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恋の郵便屋さん 後編
ところが翌日のことです。
朝起きて、真っ先に皿の家に向かいました。
玄関をノックしようとして、ミゲルは少し考えます。
旅人のことをもしかしたら家族は知らないかもしれません。それならば、恋の郵便屋である自分が表から行っては、エリーの家族は不審に思い、手紙の相手を気に掛けるでしょう。
家族に応援される恋もあれば、秘める恋もあります。
ミゲルはそれを確認していなかったので、エリーを探すことにしました。家の外周をくるりと一周すると、自室らしき部屋にエリーの後姿を見つけました。ミゲルが小さく壁を叩くと、彼女はおびえたように振り向き、窓を開けました。
「あ、ミゲル君……」
彼女はどうやらすくみ上っており、何かを恐れているように見えます。けれど、恋文を出す人がこのような表情をすることは珍しくありません。相手の反応を直接見ることができないから、どんな気肝っ玉な人でも恋をすれば不安と緊張でいっぱいになります。
そんなとき、ミゲルはできる限り優しい言葉をかけることにしています。
「お待たせしました。必ず、エリーさんの思いは僕が届けますよ。僕に思いを託して、エリーさんは待っていてください」
「え、あ……」
非常に切り出しにくいという顔をしている彼女をミゲルは待ち続けます。
「て、手紙のことなんだけど……」
彼女はよほど不安なのでしょうか。震えた指先を見て、彼女はずっと考えています。
「あの、手紙は……。出せなくなったの……」
「え?」
「その……手紙書いたんだけど……」
「大丈夫です。こう見えてもプロです!絶対にエリーさんの思いは届けます」
ミゲルが勤めて笑顔で、彼女の不安をぬぐおうとすると、少女はしっかりと彼の目を見つめていました。
「ありがとう。でも、手紙はい……なくなってしまったの」
「え?」
いなくなる。その変わった言い方にミゲルは思わず聞き返してしまいました。
「いなくなったって」
「わからないけど。……ごめんなさい。手紙がなくなってしまったから、あなたに預けることができなくなってしまったの」
ミゲルも同じようにサラの顔を見つめます。
どうしてこんなにおびえているのか彼は考えました。
手紙が勝手に移動することなどありません。書いた手紙が朝起きていなくなったのならば……。それはとても不思議なことですし、もしかしたら、家族が見つけて、あまりよく思わなかった可能性もあります。ならば強く本当のことを突き詰めないほうがいいのかもしれません。
「わかりました……」
ミゲルはできる限り、気にしていないように意識しましたが、隠しきれないのは誰が聞いてもわかったでしょう。
「ごめんなさい。ミゲル君。わざわざ来てもらったのに。あの……お詫びに何か持っていってちょうだい」
「いいえ、いいんです」
自分は郵便配達員。公私を分けなければなりません。郵便配達員として、お客さんに気を使われてはいけないのです。ミゲルは心の中で自分を叱咤して、気持ちを持ち直し増しました。
「すみません。また、ご入用の際は声をかけてください」
「ありがとう。ミゲル君」
こうして、ミゲルは手紙を預からずに、いつもの仕事に戻っていきました。
ところが、夕方、再度不思議な申し出がありました。今度は青の村です。
「ミゲル。赤の村に旅立った旅人さんに手紙を届けてほしいの」
「旅人さん……ですか?」
ミゲルは全く知らなかったことですが、この村に旅人がやってきていて、2日間村長の家に泊まったそうです。そして、赤の村の話に興味を持って旅立ったそうです。風光明媚な場所があるわけでなく、貴族の城もない山奥の村に風来坊が来ることはとても珍しいことです。けれど、おととい赤の村にいた旅人とは別人でしょう。なぜなら日数が合いません。
「私、一目見ただけなの。もっと旅のお話など聞いてみたかったわ。もっとあの方を知りたいの」
そう村娘が泣くので、家族は赤の村に到着したころ合いにミゲルに手紙を渡してもらうのはどうかと提案したそうです。
ミゲルは二つ返事で了承し、翌朝一番に青の村の集配を行いました。
しかし、
「ごめんなさい。手紙はないのよ」
落ち込んでいるという娘に代わり、心配性のお母さんがミゲルに説明してくれました。
「手紙……書かなくていいんですか」
「いえ、書いたのだけれど……」
「大丈夫です。僕は郵便屋さんですから、旅人さんを見つけて必ず渡して見せます」
「いえ違うの……」
何かうろたえるようなそぶりをした母親は、意を決した顔つきでミゲルの耳元に唇を寄せました。
「その……手紙がなくなってしまったの」
「えっ」
エリーと同じ状況に、ミゲルは目を丸くしました。
「不思議ね。昨日はあったはずなのに、今日起きたら手紙がなくなっていたの……。あの子、どうもずっと泣いていたみたいで……。急に気持ちが冷めて自分で破り捨ててしまったのかもしれないわね」
「そうなんでしょうか……」
母親の言う通りかもしれません。その可能性は大いにありえます。
「ごめんなさいね。気にしないで頂戴。もし、何かの縁があれば、ミゲル君。娘の手紙を運んでちょうだい」
御用がなければ、退散するしかありません。ミゲルは日課になっている集配と配達を行うため、2つの村を何回も行き来しました。
そうして、日も暮れ始め、青の村のはずれにある自宅の前で、見たことのあるシルエットに気づいたのでした。
「旅人さん!」
「やぁ、ミゲル。本当に3日ぶりだね」
彼はなんて言うことはないという風に手を上げますが、てっきり青の村に向かったと思っていた旅人に赤の村の中で出会うなんて、ミゲルは開いた口がふさがりません。
「やぁやぁ、疲れているみたいだね。なら、僕がいい物を作ってあげよう。材料だってこの通り用意したんだよ」
彼の手荷物は増えていて、その中には青の村で使われている酒袋もありました。
再会した旅人が作ってくれたのはチーズときのこのパンがゆでした。
山で取れる滋養のあるキノコを数種類炒め、アルコールを飛ばした酒でチーズを溶かした後、固めのパンに味がしみこむようにゆっくりと加熱していきます。
チーズはとろけ、鍋の中でゆっくりと踊っています。お酒のコクが味に深みを与えてくれます。クリームがかった色はとてもおいしそうで、危うくよだれが垂れそうになりましった。
何より、ミゲルにとって誰かの手作りの品を一緒に食べるのはずいぶんと久しぶりでした。
自分のために作ってくれた料理はとてもおいしくて、火加減が難しいのもわかりますから、とても愛情を感じます。
「さぁ、気にせず、もっと食べてくれ。これは急こう配の崖にしか生えない幻のキノコの岩たけだよ。これを見たら、ぜひ君に食べさせたくなってしまってね」
「向こうの村に行かず、僕のところに来てくれたんですか?」
「まぁそんなところだ。今日は寒くなるようだよ。温かいものを食べて早く休むといい」
体を気遣ってくれる言葉も嬉しくて、ミゲルはスプーンを勧めます。
残りがほんのわずかになったところで、ふいにあることを思い出し、正面に座っている旅人の顔を見つめました。
「こちらに戻ってきてくださるのなら、やっぱり手紙は必要なかったのかなぁ」
「ん?どうしたんだい?」
旅人に促され、ミゲルは先日の話をしました。
エリーが旅人と話をしてみたいと思ったこと。手紙を書いたこと。その手紙がなくなってしまったこと。そして同じようなことが青の村でも起きたこと。それらをミゲルは全てうち開けました。
「なるほどね。そいつは君にとっては驚いたことだろう。けれど、たいしたことはない」
「大した事って……。手紙はなくなってしまったんですよ」
「手紙は届ける必要がなくなってしまったんだよ」
届ける必要がなくなった?その言葉をミゲルは思わず聞き返します。
「彼女は私に会いたい。この村に再度訪れて、一度会話をしてみたい。そう手紙に書いたんだろう。けれどその手紙は必要なくなったんだ。なぜだって?だって、手紙を出す前にその思いは叶ってしまったからだ」
意味が分からず首をひねるミゲルに、旅人はさらに説明を足してやります。
「一度会って話をしたい。彼女は青の村に旅立った男にそう願ったんだろう。けれど、手紙を書いた直後、いやこの場合書いている途中でもいい。会ったんだよ。男に」
「あぁ!」
そうだ。この人は結局3日もかかる青の村に旅立ったのだと思っていたら、結局キノコを採って戻ってきたのだ。つまり青の村に行っていない。その3日の間の足取りは彼しか知らないのです。
「少女は実際に合って会話した。そのあとの気持ちはあいにく私にはわからない。けれど、もう一度会いたいとは思わなかったんだろう。だから、会いたいという手紙は必要なくなった」
「なら、手紙を取りに行ったとき、どうしてエリーさんは手紙はなくなっただなんて……」
そういう事情ならば言えばよかったのに。なぜ、彼女は自分に嘘をついたのか。うそをつかれたと思うと、心に鉛を抱えたようにひどい重みと鈍い痛みを覚えてしまいました。
「嘘をついたのだろうねぇ」
ミゲルの気持ちを知ってか知らずか、旅人は暢気な声を上げます。
「でも、それは優しい嘘だ」
「優しい嘘……ですか?」
「まごうことなく、優しい嘘だ。君に依頼しておきながら、必要なくなったと言い出すにはとても心苦しかったんだろう。まるで、君の仕事をないがしろにしているようで」
「そんなことは……」
「自分の考える気持ちと他人が慮る気持ちがずれるというのは往々にあることさ」
旅人は優しく微笑み、続けます。
「君はこの村の一員で、この村は一つの運命共同体で、家族のようなものだ。だからその一因の仕事を必要ないということはできなかった。だから、誤魔化そうと嘘をついたわけさ」
それは……。ミゲルを否定しないための嘘。それならば、優しい嘘に違いないありません。
「君はこの村で愛されている」
「はい……」
その事実が心の中に小さな光が宿ったような感覚を覚えました。温かいそれを大事にしたくて、ミゲルはそっと胸に手を置くのです。
「そんな村で君はずっと生きていくのだろう……。でも僕は世界をまた、回っていろいろな世界を見て回るんだ」
もう外は完全に暗くなって、ランプと暖炉が光源だけの室内はとても薄暗いですが、暖炉の火に旅人の瞳が光ったように見えました。
「ねぇ、ミゲル。君は外の世界に興味はないかい?見たところ、この村で君1人が空を飛ぶ翼を持って生まれてきたようだ。外の世界は広い。君は自分以外に同じような存在がいないか気にならないかい?」
気にならないかと言われれば嘘になるでしょう。
ミゲルにだけ生えた翼を疑問に思ったことがないとは言いません。なぜ、自分だけが?親も持っていたのだろうか?
きっと触れてはいけないことだと、物心がついたときには気づいていて、牧師さんにも村長さんにも聞けずにいました。
この世界に自分以外に同じような翼をもった人間はいないのかと。
「僕と一緒に旅に出てみないか?君の身の安全は約束する。赤の村と青の村で手紙を配達する以上に有意義で、君の可能性や仲間を見つけることができるぞ」
「いいえ」
自分でも意外だったが、ほとんど迷うことはありませんでした。
「僕はここでは恋のキューピッドとして必要とされています。みんなに大切にしてもらってます。今は……小さいけれど優しい世界を大事にしたいんです」
ミゲルに親はいません。一人で村はずれに暮らしています。
けれども、村の人たちは、ミゲルを気にかけてくれる。皆と変わらず、食べ物を分け、服やかばんも仕立ててくれます。それは赤の村、青の村変わりません。
だから、ミゲルは村の一員として、村のために働くのです。
「僕は2つの村の恋のために紛争するキューピッドなんですよ」
ミゲルの村に対する心からの感謝が伝わったのでしょう。旅人は頬を緩め、ミゲルに微笑み返し、それ以上は誘いませんでした。
次の日の朝。今度こそミゲルと別れた旅人は、大きな地割れの前にいました。
遠くには青の村が見えます。見える距離にあるのだというのに、その道程は3日もかかるという。なるほどこの距離と深さでは容易に橋をかけることもままならないでしょう。翼をもつミゲルが恋のキューピッドと言われるのも納得がいくというものです。
「それにしても悪魔の子供が恋のキューピッドとは何とも皮肉が効いている」
旅人はまだ寝ているだろうミゲルの姿を思い返しました。
背中には黒い蝙蝠の羽。そして黒いしっぽ。
けれども、村人誰もが彼が悪魔であることを気にしていなかったのです。特別利用しているという扱いでもありません。彼はきちんと村に一員として迎えられていました。
旅人は喉の奥を引くつかせながら、胸元に忍ばせていた、2枚の封筒を取り出しました。1枚は赤いバラ、もう片方は青いマーガレットが刺繍されています。どうやらそれぞれの村独自の封筒で恋文を入れるのによく使われているようです。
「私が悪魔だと知ったら、おびえて逃げ出してしまったのだから、悪魔がどんな存在かはきっとわかっているだろうにね」
赤の村で、青の村で、それぞれ自分に好意を寄せてくれた少女たちが自分の正体を知って青ざめていく様を思い出しました。
それでも、
「この村に置き去りにされた悪魔の子が幸せに生きてくれるのならば、それでいいんだ」
本音を言えば連れ出してしまいたかったけれど、仲間を取り戻したかったけれど、満たされた笑顔を見せつけられてしまえばそれもできません。
旅人は邪魔なマントを外して、己の翼を広げます。大きく黒い翼で空気を蹴り上げると、体が宙に浮かぶ。いつまでも持っていても仕方がないのです。ほんの少し指先に力を入れ、黒い炎で自分あての恋文を燃やしてしまいました。
結局正体を明かせなかったため、ミゲルは旅人が同一人物であることも、翼で地割れを飛び越えていったため、向こう側に行くのに3日と掛かっていないことを知らないでしょう。
少年はかつてこの村が悪魔と戦争をした事実を知っているのでしょうか。この地割れはその時に巨大な悪魔が引き裂いた傷跡だと知っているのでしょうか。
けれども、そんなことはどうでもいいと悪魔は思えてしまうのです。
彼の小さな世界が幸せであるならばそれでいい、と。
かつて人間と争って、その時人の世界に置き去りにされてしまった赤ん坊が幸せでいるのなら、無理に引きはがすこともできませんでした。
それが天使扱いされていても些細なこと。いや、むしろ皮肉が効いています。
「君がどうかこの後も幸せであれ」
眠る村の片隅で、今日も恋人たちの間をひた走る小さな悪魔に向かって、旅人に成りすました悪魔は別れを告げ、この村を去っていったのでした。
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