恋の郵便屋さん 前編

1/1
前へ
/2ページ
次へ

恋の郵便屋さん 前編

 ミゲルは恋を運ぶ郵便屋さん。  山間部の小さな盆地にある赤の村と青の村の村の間を行き来するには巨大な渓谷……大地にできた大きすぎる裂け目を飛び越えなければなりません。その道程は普通の人の足ならば3日かかるでしょう。気軽に会いに行くことはできません。  そんなときはミゲルの出番です。  ミゲルには生まれたときから羽が生えていました。ミゲルはまだ半ズボンが似合う幼い子供でしたが、彼の羽があれば、3日はかかる2つの村を隔てる大きな渓谷を飛び越えることができます。  だから、彼は赤の村と青の村の間に生まれた恋の便りを届ける郵便のお仕事を手伝っています。  だって、恋は今すぐにでも届けたい想いにあふれているのですから。  赤の村と青の村の間は交通の便こそよくありませんが、昔からとても仲の良い村です。以前、強大な悪魔に襲われたときも、2つの村は力を合わせて、彼らを追い返したと伝えられています。  一週間ほど前、その記念祭が行われました。記念祭はこれで10回目。どちらかの村にもう片方の村の若者が出向いて、祭りを盛り上げます。  そんなにぎわう祭りの中、毎年素敵な出会いが生まれるのです。  朝起きて、身支度を整えたら、ミゲルの1日は始まります。  秋の風は涼しく、ミゲルの家の裏手にある森から吹き抜ける風は今日は特に冷たさを感じます。ミゲルは薄手の上着を羽織って、大きなバッグを背負い、家を飛び出しました。 「おはようございます。ルスカーさん」  町の教会の牧師さんに支給された洋服をきちんと着たミゲルは、集配に向かう途中、いつものように声を掛けました。  人に挨拶をするときはきちんと羽をたたんで、地面に足を付けた姿勢であいさつをします。 「おはよう、ミゲル。今日も元気だね」  毎日早起きをするおばさんの体から香ばしい香りが漂っています。 「はい!たくさんご飯を食べてますから」  彼の目標は早く大きくなることですから、毎日ミルクを欠かさず飲んでいるのです。 「昼頃、あんたの家にパンを届けてやるからね」 「いつもごちそうさまです」  丁寧にお礼を言うミゲルの姿に、おばさんは冗談を吹き飛ばすように手を振ります。 「何を言っているんだい!あんたはこの村の仲間じゃないか」  そうです。  この村ではみんなが助け合って暮らしています。  ミゲルの目の前にいるおばさんは村のみんなのために毎日パンを焼きます。他にも牛を飼っている人も、新鮮なミルクを届ける人。野菜を育てている人もいます。  裁縫が得意な人はみんなにお洋服を作ります。今、ミゲルが下げているバッグだって、村のお姉さんが作ってくれました。  赤の村だけではありません。青の村も同じように助け合って暮らしています。ミゲルはその村の一員として、二つの村の間を飛んで、恋のキューピッドをしているのです。  ミゲルはおばさんと別れると、まず黄色の家に向かいました。  玄関の扉をノックすると、少女がすぐにドアを開けてくれました。頬に赤みがさしている若いお嬢さんはミゲルをずっと待っていたのでした。 「おはようございます!サラさん」 「おはようミゲル。ずっと待っていたわ!」  朝一番にミゲルが訪れたのに、『ずっと待っていた』というのはどういうことでしょうか? 「サラったら、昨日手紙を書き終えてから、ずっと寝ていないんですって」  彼女の後ろから出てきたのは隣の家に住むエリーでした。  彼女の話によると、サラは昨日、隣の村にする男の人への恋文を書き終えた後、それに対してどんな返事が返ってくるか待ちきれなかったということでした。ベッドの中で、浮かれたり、悲観的な妄想をしたり一晩中一喜一憂していたそうです。そして、早朝、隣に住む友人が起きたと気づいてから、その不安な心のうちを共有してくれるよう、サラはお願いしたのでした。 「あぁ、青の村に住むあの人は、この手紙を読んでどう思うかしら?字が下手だなんて思われないかしら?言葉遣いが間違っているなんて私を嫌ったりしないかしら……」  ミゲルに手紙を預ける人は決まって、不安でいっぱいになるようです。恋とはそういうものなのだそうです。その不安を解消することも、恋文配達人の立派な仕事です。 「大丈夫です。手紙には自分の気持ちがいっぱい込められています。サラさんが、サラさんの好きな人のことを考えて書いた手紙なら、きっと気持ちは伝わります」  だって、ミゲルは手紙を受け取る人のうれしそうな顔をいつも見ているのですから。 「ありがとう。ミゲル君。ではこれはいつものように届けてください」  上ずった声に彼女が緊張しているのがわかります。大きな地割れが二つの村を分けているから、簡単に会うことはできません。恋人たちにとって送り合う手紙がすべて。想いのすべてが込められた恋文を届けるミゲルの責任は重いのです。 「はい、わかりました。必ずお届けしますね」  恋心とは熱々のスープで、急いで届けなければ次第に味がにごり冷めてしまうでしょう。だから羽を使って渓谷をすぐに超えることができるミゲルに任されている仕事はこの村に必要なとても大事な仕事でした。  赤い村と青い村。2つの村を飛び回ってミゲルは多くの手紙を運びました。手紙を運ぶと、返事を出したいから、いついつにとりに来てくれと言われます。ミゲルはそれをしっかりとメモをして、手帳を忘れないようにカバンにしまいます。  すべての恋文を運び終わるころにはすっかりお日様は西の空に沈みかけています。ミゲルは心地よい疲労感を感じながら、村の端にある自宅を目指しました。  空から見る村には人の姿はほとんどありません。この村では早寝早起きが良いこととされていますから、お祭りを除くと、夜出かける人は少ないのです。夜は家族の時間。家族とともに夕食を取り、だんらんのひと時を過ごすと、明日の英気を養うために早めに床に就きます。  ミゲルは窓からこぼれる家族そろった楽しげな声に耳を傾けながら、自宅に急ぎます。きっと自宅の入り口には、今日頑張ったミゲルのために村の人が用意した、パンやミルクが待っているのです。それを思うだけで、ミゲルは嬉しい気持ちになってしまいます。  ところが自宅前に人影がありました。黒いマントをまとい、フードまでしっかりと被った人がミゲルの家の前でうずくまっているのです。 「大丈夫ですか!」  病人ではないかそう思ったミゲルは思わず、駆け寄り彼の肩に手をかけました。  彼は驚いたのでしょう。飛び上がらんばかりに驚いて、彼は持っていた何かを取り落としました。足元に転がってきたそれを拾い上げて、ミゲルはやっとその男の人が何をしていたのかわかりました。 「僕のパンが……」  どうやら、男はミゲルに断りもなく、おばさんが焼いてくれたパンを食べていたようです。よく見れば、牛乳の瓶にも口を付けたようでした。 「すまない……」  見知らぬ人は、心から申し訳ないと、手を地面につけて謝りました。 「長い間森をさまよっていて、ようやく抜けたところに君の家があったんだ。……あまりにお腹がすいてきて、誰かの者とはわかっていたんだが……」  いたたまれないように、頭をかく男はとてもやつれていて、無精ひげも生えています。身なりを見る限り、きっと長い旅をしてきたのでしょう。彼が心の底から申し訳ないという顔をしていたので、ミゲルも怒る気はありませんでした。 「旅の人……ですか」 「あぁ。この上ぶしつけな申し出かもしれないが、どこかに泊まる宿屋はないだろうか」 「この村では教会が旅の人の宿泊所になっていますが……」 「教会か……」  男の沈んだ声から、教会で寝泊まりすることを嫌がっていることはすぐにわかりました。教会はもてなしてくれるわけではありません。あくまでも雨風がしのげるだけです。清貧の重んじる教会のベッドは固いですし、パンとわずかなフルーツしか出さないと聞いたことがあります。今、この旅人が必要としているのは体を回復させることができる場所と食事のはずです。 「もしよければ僕の家に泊まりませんか?」 「えっ?いいのかい?」 「大丈夫ですよ。僕一人が使うには広い家ですし、温かいものをお出しできます」  あ、でも、旅人が手足を広げて眠れるほど広いベッドはないことに気づき、それを告げたが、男は笑いながら、片手をミゲルの頭に添える。 「君はなんていい子なんだ。優しい子だな」  頭をなでてくれるのは嬉しいが、ミゲルは特別優しくしているつもりはありません。助け合って暮らしている村ですから、困っている人がいれば、助けることが身についているだけです。彼の中で、それが村人であるか、旅人であるかは関係ないのです。 「どうぞ。荷物はどこにおいても構いませんから」  そこにあったパンを思わず食べてしまうほど、旅人はお腹がすいているのでしょう。ミゲルはまず、料理に取り掛かりました。  体調や火の通りを考えて、ミゲルはスープを作ることにしました。玉ねぎ、ジャガイモににんじん、カブをサイコロのように小さく刻みます。そして、肉を入れるとボリュームも出て、コクがあっておいしいので、キッチンの隅にあった塩のきついベーコンを入れることにしました。ベーコンは去年、塩漬けにしたものを分けてもらったのです。  暖炉に火をくべると、その上に料理用の鍋を吊り下げます。鍋が十分に温まったのを見計らってベーコンを炒め、脂が出てきたところに野菜をいれます。火が通り、野菜が透き通ったところに、ミルクを入れて、決して沸騰しないように、火を調整します。 「ほう、慣れたものだな」  旅人さんは、ミゲルの後ろから覗き込むように、鍋の中を見ます。 「1人で暮らしていますから、最低限これくらいできないと」 「ご両親は」 「いません」 「君はまだ幼いだろう。誰も君と一緒に生活してはくれないのかい?」 「僕は子供かもしれないけれど、赤の村と青の村の手紙を届ける仕事があります。それは僕だけができる仕事です。仕事ができるようになったら1人前でしょう?」  助けてもらえないのではなく、村で1人前と認められているからこその一人暮らしなのです。年こそ幼いですが、ミゲルは強い自信を持っています。 「なるほど。うん。そうだ」  納得した彼はずっと鍋の中で揺れているミルクスープを見つめています。野菜がくずれ、少しトロミとともにベーコンからにじみ出た黄色い脂がゆらめけば、それはおいしいご飯ができた証でした。  翌日、休息をとり、ひげなどを小ぎれいにして旅人は幾分すっきりとした顔つきになっていました。ミゲルは昨日のスープを朝食にしてから、旅人に赤の村の中を案内しました。  多くの家に植えられた深紅のバラはこの村のシンボルでもあります。黒いマントを着た旅人と2人で歩いていると、多くの村人が善意で声をかけてくれます。  1日をかけて村を案内したミゲルは最後に大きな地割れが見える場所まで案内をしました。そして旅人に赤の村と青の村の歴史について説明しました。  ある日大きな地割れが起きて分断されてしまっただけだから、2つの村は同じ文化を持っていること。加えて、力を合わせて悪魔を退治したことから、村では定期的に交流をしていること。  そして自分は祭りで知り合った離れた村に住む若者の恋を応援し、恋文をすぐに届ける郵便屋であることも話しました。 「なるほど、君を通じて恋の駆け引きが行われているのか。それじゃぁ君はまるでエンジェルのようだな」 「エンジェル……ですか?」 「恋の助けをする翼をもつもののことさ」  なるほど。牧師さんも以前同じ言葉を口にしていたのを聞いたことがあります。 「そうか。この地割れの向こうにも同じような村があるのか。興味があるから行ってみるよ」  いろいろなことを知るために遠い地までやってきたという彼は、新しい好奇心を胸にさっそく青の村に行ってみるそうです。  ミゲルは村まで大人の足でも3日はかかる道のりを地図に書いて渡しました。 「それでは三日後にまた会おう」  彼の大きな身振りにミゲルも安心して、旅人を送り出すことにしました。  ところが、旅人を見送った次の日、困ったことが起きました。 「あら、ミゲル。旅人さんはどこにいらっしゃるの」 「エリーさんこんばんは。もう日が暮れかかっているのに、表で何をしていたんですか」 「えぇ、実は人が来ないか待っていて……」  オレンジ色に輝く太陽は半分森の向こう側、薄暗くなりつつあっては、彼女の表情を見ることはできません。 「あの……えっとねミゲル君」 「はい」  彼女は何かミゲルに聞きたいことがあるようでしたが、なかなか切り出せないようです。しかし、ミゲルは恋文を配達する郵便屋さんをやっている経験上、ゆっくりと待つことにしました。 「あの、ミゲル君。この間いらした旅人さんはどちらにいるのかしら?」  控え目な声で尋ねる彼女の表情はとてもぎこちないものでした。 「あの人なら、昨日青の村に旅立ちましたよ」 「そんなぁ……」  エリ―は力ない声で嘆き方を肩を落とします。 「あの人とお話をしてみたかったのに……」  そう、恋をするとみんな相手のことを知りたがるのです。ミゲルのお客さんも地理的なことですぐに話せる状況にないから、手紙をやり取りで互いを知り、自分を知ってもらうための言葉をつづるのです。 「では、エリーさん。手紙を書いてみたらいかがですか?」  その提案に、とたん彼女は背筋を伸ばして手を叩きました。 「そうね。もう一度この村に来ていただけるようお願いしてみようかしら」 「幸いあの旅人さんは昨日青の村に旅立ちましたから、間に合いますよ」 「あちらの村に?」 「旅人さんは明後日到着しますから、明日の手紙でも、明後日の手紙でも十分間に合いますよ」 「いいえ!この思いを手紙に宿す時が来たのよ。今夜中にあの人へのメッセージをしたためるわ」  逆光で見づらいですが、彼女の頬は赤く、高揚しているように見えました。 「ミゲル君。明日!明日の早い時間に取りに来て!」 「え、でも。あの村にあの人が到着するのは明後日ですよ」 「手紙を早く出したいの。今すぐにあの人にお話をしてみたいとメッセージを送って、あなたに託したいの」  だって、手紙を人に託すと、気持ちが落ち着くのですから。  ミゲルに手紙を預けた瞬間、恋心は空に浮かび上がる。会いたい、知りたいという気持ちは天使のようなあなたによって運ばれるなんて、夢を見るほどにロマンティックなのだ、と口をそろえて言います。  ミゲルは恋を知りませんが、ミゲルに手紙を託す人たちは性別かかわらず、一つ気持ちの整理がついたという顔をします。みんなが損な気持ちになれるなら、自分の仕事はとても大切で、みんなの力になっていると感じることができます。  だから、苦労なんて感じたことはありません。 「わかりました。それでは、明日ご自宅に取りに行きますね」 「あぁ、良かったありがとう。きちんとお話をしたいから、もう一度この村に寄ってくれるよう頼むわね」  飛び跳ねて喜ぶサラに、ミゲルは目じりを下げました。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加