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灰色の空に喚声が挙がった。軍馬のいななき、蹄の音。政宗の陣へ伝令が駆け込む。
「敵勢、明石掃部の隊が攻め寄せてまいります!」
「来たか。では鉄砲隊を ——」
「なりませぬっ!」—— 別の伝令が遮った ——「明石隊に崩されたお味方の神保隊がしなだれかかってまいります、そこへ鉄砲を射かけるわけには!」
「くそっ ——」
政宗は唇を噛んだ。滲んだ屈辱の味が、舌先から乾いた口中へと流れ込んだ。
***
—— 深紅の甲冑を身につけた馬上の将、その影が、政宗の脳髄を駆け巡る。
「関東勢に男はないと見える! ご公儀の犬め、強きに属し、やれ和だ義だと振りかざす、それが貴様らのいくさか!」
馬上の武将は政宗を見定めると騎乗のまま距離を詰め、気がつくと政宗は深紅にかがやく武将に見下ろされるかたちとなっていた。その影はおののく政宗へ手を差し伸べ、その身を馬上へと引き揚げた。
「強きに属し、やれ和だ義だと振りかざす、それが貴様らのいくさか!」
***
—— 漆黒の甲冑を身にまとった若き日の政宗が馬を飛ばす。
「ハッ!」
掛け声とともに鞭を入れ、馬の蹄が砂塵を散らした。
阿武隈川の河畔にて、伊達の鉄砲隊と二本松義継の隊とが向かい合っている。川を渡ろうとする敵を伊達の鉄砲隊は襲わない。なぜなら、当主政宗の父輝宗の体が、人質として二本松義継本人の脇に抱えられていたからだ。—— その現場に、政宗は颯爽と姿を現した。
「殿っ!」
途方にくれた伊達隊は主人の姿を仰ぎ見る。—— 片眼の視力を失い眼帯を巻いた隻眼の武将、翳りのあるその面は、冷酷な迫力に満ちていた。
「鉄砲隊、構え!」
「し、しかし殿っ」
「我が軍法に敵味方の別はない。構わず撃て!」
若き当主の一声により、伊達の鉄砲隊は二本松の一味を討ち滅ぼした —— 政宗の父、伊達輝宗を巻き添えに。
***
陣中、壮年の貫禄を得た政宗の隻眼に、在りし日の父の背中が映る。
「……あのときです、私のほんとうの人生が始まったのは。あなたを見殺しにしたことで、私は自分の本性に気づいた —— あなたを失った悲しみは、恐ろしいほどに薄かった……、二本松とともに父上を討ち、敵も味方も関係ない、みずからの意思で乱世を生きていくとこの胸に誓ったのです……」
噛み締めた唇を開き、政宗は声を張り上げた。
「これが最後のいくさである、楽しまずしてなんとする!」
敗走する神保隊は、追撃にかかる敵勢もろとも伊達鉄砲隊の砲火を浴びた。伊達政宗の最後のいくさ、生涯最後の公儀への反抗、悪あがき —— その美学のための犠牲となった。神保氏は当主を失い、その遺臣は伊達家へ抗議を申し入れたが相手にされなかった。また、徳川の公式の記録には伊達政宗による味方討ちの事実は記されていない。
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