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今宵、月明かりの下で――…
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………
…
夫は銅の鍋と睨めっこしていました。
夫は王国貴族の中程に列し、人間と“彼等”との窓口をしています。
そして、紅茶道楽でした。
初めて親族と食事した時の食器の豪勢なこと、料理はもちろん、紅茶が異次元の味をしていたことは今でも覚えています。
おいしすぎると、おいしいとすら言えなくなるものですね…
「ロンドさま。」
「なんだ。」
「ガスボンベも限りがあります。程々にお願い致します。」
「…分かった。」
そうそう、わたくしはその嫁です。
嫁入りは七転八倒、奇々怪々、脅迫からの大反省でしたが、わたくし自身は軍人でしたので、夫と生活を共にするまではインスタント暮らしでした。ですから、茶葉から入れる紅茶というのも初めて頂きましたし、ぐつぐつと煮立てて作る紅茶というのも、初めてです。
「アシャーヒと言う。
“一杯目は人生のように苦く、二杯目は愛のように強く、
三杯目は死のように甘美”
…昔“箱庭”の本に、運命を司る神の名として同じ名があったのを
思い出して…御陰で飲んでみたくなった。」
なんでも、沙漠で飲まれる紅茶だとか。
先ず、茶葉と砂糖と水を銅の鍋に放り込み、ぐつぐつと煮出します。
茶葉と砂糖は、可能な限り沢山入れます。
銅のミルクパンは、手持ちで熱伝導率を優先したからです。
煮立ったら鍋を高く持ち上げ、テーブルに置いた耐熱グラスで受けます。
こうするとお茶が泡立ちますので、後はミントの葉を入れれば完成です。
「ん。」
「ありがとうございます。ん!甘いけど、美味しいですよ。」
茶こしを使わないので、この紅茶には茶葉も入っています。しばらく待って、茶葉が其処に沈んでから飲みます。
出来たお茶は、甘くて、ほんの少し苦くて、爽やかなミントが漂っています。
甘い物は苦手ですが、これはいけます。美味しいです!
「暑い、二度とやらん…」
夫は――味以前に火元で暑かったのでしょう――お茶を前に、背中から虫の茶羽根を出し、ふらーっと飛んで行ってしまいました。
「ちょっと一周してくる。」
「はい、お気を付けて。」
今宵は満月。
明るい夜空の下で、蜂の皇子が飛んでいます。
蜂は昼行性だったと思いますが、夫には関係ない様です。
(なんだかとってもきれいです…)
そうこうしている内に、あれだけ煮立てた紅茶も冷めてしまいました。
これではいけません。
満月に映る夫を見ながら、カセットコンロに火を点けます。
本来は沸騰させるべきでしょうが、夫は暑がりですし、ガスボンベの残量も心配なので、ほどほどに。
「ただいま。」
「お帰りなさい。」
紅茶が程よく温まってきた頃、夫が帰ってきました。
「アシャーヒは冷めてしまったかな。」
「そう思って、温め直してありますよ。」
「そうか、ありがとう。」
「どういたしまして。」
夫はやっと紅茶を口にしました。
ちびりちびりとお酒みたい。
「美味いな。これはまた飲みたいが…」
夫も、作成課程以外はお気に召した様です。
そろそろ片付けと就寝に入らないといけませんが、その前に。
「この後、ナイトツアーをお願いしてもいいですか…?」
「ん?」
「お月様が、キレイなので。」
「…月の真下で飲む紅茶も悪くないか…」
「はい!」
「そうか。
…ならば、共に。」
夫と空でお茶したくなりましたので、行って来ます。
涼しくなった秋の満月。
十五夜だと窓を開けてみると、ウサギ以外のお客様がいるかもしれません。
今をときめく夫婦なので、無闇に爆発したりせず、そっとしておきましょう。
今宵、月明かりの下で――…
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