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 その日の午後十時、もう早めに寝てしまおうとベッドに入ったのはいいけれど結局何時に眠ろうとしても変わらないようで、晶は諦めてベッドから起き上がった。  こんな時思うのは、悠斗のことだった。あの歌声があれば眠れるのに……そう思いながらその脳裏に浮かんだのは、歌声ではなくて、悠斗の笑顔だった。それと、自分を強く抱きしめる腕。自分よりもずっと高い体温と、柔らかな唇――全部を思い出してから、それが恋しいと思った。  この感情には、覚えがある。 「……僕は、随分ひどいことをしたな……」  まだ自分で気づいてなかったとはいえ、甘えるだけ甘えて、することだけして、自分たちの関係をただのお隣さんに落とし込むなんて最低だ。  どんなにいい人でもただのお隣さんのわがままを聞いたりしない。毎日帰ったらすぐに家を訪ねてご飯を作ったりなんてしない。あんなに耳元で甘く歌ったりしない。何よりあんなに優しく抱いたりしない――とっくの昔に、悠斗の感情には気づいていたのに。  もう許してもらえないかもしれない、そう思ったら鼻の奥がつんと痛くなった。涙の予感に晶は大きく首を振って、ベッドから立ち上がった。  パジャマの上から上着を羽織っただけで玄関ドアの外に出た晶は震える指で悠斗の部屋のインターホンを押した。しばらく沈黙を我慢していたが、反応がないのがわかり、晶はため息を吐いた。怒らせたのは自分なのだ、これは当然の報いで、今更気づいた自分が悪いのだ。  悠斗が好き。  そんな単純な気持ちにも気づけなかった自分のせいだ。  諦めて部屋に戻ろうとしたその時だった。晶、と自分の名を呼ばれた気がして、晶は振り返った。 「探した。こんなところにいたんだね」 「……前田……主任……」  逃げ切ったと思っていた。もう決して会うことはないと思っていた。  なぜここにいるのか、なぜ前の職場にも内緒にしていたのに見つかったのか、自分はどうなってしまうのか――そんなことを思って晶の心臓は急に速度を上げて鼓動し、同時に握りしめられたように苦しくなる。逃げたいのに、足は竦んで、少しも動かなかった。 「帰ってきてくれないか、晶。君が望むなら妻とも別れる。だからやり直そう」  前田がゆっくりとこちらに近づきながら懇願する。このまま踵を返して走って自分の部屋に逃げ込めばいいのに、晶は恐怖で一歩も動けなかった。呼吸が乱れる。 「やっ、嫌、です……!」  絶対に戻らない。そう毅然と言うと、前田は気色ばんだ顔でこちらに腕を伸ばした。
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