ダイアン、エジプトへ旅立つ

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ダイアン、エジプトへ旅立つ

 紀元前五二七年五月、古代エジプト第二十六王朝時代。  リビア砂漠、エジプトとリビア国境沿い。 「ついにきたな」  ムクターは両目を輝かせ広大な砂漠を眺めた。 「父さん、ここから先がエジプトだね!」  レイラは馬車から今にも飛び降りしそうなほど興奮している。 「そうだよ、レイラ」  ムクターは一人娘に振り返りながら、笑顔を見せた。 「憧れの黄金の都だわ」  母親のマブルーカは瞳を輝かせる。 「母さんは黄金という言葉に弱いよね」  今年十四歳のレイラが悪戯っぽく言う。 「そりゃそうよ。愛より黄金だわ」  母親は当然とばかりに言いぬける。 「愛こそすべてだよ」  ムクターは一言いって、彼方を眺めた。 「あなたのそんなところが好きで結婚したけど、愛だけじゃ食べていけないわ」  マブルーカは夫の横顔をきつくみながら、リビアで如何に生活が苦しかったか不満を並び立てた。 「僕がプロポーズした時、君は本気で僕の愛を受け入れてくれた」  ムクターはムキになって言い返す。 「あなたが言葉巧みに騙したんじゃない!」  マブルーカは今にも噛みつきそうな形相で夫を睨む。 「父さんも母さんも、もうやめて!」  娘の声に夫婦は沈黙した。 「豊かなエジプトだから、みんな幸せになれるんでしょ。ね、父さん!」 「そうだよ! だから来たんだ」 「母さん、あたしたち、もしかして黄金の宮殿に住めるかもしれないわ」 「そ、そうね」  マブルーカは娘に微笑んだ。 「プルルー」 「あれれ? 今、変な鳴き声が聞こえたわ!」 「シッ!」  ムクターは人差し指を唇の前に立て、おんぼろ馬車を静かに止めた。  ゴトゴト、ゴトゴト 「母さんの木箱の中から音がするわ」  レイラはそう言いながらマブルーカが腰かけていた木箱の蓋に手をかけようとした。 「レイラ駄目だ! 後ろに下がっていなさい」  ムクターはレイラとマブルーカをそっと自分の背後に退かせた。 「あなた、用心して」 「わかってる」  ムクターは長い棒切れを握り締めると、棒の先でそっと木箱の蓋を開けた。 「プルルー」 「あっ、子猫だわ!」  木箱の中から、生後、三ヶ月と思われる一匹のリビア山猫の子猫が、姿をあらわした。 「可愛いー。この子、男の子よ」  レイラは嬉しそうに木箱から子猫を抱きかかえる。 「にゃー、にゃー」 「きみは、いつ木箱にもぐりこんだの?」 「にゃー」 「にゃー、じゃわからないわ」 「プルルー」 「その野良猫、変な声で鳴くわね」 「母さん、この子はもう野良猫じゃないわ」 「飼いたいの?」 「父さん、子猫も一緒に良いでしょう?」 「もちろん良いよ」 「ありがとう!」 「レイラ、よかったわね」 「母さん、ありがとう」 「あなたの名前は……ダイアンよ」 「プルルー」 「ダイアンは嬉しいとプルルって鳴くんだ」 「プルルー」 「ダイアンもエジプトに行きたかったのね」 「プルルー」 「さ、エジプトに乗り込むぞ!」  ムクターさんの掛け声と同時に馬車がリビアとエジプトの国境を越えた。 「きゃ! 父さんエジプトに入ったね!」 「うん、エジプトだ」 「プルルー」 「父さん、エジプトのどこへ行くの?」 「猫の神様が守っている町、ブバスティスさ」 「わぁ! すごい」 「猫と人間の楽園だ」 「ダイアン、君はきっと幸せになれるわ!」 「プルルー」  こうしてリビア人家族がまた一組、豊かさに憧れて、黄金の都エジプトに移り住んだ。
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