バステト神殿の白猫

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バステト神殿の白猫

 お昼を少し過ぎた頃、ムクターさん一家はブバスティスの市場に到着した。 「市場、物凄い熱気だね」  レイラは人ごみでごった返す市場の活気に圧倒された。 「小さな町だけど、いま、エジプトで一番活気溢れる町なんだ」  ムクターさんも、様々な人種が行き交うこの町の熱気に煽られ、全身にパワーがみなぎるのを感じた。 「父さん、バステト神殿はどこにあるの?」  レイラは小さな籠にダイアンを入れた。 「市場のメイン・ストリートを北へ向かえば、バステト神殿があると聞いたよ」 「じゃ、急いでその神殿に行きましょう!」  マブルーカさんは、黄金のバステト像を拝めると心踊る思いだった。 「母さん、また黄金病でしょう」  レイラは母親をあきれ顔で見る。 「あたしはバステト様のありがたいお姿を早く拝みたいだけなの」  とムキになって否定した。 「母さんの期待どおりかもしれないよ。何せここは黄金の都エジプトだからね」  ムクターさんが片目を瞑ってみせる。 「黄金が目当てじゃないわ!」  マブルーカさんは顔を真っ赤にした。 「黄金の神殿にレッツ・ゴー!」  神殿にむかって駆け出すレイラに、 「レイラ! 危ないから走るのやめなさい!」  マブルーカさんが大きな声で注意する。 「父さん、母さん、早く、早く!」  レイラはどんどん駆けて行く。 「マブルーカ、ぼく達も走ろう!」  そう言って夫婦も駆け出し、どんどん小さくなっていく娘の後ろ姿を追いかけた。 「あ、神殿が……」  五分ほど走ると、レイラはバステト神殿の正門に着いた。  正門の両脇にはお座りのポーズで二体のバステト神の石像が並び、その門を潜り抜けると長い長い参道の先に、高さ二十五メートルはありそうな荘厳な大理石の神殿がそびえ立っていた。 (神殿が美術品のようだわ)  レイラはダイアンを入れた籠を抱きかかえ、ゆっくりと神殿の門を潜り抜けた。すると、神殿の敷地内には、様々な柄の猫が沢山いて、思い思い好きな場所で好きな事をしながら心地よさそうに遊んでいた。 「プルルー」  猫の鳴き声と匂いに、籠の中のダイアンが騒ぎ始めた。 「にゃー、にゃー」  ゴトゴト、ガリガリ、バタバタ! 「もう、ダイアン騒がないで。気になるんだね。すぐに籠から出してあげるわ」  そう言うとレイラはダイアンが入った籠を地面に下ろし、籠の蓋をそっと開けた。 「プルルー」  ダイアンは嬉しそうに声を上げ、外へ飛び出し、一目散に神殿の中へ走って行った。 「ダイアン!」  驚いたレイラは「待ちなさい!」と叫んで、慌ててダイアンの後を追いかけた。 「どこに行ったんだろう?」  レイラとダイアンがバステト神殿の中に入った後、ムクターさんとマブルーカさんが神殿の敷地内に着いた。 「レイラ!」 「ダイアン!」  ムクターさんとマブルーカさんは大きな声で二人を呼んだ。 「いったいどこに行ってしまったんだ」  その時マブルーカさんが、ダイアンを入れていたレイラの小さな籠を神殿の入り口付近で見つけた。 「あなた、これが!」 「レイラの籠だ」 「神殿の中に入って行ったのよ」 「ぼく達も行こう!」 「はい!」  二人はレイラの後を追ってすぐに神殿の中に入って行った。  一方、ダイアンを追って神殿の奥まで来たレイラは、道に迷ってしまい出口すらわからなくなっていた。 「ダイアン! ダイアン!」  レイラは大きな声で何度も呼んだが声は巨大な建物の中に吸い込まれてしまう。 (ダイアン何処に行ってしまったの)  仕方なくレイラは石の長い廊下を、感をたよりに歩き続けた。 (火がないのに廊下が明るいのはなぜ?)  廊下に光が差し込んでいた。それは外の光を、鏡を使った高度な建築技術で神殿の奥の奥まで導いていたからだ。 (壁という壁にバステト神のレリーフが描かれているわ。どのバステト神も美しく威厳に満ちている)  レイラが歩き続けているうちに突如大きな扉の前に突き当たった。 「ここはなんの部屋かしら」  レイラが恐る恐るその扉を押し開くと、 「あっ!」  目の前にお座りのポーズをした、高さが十メートルはありそうな、巨大なバステト神の威厳に満ちた黄金の像が現れた。 「バステト神様」  レイラが迷い込んだところは、高位の神官しか入れない、神殿の中で最も神聖な礼拝堂だった。 「にゃー、にゃー」 「ダイアン!」  レイラは巨大なバステト神の足元に、ダイアンの姿を見つけた。  ダイアンは黄金の石像に、必死に登ろうとしている。 「ダイアン!」  レイラは喜び、ダイアンのところに走ったが、ダイアンはレイラのことなど気にも留めず、ひたすら巨大なバステト神の足に飛びつき、上のほうへよじ登ろうとした。 「ダイアン」  レイラはダイアンをスッと抱きかかえた。 「心配してたのよ」  レイラはダイアンを落ち着かせようとしたが、彼は石像の上の方が気になるらしく、レイラの腕の中で抗った。 「にゃー、にゃー」  ダイアンは像を見上げながら鳴き続ける。  レイラもダイアンが見ている所を一緒に見上げた。すると、一瞬何かが光った。 「あ、今のはなに?」  ダイアンとレイラが巨大なバステト神の頭上を見つめていると、その光は薄暗い礼拝堂の中でキラキラと輝いた。 「あの光るものはなに?」  レイラは息を呑んだ。 「にゃー!」  静まりかえった礼拝堂の中でダイアンが声を上げた。 「みゃー!」  すると巨大なバステト神の頭上から猫の鳴き声が返ってきた。 「あんなところに猫がいるわ」  石像の頭に一匹の白い猫が姿を現した。 「白いアビシニアンだわ」  思わずレイラは笑顔になった。 「よかったね! ダイアン。お友達みたいよ」 「プルルー」  ダイアンが嬉しそうに声を上げる。 「あの白猫、どうやってあんな高いところまで登れたのかしら」  レイラは不思議そうに白猫を見詰めた。  すると白猫はバステト神の頭から、石像の背中伝いに駆け下りてくる。 「みゃー!」  白猫はダイアンとレイラに近づき、ブルーの目を輝かせながら鳴いた。 「にゃー!」  ダイアンも白猫に応えるかのように鳴く。 「みゃー! みゃー!」  白い猫が返事をダイアンにした。 「にゃー、にゃー」  するとダイアンも返事をする。 (この二匹は何を話しているのかしら)  レイラは不思議そうに二匹の猫のやり取り聞いていた。 「レイラ、ここは高位の神官しか入れない神聖なる礼拝堂だから、すぐに出て行くようにって、ピーチが言ってるにゃ」  突然、ダイアンが人間の言葉でレイラに話しはじめた。 「ダ……」  レイラはびっくりして尻餅をつき、立ち上がれなくなった。 「ビックリさせてごめんなさい。あたしがダイアンを人間語が話せるようにしました」  今度は雌の白猫が人間よりも流暢に人間の言葉でレイラに話しかけた。 「白猫が……」  レイラは夢でも見ているのではないかとホッペをつねった。 「痛ッ!」 (夢じゃない) 「あたしはピーチ。バステトに仕える猫です。 「おいらはダイアンにゃー」 「あ、あたしはレイラよ。よろしくね」 「こちらこそ」  ピーチはプライドがよほど高いのか、話し終わるたびにツンと鼻を高く上げる。 「あたしたちは迷い込んでしまったの。この礼拝堂に入りたくて入ったんじゃないのよ」 「レイラは悪くないにゃ。悪いのは僕にゃ」 「一般人用の礼拝堂までご案内します」  ピーチはそう言ってバステト神の石像の裏側にある、秘密の通路に二人を案内した。 「ピーチ待って!」  レイラはダイアンを抱いたままピーチを追いかける。 「自分で走るにゃ」  ダイアンはレイラの腕から飛び出しピーチを追っかけた。 「ダイアン待って!」  レイラは二匹の猫を必死に追い、長い長い石の通路をひたすら駆け抜けた。 「あっ!」  通路の奥に光が見える。 「礼拝堂だわ!」  レイラが礼拝堂に駆け込むと、ダイアンだけが中央にちょこんと座って待っていた。 「ダイアン!」  レイラは肩で息をしながら、ダイアンのところにやって来た。 「ピーチは?」 「さっきの礼拝堂に慌てて帰っていったにゃ」 「そっか」  レイラはその場に腰をおろした。 「レイラ!」  礼拝堂の入り口から両親の声がした。 「父さん! 母さん!」  レイラは礼拝堂に駆け込んできたムクターさんとマブルーカさんに抱きついた。 「心配したぞ」  ムクターさんが大きなごつい手でレイラの頭をゴシゴシ撫でた。 「ほんとに心配したのよ」  マブルーカさんもレイラを抱きしめる。 「プルルー」  ダイアンは猫らしく鳴いてみせた。 「いったいどこを探検してたんだ?」  ムクターさんは優しくレイラに訊ねた。 「それは……」  レイラは少し考え、神殿の奥で見た神聖な光の礼拝堂のことは黙っていようと思った。 「ダイアンを追いかけてたら、神殿の迷路のような通路に迷い込んでしまったの」 「まぁ、今度から気をつけるのよ」  マブルーカさんが娘の手を優しく握った。 「ところで父さん、母さん。ダイアンは人間の言葉を話せるの」  レイラはダイアンを振り返った。 「ダイアンが人の言葉を話せるって?」  ムクターさんもマブルーカさんもレイラの顔をまじまじと見た。 「今から証明して見せるわ」  レイラはダイアンの前に屈み、 「ダイアン、あなたが人間の言葉を話せるところを、父さんと母さんに証明して見せて」  そう言って命令した。  するとダイアンは、 「プルルー」  と鳴き声をあげ、知らんぷりして右の足の爪で耳の裏をゴシゴシと掻き始めた。 「ちょっとダイアン、まじめにしなさいよ」  レイラはムッとしてダイアンを睨むと、ダイアンはそっぽを向いてグルーミングした。 「レイラ、もう十分わかったよ」  ムクターさんとマブルーカさんは笑った。 「ほんとよ! ほんとなの!」  レイラは両親にダイアンのことを信じてもらおうとしたが、二人はニコニコしながら礼拝堂の奥に歩いて行った。 「あなたどうして話さなかったの? あたしが嘘つきになったじゃない」  レイラはそう言ってダイアンを睨んだ。 「ピーチから、一番信用できる人間とだけ話すよう言われたにゃ」  ダイアンは申し訳なさそうに言う。 「あたしを信用してくれたのね」 「そうにゃ」 「うん、分かったわ。あなたが人の言葉を話せることは秘密にするからね」  レイラはダイアンの頭を撫でた。 「プルルー」  ダイアンは嬉しそうに鳴いた。 「レイラ、あなたもはやくバステト神様にご挨拶なさい」  マブルーカさんがレイラを呼んだ。 「は、はい!」  レイラが行くと、ダイアンもすぐに追う。 「黄金じゃないけど立派なバステト神様だね」  レイラはマブルーカさんを見た。 「余計なこと言わない。早くご挨拶しなさい」 「はーい」  レイラはバステト神の石像の前で跪き、頭を下げると、目を瞑って神の名を繰り返し唱えた。  
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