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「私、月明かりは苦手なの」
釣りに来ていた沼のほとりで出会った銀色の髪の少女がそう呟いた。
「月にはね、成長を奪う力があるの」
彼女の表情を窺った。切れ長の目に赤い瞳の少女は、感情がないかのように僕を見つめていた。
「成長を奪うって、どういうことなの?」
知らずに言葉が出ていた。
「また、同じこと聞くのね」
少女の視線が僕の力を奪った。
なんか、身体が動けない。
「同じって、会ったのは初めてじゃないか?」
声は出るみたいだ。
「去年もやって来たじゃない。はっきり覚えてるわよ」
揺れた前髪の奥から上目遣いに赤い瞳が光っていた。
僕には、まったく覚えはなかった。
――満月の夜に幻である沼のぬしが現れるという『白銀の鯉』伝説。
その伝説を釣り上げようじゃないかと、早めに仕事を終わらせて釣りにやって来たというのに、おかしな少女に出会ったものだ。
しかし、銀色の髪の少女のことは、事前に民宿の主人から聞いて知っていたので、さして驚きはしなかったが、本当に身動きが出来なくなるとは、思ってはいなかった。
でもこれは吉兆であるらしい。なんせ、銀色の髪の少女と幻の『白銀の鯉』はセットで現れるのだから――。
今かかっている金縛りも少女に頼めば、すぐに解いてくれるとのことだ。彼女の頼みを聞きさえすればOKなんだって。
だが、その後が問題だ。
絶対に釣り上げることが出来ない『神魚』だからな。
だからこそ、幻って言われているんだけど、餌に食い付かせても、水面近くで、必ず糸が切れるのだ。
でも今日は、僕が必ず釣り上げて見せる。
――沼のぬし『白銀の鯉』は、水面近くに姿を見せると、月の明かりをうけて眩いばかりに銀色に発光するらしい。水中に光の玉が輝いているんだそうだ。
早くお目にかかりたいものだ。
さて、銀色の髪の少女の頼みでも聞いてみるか。
「ねっ、頼みごとがあるんでしょ、何でも聞くから早く言ってよ」
すぐにでも沼のぬし『白銀の鯉』に出会いたかった。
もおー、ワクワクするねえ。
「無理よ、二度釣り禁止――」
「はあ? さっきも言ったけど、君に会うのは初めてだよ」
「違うよ。もう去年で終わってるのよ」
「バカなこと言うなよ。僕は、この沼のぬしを釣り上げに来たんだよ」
これじゃ、押し問答だ。
「もう、釣り上げたじゃないの」
「そんなこと、あるわけないじゃないか」
何を言ってんだこの子は……?
「そっか、三十年も若返ったせいで、何もかも忘れてしまったのね」
「何を言っている。三十年若返ったなら、僕は去年まで五十六才だったことになるじゃないか、ふざけたことを――」
確かに民宿の主人が言っていた。
『おかしなことを言う子だけんど、驚きなさんなよ』って。
でも、若返ったなんて言われるとわけわかんないよ。
夜が更けてきた――。
沼全体に月の光が満ち、明るい光が少女の銀色の髪を眩く輝かせた。
周囲に生息するススキの穂が風に揺れ舞った。
身体の自由が解け、すごく楽になったようだ。
少女を見た。何か生気がないように見える。
「私、月明かりは苦手なの」
さっきと同じセリフ……。
「月にはね、成長を奪う力があるの」
それも同じじゃないの。
「成長を奪うって、どういうことなの?」
僕も同じセリフを返した。
「また、同じこと聞くの……」
二人同時に言った。
何かが、頭の中で弾けた。
――あっ、以前にも、あったよこんな情景……思い出したよ。
そうだ、確かに僕は、去年の満月の日、ここへ沼のぬしを釣りに来たんだ。
そして、銀色の髪の少女に出会った。
彼女は満月の夜、人から年齢を貰うのだ。
すでに、寿命は尽きている。けど、人から齢という年月を貰うことで、生きていけるらしい。
そう、僕の年齢の三十年を少女に渡した。
そうだ、すでに釣り上げていたんだ。幻の『白銀の鯉』をこの沼で、月明かりの下、見事に幻の『神魚』を満月に捧げた。
結果、僕は若返り、少女は寿命を延ばしたのだ。
もちろん、銀色の髪の少女は、沼のぬし『白銀の鯉』の化身で、数年に一度、満月の日に現れるのだそうだ。
いったい、彼女は何百年生きてきたんだろう? 興味はあるが聞いてはいない。
ただ、一つ疑問が浮かんだ。
「どうして、去年寿命を延ばしたのに、今年も現れたわけ? 数年は、大丈夫なんでしょう」
「これは、本当に珍しいことなんだけど、お告げがあったのよ。あなたが来るって、だから、私も現れたの」
「今までにも、二度来た人はいたの?」
「あなたが初めてよ」
「なんで?」
「私にもわからない」
また、疑問が浮かんだ。
「今日も、僕の年齢を捧げなくっちゃいけないのかな?」
「お告げがあったのだから、そうなるわよね」
「もう三十年捧げるんだ」
「うん」
「待てよ、三十年も若返ったら、死んじゃうよ。いや、存在が消滅するんじゃないの」
「そうなるわね」
「それは……」
そりゃ、五十六才までの人生は全く良いとは言えなかったけど、この一年間は、平凡だけど楽しかったと思う。
この先、人生をやり直して、満ち足りた生涯が送れるのなら、僕はその方がいいんだけど――。
「消滅するのは、御免だよ」
「実は、もう三十年いるの。どうしても」
少女の眼光が鮮烈な赤に変貌した。
「ま、待てよ。他の人じゃだめなのか」
「別に構わないんだけど、もう時間がないの」
「けど……」
「あ・き・ら・め・て」
彼女の囁きと共に、僕の意識がなくなってしまった……。
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