発信機は防水仕様でないので、壊れてしまった」  「冗談はやめて。こんな冬の寒い日に泳いだら、すぐに死んでしまうわ」  すみ子は顔を両掌で覆った。  「カオルさん、私にサヨナラって言ってるんだわ」  「えっ。どういう意味ですか」  「ワザとGPSを身に付けて動き回って、私に追跡させたのよ。で、火の山でサングラスの女を見せたんだわ」  「よく、わかりませんが…」  すみ子は顔を隠したままだ。  「カオルさんが愛しているのは、あの女なのよ。私ではない。面と向かってそう言うのは、お互いしんどいでしょう。だから、何気に見せたんだと思うの」  すみ子の指の間から、一筋の涙が零れる。  「ちょっと、待ってください」  灌二は右手をぶんぶんと振った。  「悲観的になるのはまだ早いです。まだまだ、見るべき程のものは見てないです」  すみ子は指の間から、片眼を覗かせた。  「まずは、これです」  灌二は持っているトートバックを指差した。  「このバック、開けて見ませんか? 先生からのメッセージが入っているかもわかりませんよ」  「それも、そうね。私達がGPSを頼りに、ここに来ることを見越して置いていった可能性もあるわよね」  すみ子は両手を顔から離した。  「では、どうぞ」  灌二が突き出したバックのファスナーを、すみ子は思いっきり横に引いた。  「ぎゃっ!」  バッグの開いた口から、もうもうと黒煙が吹き出した。  灌二が取り落としたバッグから、高く黒煙が立ち上る。  「もしかして、爆発する?」  二人は尻餅を突いたまま、懸命に後じさった。  ひとしきり煙が湧き出た後、一陣の風が吹いた。  バッグは吹き飛ぶことなく、元の位置に転がっている。  二人は恐る恐る、バッグに近づいた。  「ん?」  二人の視線が、バックの中身に吸い寄せられる。  銀色の立方体の金属のものが、収まっている。  「金庫みたいね」  すみ子がそっと手を伸ばし、その物体を持ち上げた。  「電子キーのタイプですね。『数字八桁』って指示が書いてありますよ。数字八桁の暗証番号を打ち込めば開けられるってことですよね」   灌二が、前面の文字盤を指差す。  「見て。下の面。付箋が貼ってあるわよ」  「『武蔵と小次郎』…?」  付箋にボールペンで小さく記された文字を読み上げ、二人は眼を見合わせた。  「カオルさんの字だわ」  「どういう意味でしょう」  灌二は首を傾げた。  「ちょっと、わからないけど…。ここが巌流島だからじゃない。取りあえず、思いつく八桁の数字を入れてみるわね」  すみ子は、金庫の文字盤に手を伸ばした。  「まずは、カオルさんのスマホの電話番号。アタマの○九○を取ったやつ」  ピーと電子音が鳴り、「ERROR」の赤いランプが点る。  「違ったのね。じゃあ、これは? カオルさんの生年月日、西暦で」  またも、「ERROR」の赤いランプ。  「ダメかあ。じゃあ、次は…」  更に次の数字を打ち込もうとするすみ子の指を、灌二がそっと遮った。  「ちょっと、待ってください。闇雲にいろいろな数字を試すのは危険です。こういう電子キーって、三回連続で間違えるとロックされてしまって、それっきり数字を打ち込めなくなる場合がありますよ」  「あっ。そうか。もう一回間違えるとまずいかもね」  灌二は頭を掻いた。  「済みません。生意気言いまして」  すみ子は微笑み、首を振った。  「いいのよ。私こそ、オッチョコチョイでごめんね…。何か、いい考えある?」  「僕も、確信はないんですけど」  灌二は眉間に皺を寄せ、金庫の裏に貼られた付箋を指差した。  「『武蔵と小次郎』。このフレーズが、暗証番号のヒントじゃないでしょうか。井中先生が僕達に託した暗号と考えればいいんではないかと…」  すみ子は頷いた。  「なるほど。暗号かあ…」  「ええ」  灌二は眼をつぶると、大きく首を傾けた。  「唐突なようですけど、東京スカイツリーの高さって何メートルでしたっけ」  「え? ええと、確か六三四メートルだったわよね」  「正解です。で、何で六三四かというと、東京、すなわち昔の江戸を含む旧国名が『武蔵(むさし)の国』だったからだって、聞いたことがあるんです」  「つまり、数字の語呂合わせなワケね。ということは『小次郎』は五二六ね!」  「はい。そうです」  灌二が頷いた。  「でも、六三四と五二六じゃ六桁だわ。二桁足りない」  「これは、僕の推理なんですけど…」  灌二は金庫の裏側の付箋を指差した。  「『武蔵と小次郎』の『と』。『と』は一○(とお)とも読めませんか」  「なるぼど。真ん中に一○を入れるのね。六三四一○五二六」  すみ子は手を打った。  「よし。じゃあこれで打ち込んでみるわよ」  文字盤の上で、指を慎重に動かす。  「OK」の緑のランプが点り、金庫が開いた。  「封筒…。赤い封筒だわ。『すみ子さんへ』って宛名が入ってる」  二人は、眼を見合わせた。  「封、切ってみるね」  すみ子の手が、震え出している。  中から出て来たのは、一枚の白い便箋だった。  「何よ、これ」  二人の視線が、便箋の上に釘付けになる。  「明日正午。赤間神宮?」      
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