(七)

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(七)

 「井中先生、中三の時何で失踪したんだろうね」  下関駅から赤間神宮へ向かうバスの最後部の座席。  美希とすみ子に挟まれて腰かけている灌二は、横を向くことができない。  「高校受験の直前だってことだしね。受験のプレッシャーで、逃避したくなったのかな?」  美希が首を傾げた。  「でも、私達が知っている井中先生って、どんな時も沈着冷静でしょう。受験のプレッシャーなんてへっちゃらだったんじゃないの」  「それもそうだ…。なら、何だと思う?」  美希は、顎に人差し指を当てた。  「例えば、好きだった女の子が転校してしまって、会いに行った…。とかはどうかな」  「なるほど。余程思い詰めれば、アリかもね」  灌二が頷いた。  (やっぱり、女なのかな…)  二人の会話を黙って聞いていたすみ子は、俯いた。  (でも、ハッキリそう決まったワケでもないしなあ…)  すみ子は首を振ると、話題を変えた。  「ねえ。そう言えばあなた達は中三でしょ。受験勉強はしなくていいの」  「はい」  美希が微笑んだ。  「何で。推薦入学が決まってるとか?」  「ご存じなかったですか。私達が入学した年から、高雄中は中高一貫に変わってまして」  「へえ。全然知らなかったわ」  「僕達の同級生で今受験勉強で眼を血走らせているのは、高校から私立に行きたい人だけです」  すみ子は膝を叩き、笑顔を作った。  「なら、基本暇なワケよね。安心してコキ使えるわ」  「はい。喜んで」  灌二と美希が揃って笑う。  (こうやって冗談でも言ってないと、気持ちが持たないわ)  すみ子は、スカートの裾をそっと握り締めた。  バスを降りると、右手に関門海峡の海が広がっているのが見える。  「今日は、昨日と違って暖かいわね」  「ですね。海も碧色に…。キラキラ光ってます」  すみ子の呟きに、灌二が応じた。  「綺麗な海ね」  美希が、眼を輝かせた。  左手には、こんもりとした森に包みこまれるように、薄灰色の鳥居が建っている。  鳥居を潜ると、「水天門」と刻まれた扁額がかかった、色鮮やかな門がある。人が潜れる一階部分が抜けるような白。二階部分が赤。その二つが、陽の光を受けて輝いているようだ。  「素敵な門ね。竜宮城の入口みたい」  美希が、再び眼を輝かせる。  水天門を潜り、手水で手を洗い口をすすぐと、まずは拝殿で拍手を打つ。  灌二がスマホを取り出し、時刻を確かめた。  「ちょうど、正午ですね」  「『明日正午。赤間神宮』って、井中先生が書いたメモがあったんだよね」  美希が言いながら、左右を見回す。  「いないねえ。影も形も見えない」  美希と一緒に視線を動かしながら、灌二が呟いた。  「カオルさん、ここに来るとは明記してないんだよね。『正午。赤間神宮』だけで」  すみ子が腕を組んだ。  「あっ。待って。ダメもとだけど…」  すみ子はカバンの中を探った。  出て来たのは、GPSの受信機である。  「見て! 発信機からの情報が復活してるわ」  「このアイコンが、井中先生の居場所を示してるってことですよね」  美希が画面上の一点を指差す。  「赤間神宮の境内に、先生はいらっしゃるんだ」  灌二が声を上げた。  「左手に、ちょっと奥まったところがあるわよ。行ってみない?」  すみ子が受信機を片手に、先頭に立って歩き出す。  少し歩くと、沢山の石塔が建っている場所に出た。  「これは、七盛塚といいまして。壇ノ浦の戦いで滅亡した平家一門のお墓ですね。知盛、経盛、教盛…と『盛』の字がつくお名前の方が多いので、七盛塚という訳です」  「太田君、さすが詳しいね。『平家物語』は愛読書だもんね」  灌二の説明を受け、美希が微笑む。  「ここに供養されている中で、一番僕が気になるのが、平時子という方なんです」  すみ子は手を打った。  「下関に来る電車の中で聞いたわ。平家の栄華を築きあげた平清盛の妻で、安徳天皇の祖母でもあった方よね」  「そうです。赤間神宮って、安徳天皇をお祀りした神社ですから、切っても切れないご縁がある方なんです」  「天皇を抱いて入水するとき、『浪の下にもみやこはございます』って告げる方でもあるのよね」  「はい。清盛が亡くなった後、精神的な面で平家一門の柱というべき存在でもありました」  灌二は頭を抱えた。  「僕自身、何かモヤモヤして、ハッキリわからないんですけど…」  美希が首を傾げた。  「何がわからないの?」  「この時子さんが、井中先生の件と繋がっているような気がするんです」  「井中先生と?」  「そうなんた。先生の残されたメモに『赤間神宮』って書いてあったのは、時子さんに結びつけるためのヒントかなって…。僕のカンなんだけど」  すみ子は腕を組んだ。  「太田君のカンかあ…。なら、当たってる確率高いわね。気に留めて置くわ。カオルさんに会えたら、聞いてみようよ」  すみ子は、右方向へ視線を向けた。  「こちらのお堂は、何なの」  「『芳一堂(ほういちどう)』といいます」  美希が手を打つ。  「小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの怪談。『耳なし芳一』ね」  美希は眼を輝かせた。  「琵琶法師の芳一さんが平家一門の亡霊にいざなわれ、連夜琵琶を奏でていた。これを心配した和尚さんが、魔除けとして芳一さんの身体中に般若心経を書いたんだけど、耳だけ書かなかったので亡霊に取られてしまった…。という話よね」  「つまりこの場所が、『耳なし芳一』の話の舞台ってこと?」  灌二が頷いた。  「はい。井中先生の件と関係あるかどうかは、わかりませんけど」  「よし。じゃあ、次」  すみ子は受信機に眼を落とした。  「カオルさん、海の方向へ動いてるみたいだわ。行ってみようか」  受信機の画面を見たまま、ずんずん進んで行く。  灌二と美希が、慌てて後を追った。  「ここは、安徳天皇の御陵。平たく言えばお墓ですね」  「関係者以外、立ち入り禁止ね。次!」  「龍宮殿。新しい建物ですね。結婚式や披露宴が出来るところなんでしょう」  「年末の平日。今日はやってないみたいね。カオルさん、こんなところに隠れてるワケないし…」  すみ子はため息をついた。  「でも、GPSでは確かに赤間神宮の境内にいるのよ。ぐるぐる回ってる感じ。なんで会えないんだろう」  美希が、眉を八の字に曲げた。  「あのう。差し出がましいんですけど…」  「何? 遠慮しないで言って」  「お互いに回っていると、かえって会えないんじゃありませんか? よくいいますよね。迷子を探す時は、一カ所で動かない方がいいって」  すみ子も同じように、眉を八の字に曲げる。  「それもそうかもね。いっそ、水天門の外で待ってようか」  すみ子はGPSを見たまま、ずんずん先に立って階段を降りて行く。  灌二と美希は、左右を見回しながら後に続いた。  水天門をくぐり、更にもう一つ階段を降りたところに、小さな池がある。  「ここでいいわね…」  すみ子が呟いた刹那である。  水天門の後ろから、灰色の影がすうっと現れた。  サングラスをかけている。  灰色に見えたのは、グレーのコートだ。  影は、すみ子達三人をじっと見つめると、ポケットの中を探る。  影は、そこから取り出した何かを掴み、大きく振りかぶった。  そのまま、長い右腕を斜め下へ向けた振り下ろす。  黒っぽい物体が、空をつんざいて飛んだ。  「危ない!」  灌二が叫び、美希の前に立ちふさがった。  「きゃっ!」  美希が眼を見開き、戦慄する。  美希の前に立ち尽くす灌二が、笑みを浮かべてながら振り返った。  「美希ちゃん、大丈夫だった?」  「私は、大丈夫。かすり傷一つ、負ってないわ…」  灌二の顔を覗き込み、美希は青ざめた。  「灌二君は? すごい汗だけど…」  「僕は…」  灌二は左の腕を押さえ、がくりと膝を突いた。  腕を押さえた右掌。更にコートの内側を伝って、鮮血がどっと溢れ出る。  「きゃあっ! すごい血!」  美希は両掌を左右の頬に当てる。  「大丈夫? 痛いでしょ」  美希が、灌二の背中を撫でる。  「大変!」  すみ子が、灌二のもとへ駆け寄った。  「傷口、見せてくれる? コート、脱げるかな」  脂汗を滴らせたまま動けない灌二に代わり、美希がコートを脱がせ、学生服の袖を捲り上げた。  「すごい、重傷…。大きな穴が開いて、深い傷」  美希が涙を浮かべた。  「救急車呼ばないと、ダメね」  すみ子はスマホを取り出し、操作を始める。  「気休めかも知れないけど、少しでも血を止めないと…」  美希はボケットから純白のハンカチを取り出すと、灌二の傷口を縛る。  連絡を終えたすみ子が、近くに落ちていた大きな石を拾い上げた。  石には、灌二の血糊がベットリと付着している。  「こんな大きな、尖った石をぶつけて来るなんて、卑劣な…」  「私のほうに飛んで来たんですよ。灌二君が庇ってくれなかったら、私死んでたかも…」  美希の頬に、涙が伝った。  「ごめんね。私がこんなところに連れて来たばっかりに、ひどい眼に…」  灌二の右掌を握り締めるすみ子の眼にも、涙が滲んでいる。  「あのグレーのコート。何者なのか…」  すみ子は、辺りを見回した。  グレーのコートの人物は、既に影も形もない。  「火の山でワゴン車を急発進させた、あの女?」  すみ子は、首を傾げた。  「でも、サングラスかけてたってだけだからなあ…。別人かも」  「あっ」  顔をしかめたまま沈黙していた灌二が、ふと上を向いた。  「ギャッ」  大きな叫び声を上げたのは、すみ子だった。  「ゴメン。何か頭の上に降って来たわ。痛くないけど、ビックリしちゃった」  すみ子の前の地面に、赤い封筒が落ちている。  「あの…。う、上。み、見てください」  灌二が、歯を食いしばりながら言った。  「上?」  すみ子は上空を見上げた。  「ドローンだわ…。ドローンが封筒を落として来たんだ」                  
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