エンドロール

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今日は雲ひとつなく空気も澄んでいて、夜空にはたくさんの星が見えていた。 パソコン部室から出た僕達は暫く黙って、飛び込み用の段差に座り星を眺めていた。 時刻はいつの間にか0時を過ぎていた。遠くの夜景に浮かぶ灯りも数を減らし、街は眠りにつこうとしている。 先輩は僕の推理を聞き終えると、霧が晴れるように消えていった。人は一晩に3つは夢を見るらしいから、今頃は別の夢を見ているだろう。 悪夢じゃないと良いなと思うけれど、悪夢だったとしても目が覚めれば全て忘れる。その方がいいだろう。 「結局、今日したことに意味なんか無いんだよな。別に証拠があるわけでも無いし、表沙汰にしたくもないし」 「そうかなぁ・・・」 隣のコースの段差に腰掛けた花が、足で水面を撫でながら呟く。水面は少しも波立たず、静かに揺れるのみだが。 「少なくともさっきの悪夢は終わったんだし。これからも少しは悪夢に悩まされるかもしれないけど、回数は減ると思う。きっと、みんな頭のどこかでは憶えてるんだよ。夢だったとしても」 プールに反射した月明かりが花の顔を照らし、それを見る瞳がまた光を湛えている。 物理的観点で言えば、幽体が光に照らされるのかは知らないけれど、僕にはちゃんと見えているから問題は無い。 「頭のどこかで憶えてる・・・か」 僕が今日取り戻した幼い頃の思い出は、酷く断片的で不完全だ。 それは誰でもそうなのかもしれないが、これからも取り戻す努力は続けたい。 その為には1つ、どうしても知っておきたい記憶が残っている。 「花、あの夏の日にあったことを教えてくれないか?僕が溺れて、全てを忘れた日」 花は足の動きを止め、膝を抱きしめる様に腕を組んでこちらを向いた。 「そうだね」 遥か遠くで、水滴の転がる音が聞こえた気がした。 「あの日私は、病院のベッドで眠っていた。病名とかは言いたくないけど、1日の殆どを眠って過ごしていたの。だからいつも鍛冶屋くんに会えたんだけどね。でもあの日は白い家には居なかった。当時は珍しかったんだけど別の夢を見てたんだ。ひどい嵐の中で迷っちゃう夢で、とても怖かったのを憶えてる。でもその時、声が聞こえた気がして振り返ったの。そしたらいつの間にか空に浮いていて、下には川が流れてた。その川縁に男の子が集まっているのが見えて、中心に倒れた鍛冶屋くんが見えた・・・。必死に呼びかけるけど誰にも声が届かなくて、鍛冶屋くんは全然動かない・・・とても怖かったよ。次の瞬間にはベッドの上で目が覚めた。そして鍛冶屋くんが白い家に・・来なくなったの・・・」 「そうか・・・」 「ごめんね。鍛冶屋くんがなんで夢の記憶を失ったかは分からないの。だけど鍛冶屋くんが、もう白い家には来ないかもしれないと思った時、きっと忘れられたんだと感じたの。うまく説明できないけど、夢の中でだけ感じる確信の感覚、分かる?」 夢の中で感じる既知の感覚。自分が知るはずのない知識や常識を当たり前のことの様に感じるあの感覚は、僕も覚えがある。 僕が知りたいと願っている“忘却の理由”自体、そういうものと同じなのかもしれない。 理由や原因どころか、意味すら無い。 「まぁいいさ。夢の顛末に大仰な意味なんて探してもしょうがない。だけど・・・」 「・・・?」 最初からかけるべきだった言葉は、喉の奥に引っかかってなかなか出てこない。改めて口に出そうとすると、妙に小っ恥ずかしくなった。 でも、僕には大切な事なのだ。 「思い出すのを手伝ってくれないか?思い出せるだけ思い出して、またあの家で過ごしたいんだ」 僕の言葉に花は柔らかく笑って 「もちろんだよ」 と言ってくれた。 花はその場で立ち上がって伸びをする。 そういえば、ひとつ判明したことがあった。 「白山先生の妹って事は、花の本名は白山凛花か。今度クラスに会いに行くよ」 花はフフンと鼻を鳴らし、ほんの少し舌を出す。 「残念でした!お姉ちゃんは結婚して苗字が変わってるから違うよ。モチロン口止めもしてあるし!」 「なんでだよ!」 「個人情報です〜」 すると、花が閃いたとでもいう様に手を打ち鳴らす。 「そうだ、代わりにいいこと教えてあげるよ。私のプールがお気に入りな理由」 「理由?」 突如、『せいっ』なんて掛け声を上げて、花が僕の背を押す。 幽体と幽体は触れ合える。その法則に従い僕は勢いよくつんのめり、頭からプールにダイブした。 「おわっ!」 反射的に息を止める。もちろん溺れる心配は無いが、水中恐怖症が顔を出した。 「おぼれ・・・!」 すると遥か上から花の声が降ってきた。 「大丈夫だよ!」 上を見上げると、水面がゆらゆらと揺らめき、街灯や月明かりを拡散しながら輝いていた。 やがてその光を纏う様に花が現れ、僕に手を伸ばす。 光のベールを背に舞い降りるその姿は、初めて目にした様でいて、幾度も目にした様な気もした。 その救いの手は、いつも僕を引き上げてくれる。 僕はその手を握り、キラキラした水面へ上っていった。 在りし夏のアストラル・END
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