月下の妖精

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 月明りの夜。僕は林の中をさまよっていた。この先に妖精が踊る湖があると。そして今夜の様に月明りがきれいな日には決まって踊りを踊っていると。僕は草をかき分けけもの道をひた進み山の中にあるという湖を目指す。幾重にも幾重にも。草花は容赦なく僕の体に襲ってくる。時には岩に躓き転びそうになったり。草の繁りで足を取られたり。昼間の様にはいかない。昼間であれば視界がクリアで足元にも注意が行き届く。でもいくら月の明かりがきれいだからと言っても林に立ち並んだ木々たちが光を遮る。まるで僕の行く道をふさいでしまうかのように。林は生き物のように僕の行く道を遮っていく。草も木も。けもの道も狭くなっていきもう勘で進んでいくかのようだ。幾重にも印を刻んだ木々にも嘲笑われているかのように。見たことのある印まで出てくる。まるで妖精の湖を林が意図的に隠しているかの様に。2時間。僕は歩き続けたが今では地図もコンパスも役に立たない。迷ってしまった。おかしい。昼間であればこんなことなんてありえないのに。昼間であればすんなりと行ける道のはずなのに。どうしてもたどり着かない。僕は少しの休憩と空腹を満たすために持ってきた食糧で腹を満たす。飯盒で炊いた米。温めたレトルトカレー。レトルトカレーを温めたお湯で作ったコーヒー。この食事も本当は月明りの差し込んだ湖で食べたかったものだ。予定よりも遅れていることは確か。状況も芳しくない。ここはどこなのだろうか。本当にたどり着くのであろうか。いやそれよりも帰る道も確保しないとこの林で遭難してしまう。そうなってしまうとシャレにもならない。諦めてきた道に戻ろうとする。その時に月明りに変化があった。まるで僕をいざなうかのように。月明りは優しく僕に語り掛けてくるようだった。僕は慌てて飯盒や鍋をしまうと月明りが指示した方向へといざなわれていく。不思議な感覚だった。今までけもの道で苦労していたこともあった。でも月明りに誘われて歩む足取りは非常に軽かった。空腹を満たしたから。いやそんな理由では無いと思う。優しい月明りが僕を誘う。誘われて僕は歩みを止めない。不思議な事。林の木々に遮られているはずなのに月明りは僕を包み込むかのように優しく微笑む。その微笑みにつられて僕も向かう。1時間ほどそんな状態だっただろうか。水音がし始めて徐々に大きくなっていく。迷ったはずの僕はその湖にたどり着くことが出来たのだ。湖。もしかすると妖精が居るかも知れない。僕はそっと湖の岸辺に歩みを進める。そっと。そっと。音を立てずに息を殺して。妖精に気が付かれないように。慎重に進むこと30分ほど。湖の全容が見えた。月明りに照らされて揺れる湖面は乱反射して僕の元にその光を運ぶ。月の映し出された湖面。丁度天界の月が湖面に映し出されているところに人影があった。きっと妖精だ。僕は息を飲む。妖精は月をじーっと見上げている。そしてしばらくして妖精は踊りだす。なめらかな身体の動き。流れるような体の動き。言葉にしようがないその美しい動きに僕は見とれてしまう。どっと警戒心の薄れた僕はその踊りにつられて湖の岸辺まで歩みを進めてしまう。見つかることも恐れずに。ただただ見とれてしまっていた。僕が見とれていると妖精は最後の踊りなのかポーズを決めて静かに湖面に立ち上がる。そして僕と妖精は視線が合ってしまう。まずい逃げられてしまう。僕の頭の中ではそのことでいっぱいだった。しかし妖精は僕と視線を合わせるとにっこりと微笑んで見せた。妖精のいる位置までは遠いがなぜか表情は読み取ることが出来た。歓迎されているに違いないと僕はそう感じとった。あの表情は僕の目にしっかりと焼き付いた。  私は何時ものように湖面に向かう。このように月明りがきれいな時は私の時間でもある。湖面の下から私は這い出る。この湖の構造は複雑になっていて私達の住まう場所は大自然が作った鍾乳洞の中になっている。迷路のような造り。これは自然が織りなした産物。だから私達はそう簡単には見つからない。昔人間が潜ってきて入り口を見つけたこともある。でも私達の住まうところまでは流石にたどり着くことはできなかった。人間は知性があるが弱い生き物でもある。水の中に入ればすぐにおぼれてしまう。文明とか言っている力を使っても私達の住まう場所までは到底来れないのだろう。その時来た人間は私達の住居につながる道までは見つけることはできなかった。いや出来ていたら私達は今頃存在していないだろう。そんな複雑な道を私は一人泳いで行く。月明りがきれいな日。それは私にとっては嬉しく楽しい日であるから。この日だけは湖面に上がることが許される。人間の来るリスクはあるがでもそれは私達にとっては狙いでもあったりする。月に一度の儀式。私はそれをとり行うために湖面に出ることが許された。洞窟を抜けると水面に照らされた月が見えた。私はゆっくりと浮上していく。意外と深い湖。だから一気に上がると気圧の差で体調を崩しかねない。一度慌てて上がったこともあるけどその時はひどい吐き気に襲われてしまった。その時の事を思い出すだけで私にとってはトラウマだ。ゆっくりとそして月に照らされている湖面が少しずつ近づいてくる。焦らずゆっくりと私は浮上を続ける。そして水面までたどり着くと深呼吸をしてから湖面へと顔を出す。別に水の中以外で呼吸ができないわけではない。なんとなく。これは私の癖なのかも知れない。そしてゆっくりと湖面の上に立つ。風と月明りが心地よい。私はきれいな月明り。満月の月明りをめい一杯浴びる。普段の洞窟暮らしを考えるとこの時が私にとっては一番の解放感を感じる。しばらく月を眺める。そうすると見知らぬ気配を感じる。私は月に祈祷しそれを導くことにした。頭の中を空にして私は祈祷を続ける。祈祷を続けて刻一刻と時間が過ぎていく。大丈夫辿ってきているようだ。私は月への願いを続ける。意外と来るのが遅い。あれは迷いの林。昼間は明かりがあってこちらに気安いのだが夜になれば林は生き物のように人間を惑わす。そして林の肥料へと変えてしまう。そうはさせない。私はここまで導けるように月に語り掛ける。願いが通じたのか気配は湖のそばまで来た。ここまで来たのであれば祈祷は不要だろう。私は月を見上げるといつもの踊りを始める。代々私に受け継がれてきた踊り。月を慕う踊り。何回も何回も叩き込まれた。覚えるまで容赦はなかった。あの時は恨んでいたがでも今は違う。こうして月に照らされて踊ることが出来るのだから。私は舞う。月の為に。私は踊る。私達の為に。そうして奇麗な月明りの下で踊り終えると私はゆっくりと立ち上がる。そして。月に祈祷して辿り寄せた人間。それは男の様だった。私の踊りに見惚れていたようで硬直している。私は視線を合わせると男も視線を外すことが出来ないようだった。私は微笑む。めい一杯に笑顔を男に渡す。ここまで来てくれたことに感謝。そして月に祈祷して連れてきてくれたことに感謝。そして巡り合えたことに感謝。月の導きに。光の導きに。その全てに感謝をして男に笑顔を送る。遠く離れていてもそれでも男には私は笑顔を送っているのは分かるだろう。そして。そして。この笑顔の意味。本当の笑顔の意味。きっと男は知らないまま。知らないままになるだろう。  今日のご馳走見つけた!
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