The wish of a sleepless friend 眠れぬ友の願い

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 私ことヒューゴーが不眠症を患ったのは、今から七年前の、いつものように霧の出た秋の日のことだ。  長らく勤めていた地元の銀行を加齢で辞め、さあ第二の人生が始まるのだと思った矢先のことである。  興奮した馬車が私に突っ込んできて、したたかに頭を打ったのだ。  それは酷い怪我を負い、一時は生死も危ぶまれた、しかし、三ヶ月眠り続けた結果、私は目覚めた日から、ただの一日も眠れない身体になってしまったのだ。  妻のポリーは私の生還に歓喜してくれた。  やや太めだった私の歩行訓練にも、細い体で快く付き合ってくれ、甲斐甲斐しく付き添ってくれた。  ただしかし、眠らないでいることだけは、流石のポリーにも不可能であった。  医師に訴え、度重なる検査の結果、私は事故で頭に強い衝撃を受け、眠らなくてもよい体質になってしまったそうだ。  入院中も退院後も、ただ黙ってベッドに横になり、朝を待つ生活は苦痛だった。  日中、沢山の散歩をしようと、安っぽいつまらない観劇を見に行こうと、まるで眠れない。酒は体質に合わず、一口も飲めずに皆吐いてしまうので、シェリー酒やジンを煽って、深酒で眠るなどとはもっての他だ。  愛する妻、ポリーの作ってくれたホット・ミルクや、あまり得意ではない香りのハーブティー(これはポリーが庭で育てているハーブなので、大っぴらに不味いとも言えない)、良い香りのポプリを枕元に置いてみたりしたが、まるで眠れない日々であった。  起きていてもすることがないが、あまり音を立てるとポリーを起こしてしまう。就寝時間から、夜明けの朝日を見るまで、私は何をするでもなく、パイプをふかしたり、届いた新聞を読んだり、部屋の掃除をしたり、乾いたポプリをつまんで粉にするなどした遊びをしていた。 「あなた、ペン・フレンドなどを作ったらどうかしら?」  どうせ眠れないならと、新聞配達の仕事をしようとしたが、太っちょで高齢の私より、すばしっこくて若い子供の方が重宝されると、不採用の言葉にがっくりしていた私に、ポリーが言った。 「こんなに広くて近代化した街ですもの、あなたのように、眠れない人を新聞広告で募れば、お友達ができるかも知れないわ」 それに、とポリーは続けて言った。 「手紙を待っている間は、昼も夜もなく焦がれて、時間なんてあっという間よ」 なるほど、一理ある。 私は早速ペンを走らせることにした。
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