月明かりの下で働く男

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月明かりの下で働く男

「こんばんは~」 「こんばんは。ヒッヒッヒッ」 「今夜も、夜勤ですか?」 「ええ、そうなんです。ヒッヒッヒッ。今夜も、月明かりの下で、ひと稼ぎして来やすぜ~、ヒッヒッヒッ」  最近、近所に引っ越して来た独身男性。四~五十代といったところだろうか? いつも、黒のハンティング帽を(かぶ)り、黒の皮ジャン、黒のジーパン、黒のカンフーシューズ姿で、黒のリュックを背負っている。  いかにも怪しいカッコで、近所の誰と挨拶をしても、いつも、 「今夜も、月明かりの下で、ひと稼ぎして来やすぜ~、ヒッヒッヒッ」  なんて言いながら、夜に出掛けて行くので、 「泥棒なんじゃないか?」  と、もっぱらの評判だった。  ある日の夜、僕は、具合が悪くなり、救急車で運ばれた。  救急病院での、適切な処置のお陰で、僕は一命を取り留めた。  意識も戻り、主治医の先生が、 「気分はどうですか?」  と、声を掛けて下さり、 「お陰様で、段々良くなって来ました。ありがとうございます!」 「よかったですね! ヒッヒッヒッ」 「えっ?! あっ! あなたは!」 「そうです! あたすが、変なおじさんです! ♪変なおじさんだか~ら、変なおじさん♪ ヒッヒッヒッ」  近所で、「泥棒に違いない!」と、もっぱらの評判だったあの男は、何と、救急救命の世界では、もっぱら腕がいいと評判の、救急救命の名医だったのだ! 「何でいつも黒装束なんですか?」 「よく、医者の不養生(ぶようじょう)なんて言いますが、あたしゃ服装にも不養生と言いますか、無頓着(むとんちゃく)なもんでね、ヒッヒッヒッ」 「正直なところ、先生、いつも、いかにもな黒装束で、『今夜も、月明かりの下で、ひと稼ぎして来やすぜ~、ヒッヒッヒッ』なんて言いながら、夜に出て行かれるじゃないですか~」 「そうでやんすね~、ヒッヒッヒッ」 「なので、近所じゃ、もっぱら『泥棒』って呼ばれてますよ♪ ハッハッハ♪」 「そうでやんすか、ヒッヒッヒッ♪ 夜勤が多いもんで、ヒッヒッヒッ♪」 「いや~、やっぱ、いかにもな黒装束で、『今夜も、月明かりの下で、ひと稼ぎ』、なんて言われりゃ~、誰だって、そう思いますよ、先生♪」 「いや~、面目無(めんぼくな)い! ヒッヒッヒッ♪ 私の発音が悪かったんですね、ヒッヒッヒッ♪」 「……と、言いますと?」 「『月明かりの下で、ひと稼ぎ』じゃなくて、『(つき)あかりの下で、ひと稼ぎ』してるんですぜ、旦那、ヒッヒッヒッ♪」 「『築あかり』って、言いますと?」 「ええ、うちの病院の院長の名前が、『築あかり』、なんです、ヒッヒッヒッ♪」  人は見かけによらぬもの。  近所の怪しい男は、ダジャレ好きで、服装に無頓着な、救急救命の名医だった!  それにしても、ほんま、紛らわしいオッサンやで、全くッ♪  しかし、そんな紛らわしいオッサンが、僕の命の恩人になろうとは……。
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