大台ヶ原の神

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大台ヶ原の神

 愛仙は、大台ケ原の山の奥深く にいた。  三重県と奈良県の県境にある標高1695.1m野山で、深田久弥によって 日本百名山に選ばれている。  一般人は立ち入り禁止の場所であったが、黒影に頼み、一族のコネで 入山できたのであった。  もうかれこれ歩き続けて2時間、並みの人間なら4時間の距離で あろう。  黒影にファアグラを超える肝について相談したところ、大台ケ原の山の 奥深くに生息するある動物の肝を推薦してくれたのであった。  殺してしまっては鮮度が落ちるし、動物愛護法にも違反する。  そもそも、山全体が特別天然記念物に指定されている。  かと言って、生きたまま捕獲するにはもの凄く大変な動物であった。  これも、尊敬するシェフのため、愛する茉莉のためと、覚悟を決めて いたが、一向に気配を感じない。  目的地には、ほど遠いのかと不安になった。  とその時、ガサゴソと音がして、愛仙の横の茂みから一匹の大きな 日本カモシカが飛び出した。 「何だ、カモシカか。」と思ったのもつかの間、樹上から巨大な影が 舞い降り、鹿の背中に覆いかぶさり、頸動脈に噛みついた。  鋭く大きな犬歯が、初秋のこぼれ日の中で、キラリと光る。  この山の主とも言われている全身真っ白な神猿であった。  身長は2mを超え、100年は生きていると言われ、人語を理解するとも 噂されている。この山の食物連鎖の頂点に君臨している存在だ。  愛仙が見つめる中、ボリボリとカモシカの肉を殆ど食べつくすと、愛仙を 見て不敵に笑った。 『 何だ、この優男は。こんな山奥までご苦労なこった。』  そう、言われたような気がした。  神猿は、樹上に飛び上がり、木の枝から枝へと走り去った。 『 ここで逃してなるものか。』と、愛仙も樹上に飛び上がり、後を追った。  愛仙の一族には、忍びの技も伝わっていて、猿飛の術も得意である。  森を抜けると、神猿は滝つぼにある大きな岩に寝ころんで、愛仙の様子を 窺っていた。  小枝で、歯に挟まった先ほどのカモシカの生肉をほじくっている。 『へえ~、思ったよりやるじゃん』  その仕草と表情が、まったく憎らしい。 「神猿様、お願いです。肝臓を少し分けて下さい。  実は・・・」  愛仙が丁寧に頼もうとしたが、話しの途中で神猿が襲ってきた。  完全に怒っている。無理もない話である。  誰だって、「はい、そうですか。」と、気前よく肝臓を分けてくれる はずがない。  鋭い歯と、大きな爪による攻撃をかわしたが、神猿の動きは止まらない。  五体すべてを使い、地形を利用した立体的で変幻自在の神速の攻撃を 仕掛けてくる。  間合い、拍子、呼吸、正確さ、力強さどれをとっても人間業ではない。  当たり前か・・・・・。  まともに喰らえば、骨がパキッと折られる。  一撃でもかすれば、動脈がひきちぎられ、血が噴水の様に、飛び散るで あろう。   愛仙は、その昔、柳生但馬守宗厳は二匹の猿を飼い、剣術の相手を させて、すばやい身のこなし方などを学んでいた話を思い出していた。  その猿たちは、毎日のように剣術の相手をさせられているうちに、 若い弟子ではかなわないほど剣術が上達したという話も、納得できた。  風に揺らぐ柳の葉、風に舞う羽毛のように神猿の攻撃をすべて かわしていたが、いつかは捕まる。  愛仙は、賭けに出た。背中のリュックを素早く降ろす。  鉄扇を左右順手に持ち、神猿の攻撃を待った。 『逃げ疲れよったか。成仏せいや。』とばかりに、巨大な口を開け、 鋭い犬歯で噛みついたきたので、喉の奥に鉄扇を突き入れた。  噛むことができなくなるだけでなく、とても苦しい。  魚の骨が喉に突き刺さったどころでは、ない。 「今だ。」  愛仙は、身を翻し、攻撃した。   神猿には、愛仙が前後左右の四人に見えた。   愛仙が修行で会得した神極龍拳 奥義 「 聖なる龍の閃き 」であった。  流石の神猿も、前と左右の愛仙の攻撃はかわしたが、後ろの攻撃だけは 避けることができなかった。  人間であれば、龍の牙にその身をもがれ、龍の尾にその身を激しく打ち 飛ばされたように吹き飛び立ち上がることげできない超絶の奥義であるが、 神猿の動きは、一瞬止まっただけである。  愛仙は神猿のタフさに驚きながらも、ここしかないとばかりに、頭を 両手で挟むようにして、発剄を放った。  神極龍拳 奥義 「龍の咢」であった。  神猿は脳震盪で気絶した。  人間ならば、脳挫傷を引き起こし、重い後遺症を残す危険な奥義である。  愛仙は、大きなため息をつくと、リュックから強靭なワイヤーで、神猿の 体を素早く拘束した。  そして、特殊なロケット花火を打ち上げた。  数分後に、黒影が操縦するヘリが現れた。  ヘリが降りるには狭いので、地面ギリギリまで下がると、自動操縦に 切り換え、黒影は梯子を降ろし、そこから地に降り立った。 「愛仙様、やりましたね。」 「はい、お蔭様で。何とか。」  愛仙は、黒影にお礼を言った。 「では、早速、手術しましょう。」 「え~、ここでですか。」 「はい、神猿を連れ去ると山の祟りがあると言われていますし、  動物愛護団体とかマスコミの眼もウルサイですから。  やるなら、ここで、今でしょ。  大丈夫です、私は失敗しない男なんですよ。」  愛仙は、時々、この男がどこまで冗談で本気なのか、わからなくなる時が ある。武術の腕は父上に勝るとも劣らない実力者であることは認めている。  実際、愛仙が拘束したロープを瞬時に解いた。  黒影は、消毒したゴム手袋を両手にはめると、鞄から馬用の針を取り出し、全身麻酔と血止めのツボを突いた。  麻酔薬を使うと肝の風味が損なわれる恐れがあるからだ。  刺身包丁のようなメスを使うと、サッと腹を切り、肝臓を露出させた。  素早く、三分の一ほど切り取ると、超高性能クーラーボックスに仕舞い 込んだ。  そして、傷口を治癒する頃に消える特殊な糸で縫った。  肝臓の細胞は核が二つあり、再生能力があるのだ。  その間、わずか三分。  あのブラック・ジャックもビックリする腕である。 「流石、黒影さんですね。では、この肝をシェフの元へ届けて下さい。  お願いします。」 「必ず、届けます。で、愛仙様は、どうなされますか。」 「神猿が眼を覚ますまで、付いていたいと思います。」 「お優しいんですね。では、お先に失礼します。」  黒影は、梯子に飛び乗り、ヘリに辿り着くと、フルスピードで東京を 目指して、飛び去った。  愛仙は、リュックから保温性に優れた薄い毛布を神猿にかけ、見守った。  暫くすると、神猿が眼を覚ました。  愛仙は、神猿のごつい右手を両手で握ると、心からお礼を言い、訳も 一生懸命話した。  言葉は通じなくても、真心は伝わる。  神猿は、ニッコリと笑って許してくれた。  山の夜は危険である。  完全に日が落ちる前に、帰らなければならない。  愛仙は、お礼とお見舞い代わりに、リュックから高糖度の大きなトマト 3個と、100g3千円の松阪牛の塊3kgと、朝鮮人参とウコンの束を 渡し、急いで山を下りた。  神猿は、手を振って見送ってくれた。  その日、愛仙の姿を見かけた登山客や修験道の修行者は、天狗を見たと 噂し合ったのであった。
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