(八)

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(八)

 (全ては、巻き込んでしまった私の責任。こんなものじゃ、罪滅ぼしにならないけど…)  灌二が担ぎ込まれた救急病院の売店で、すみ子はチョコレートやスナック菓子、缶ジュースなどを買い集めている。  (本来なら、大人である私が守ってあげなきゃなのに、何もできなかった)  すみ子は、眉間に皺を寄せた。  (ああっ。忌々しい! 情けない私)  レジを済ませ、灌二の病室へ向かう。  ノブに手をかけ、薄くドアを開けかけた時、灌二と美希がひそひそと話をしているのが聞こえた。  (私の批判をしてるのかな。されても、仕方ないけど)   すみ子は影を潜め、耳をそばだてた。  「もう、痛みは収まった?」  美希は、灌二の手を握っている。  「うん。傷口、縫って貰って。痛み留めもいただいたし」  「でも、骨にひびが入っていたんでしよ。じっとしてないと…」  「井中先生を探せなくなっちゃったのは、残念だけどね」  二人は、しばらく沈黙した。  「こんな時になんだけど、私ね…」  美希が口を開いた。  「嬉しかったんだ。灌二君、初めて私のこと、『美希ちゃん』って呼んでくれたでしょ」  灌二は頬を赤く染めた。  「うん。いつも心の中では『美希ちゃん』だったんだけど。さっきは美希ちゃんを守らなきゃっていう高揚感と痛いのとで、つい口に出ちゃったんだ」  「どうしてこれまでは苗字のほうだったの?」  灌二の頬が更に赤みを増した。  「僕にとって美希ちゃんは、何ていうか…。ま、まぶしかったから」  「まぶしかった?」  「初めて会った中一の頃は、お互い子供だったからね。特別に思うことはなかったけど」  灌二は美希のつぶらな視線を避けるように、俯いた。  「中二中三になると、美希ちゃん、どんどん綺麗になって、大人っぽくなって行くし…」  灌二は、しきりに眼をしばたたかせる。  「僕はタダの観察オタクだけど…。美希ちゃんは聞き出し上手で。いつもすごいなって思ってたんだ」  美希は、小さく首を振った。  「ううん。私は子供の時から大勢の大人に囲まれて育って来たから、話を合わせるのか得意なだけよ」  灌二は美希と繋いでいる手に、少しだけ力を込めた。  「馴れ馴れしくすると、美希ちゃん、僕から引いて行ってしまうかと。それが怖くて…。だから、名前で呼んだりできなかったんだ」  「馬鹿みたいね」  「えっ」  灌二は、美希の手を離した。  「だって…。相思相愛だったのに、二人とも同じこと考えて、距離を置いてたなんて」  美希は、離れた灌二の手を、再び握りなおした。  眼を閉じ、灌二の顔に唇を近づける。  (わっ。キスしようとしてる)  すみ子は思わず、身を乗り出した。  (上杉さん、おっとりしてるようで結構大胆)  勢い余って、すみ子の身体がドアにぶつかった。  ドアが全開になる。  振り向いた美希と視線が合い、すみ子の頬は真っ赤に染まった。  美希の頬も、紅に色付いている。  「遅くなってゴメン。お菓子とジュースを買って来たわ」  すみ子は、後ろを向きドアを閉めた。  「あ、ありがとうございます。あのグレーのコートの人物は何者だったのかなあって、話をしていたところです」  灌二が取りなすように、口を開く。  「そう。誰かしらね」  (私、何も聞いてない。見てもいない。ということにしとこう)  すみ子はお菓子やジュースの入った袋をベッドサイドに置きながら、首を傾げる。  「状況からしまして、変質者が通り魔的に石を投げて来たとは、考えにくいですよね。私達がGPSで井中先生を探していることを察知した人物の仕業ではないでしょうか」  美希が袋の中からチョコレートを取り出しながら、言った。  美希からチョコレートを受け取り、灌二が続けた。  「僕が思うに、例のサングラスの女性ではないんじゃないかと」  「違うの? 私はてっきりアイツかと思ったんだけど」  すみ子は、袋から缶コーヒーを取り出し、口を付けている。  「ちょっと高い階段の上から投げ降ろした点を考慮したとしましても、これだけの怪我をさせられたんです。女性とは考えにくい。男性の中でもかなり腕力のあるほうではないかと思います」  「なるほど。カオルさんを第一の当事者。サングラスの女が第二とすると、第三の男ってことか」  「『第三の男』って、昔々の映画でありましたね」  美希が眼を輝かせる。  「よく知ってるわね」  「父方の祖父が、大好きで。一緒にDVDで観たことあるんです」  「ふふ。あなたはやっぱり、周りに愛されてるのね」  すみ子は頬に小指を当てた。  「でも、何で第三の男が私達の行動を邪魔しようとしたんだろう? 狙われたのが上杉さんだっていうのも、納得行かないわ。私を狙うならわかるけど」  灌二と美希は、口を噤んだ。  「あっ。そういえば…」  しばし沈黙の後、灌二が口を開いた。  「ドローンが落として来た赤い封筒は、開けてみましたか?」  「まだよ。あなたをお医者さんに診ていただくのが先だったから」  言いながらすみ子は、コートのボケットに手を入れた。  「この封筒にも、『すみ子さんへ』って宛名が書いてあるわ」  すみ子が封を切った。  白い便箋を、眼前に広げる。  「午後四時 壇ノ浦 時子?」  便箋を美希に手渡すと、すみ子は腕を組んだ。  「間違いなく、カオルさんの字。次は、壇ノ浦に来いってことね」  美希が首を傾げた。  「私、ちょっと腑に落ちないんです。井中先生はドローンなんて持ってらっしゃらなかった。一体誰がドローンを操作していたんでしょう」  「こっちへ来てから買って、操作を覚えたんじゃないの」  「そんなに短期間で、出来るようになりますかね」  なおも首を傾げる美希。  「ゴメン。それはまあ、置いといて…」  灌二が話を戻した。  「今度の井中先生からのメッセージは、赤間神宮の時とは違いますよね。『時子』っていうヒントが追加されてます」  すみ子が頷いた。  「太田君のカンが当たっていた。『時子』に意味があるってことよね」  「うん。太田君も、すごいじゃない。いいカンしてるわ」  (太田君「も」?)  思わず出てしまったらしい美希の言葉に、すみ子はほくそ笑んだ。  「平時子さんは壇ノ浦で入水された訳だから、当然関係は深いんだけど…。この場合は井中先生からのメッセージ。壇ノ浦の中で時子さんに縁のある場所に行けば、先生に会えるってことかも知れない」  「だよね。心当たりがあるの?」  「あるよ」  灌二は頷いた。  「壇ノ浦に面した海岸に、みもすそ川公園というのがあって。『見るべき程の事をば見つ』と名セリフを残して入水した平知盛の像があるんだ。そのすぐ近くに、時子さんの辞世の歌を刻んだ石碑がある」  「なるほど。そこ、行ってみるわ」  すみ子の頬から、笑みが消えた。  腕を組み、キッと前を見据える。  「済みません。偉そうなこと、言うだけ言っておいて…。僕はご一緒出来ません」  灌二は包帯でぐるぐる巻きになっている左腕を、右手で指差した。  「ごめんなさい」  すみ子の前で、美希が深々と頭を下げる。  「私も、行けません。私を庇って大怪我をした太田君を、一人置いて行くことは出来ませんので…」  「当然よ」  すみ子の声に、力が籠もる。  「そもそも今回のことは、カオルさんと私の問題。なのに私、つい心細くてあなた達を巻き込んでしまった。私のほうが一回り年上なのに、あなた達に甘えてたんだわ」  すみ子は灌二の左腕に眼を向けた。  「太田君に怪我をさせてしまって、やっと私、覚悟が決まったの。今まではカオルさんと別れるかもって結果が恐くて、心の底で怯えていた。でも、もう結果を恐れるのはやめるわ」  すみ子はまっすぐ前を向いた。  「どんな結果になっても、構わない。私の手で、事態を決着させてやるわ」      
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