シェリダン三面記事

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シェリダン三面記事

 真夜中の電脳海溝(サイバー・トレンチ)は昼間よりズット明るい。烏羽(からすば)ヒナはマスク越しに、二進数が作り出す天の川の様な光景を眺めた。無限に沈む絶壁、その表面を走る無数の(ワイヤー)が青白く発光し、データが正常に流れている事を主張する。触れれば瞬時にサイトと繋がる。  トレンチの利用者は大半が夜行性だから、日付が変わる頃、徐々に青い光がホタルイカの様に集まり出す。午前二時を過ぎれば、深海である事が嘘の様に、辺り一帯はシンジュクの街角と同程度の賑わいを呈す。  表の電脳空間(サイバー・スペース)から、薄皮一枚潜る(ダイブ)しただけで現れる、犯罪者達の巣窟、ここトレンチが、ヒナの仕事場だった。健全な表側を逃れた日陰者達が、深海の奥底からワイヤーを伸ばし、バレないよう裏側から(サイト)に繋げる。そうして有料のサービスにタダ乗りしたり、金庫の金を流失させたり、みみっちい事をしている。或いは、トレンチ内で絶縁ドラッグをやり取りしたり、非合法なDNA(かつての殺人鬼や独裁者なんかの)売買をしたり、殺人の請け負いをしたりと、大それた事をやっている者もいる。が、ヒナの管轄は、前者、表に干渉してくるみみっちい連中だった。  最新型のマトリックス・マスクの位置を整え、ヒナは指先を動かした。今回の仕事は、アイドル「シノノメ・愛理」のオールナイトライブを不正視聴している連中を特定し、接続(アクセス)を切断する事。  愛理の歌とダンスはヒナも好きだ。今回もチケットを買おうとして、抽選で外れた。だからこそ、今回の仕事はそこそこやる気だった。タダでアイドルのコンサート会場に紛れ込む奴がいて、そいつが自分の隣にいたら、遠慮なく殴り殺してやるつもりだからだ。  慎重にダイブし、浅瀬から表を見上げる。と、まるで海面近くから空の雲を見上げた魚の様に、幾多のサイトが境界越しにヒナの目に映った。その中で、一際キラキラと極彩色に輝く愛理のサイトを選んで触り、仮想ライブ会場を担うページのバックヤードへと自分の視界をいざなう。チケットコードに守られた正面玄関には穴がなかった。ならば、裏側にトレンチから侵入しているワイヤーがある筈。  案の定、深海深くからサイトの背面へと、数百本の青い線が伸びて、図々しくも穴を空けている。今頃、一般客のフリをしながら、愛理の歌にコールでもしているのだろう。  反吐が出る。  ヒナは両手を握って、不正アクセスするワイヤーを全て引っ張った。みみっちいとはいえ、犯罪者達だってバカじゃない。サイトと繋がったワイヤーの先端を切断した程度では、こいつらはまた新しい線を伸ばしてくるだけ。イタチごっこだ。駆逐するなら、根本から切断しなければいけない。だからこそ、ヒナはその根元を手繰(たぐ)り寄せている。  しかし、トレンチ深くに沈む根本を引っ張り上げるだけでも、簡単ではない。余程の間抜けでもなければ、連中は大概、無限延線で対策している。ワイヤーを普通に辿っていったら、終点に着くのに天文学的な年数が掛かる。無限に広がるトレンチの特性を利用した厄介な対策だ。が、ヒナには関係ない。十五分あれば充分解決する。  コツがあるのだ。無限延線のほとんどが無意味なフェイクだと知っていれば、後は仮想(バーチャル)化を処理している本物のワイヤー部分のみを手繰ればいい。全身のバーチャル処理には、それなりの容量を必要とするから、発見は比較的容易だ。  指先を繊細に動かし、データの重みを確認していく。手慣れた作業は順調に進み、五分後には百本、十分後には全てのワイヤーの根本が特定出来た。 「よいしょっ」  掛け声と共に数百本のワイヤーを引き上げれば、フェイクは霧散し、ワイヤーは呆気なく全容を露にした……根本に個人認証(パーソナル・アテスト)をぶら下げた状態で。こうなってしまえば、相手は丸裸も同然。  アテストの番号を本部に送信する。これで、この数百人は、チケット代の十倍近い罰金を支払うハメとなった。それから根本のワイヤーを、スプラウトを収穫する様に、ブチブチと、いっきに切断する。これで、愛理のライブ会場から、無銭観客は一人もいなくなった。  取り掛かってから丁度十五分。これで今夜の仕事は終わりだ。
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