僕、お酒は苦くて飲めません

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藍ちゃんと出逢ったのは——2ヶ月前。 漆黒の空に漂う分厚い雲が、夜の街をじわじわと飲み込んでしまいそうな——そんな夜だった。 「雨が降りそうだな」 お客が誰もいなくなった店内で、ゆるゆるとタバコを(くゆ)らせているリュウさんが小さく呟いた。 リュウさんは僕がアルバイトをしているバーの店長さんだ。年齢不詳。出身地不詳。身体の全てがミステリアスな要素だけで形成されているような——そんな人だ。 かなりのヘビースモーカーで偏食家。長身ですらっとしているのはモデルみたいで格好良いけど——もう少しきちんと食事を摂った方が良いと思う。 リュウさんの食生活を変えてくれるような、素敵な彼女さんが現れれば、僕も安心なのだけれど……。 「この店、地下だから窓が無いのによく分かりますね」 僕は床の上にモップを滑らせながら素朴な疑問を口にする。 大きな通りに面した階段を下り、正面の無駄に重たいドアを開けるとこの店に辿り着く。 ちょっと薄暗くてムーディーなオトナの空間——と見せかけて、実際は大画面テレビでスポーツ観戦をしたり、常連さんが持って来たライブDVDを見ながらライブビューイングごっこをしたり、映画観賞をしたり——と、まぁ、かなり自由な店だ。 ちなみにリュウさんはここで暮らしている。家なんていらねえだろ。と言うのが、彼の主張だ。 「分かるだろ。目に見えるもの全てが真実だと思ったら大間違いだぞ。心で感じろよ。そこに真実がある」 リュウさんは細長く煙を吐くと、灰皿にタバコを押し付けた。 「ゴミ捨ててさっさと帰れ」 「え。まだ掃除終わってないですよ」 「俺がやっとくから。早くしないと雨が降る。俺は傘なんて持ってねえぞ」 「2階に上がるだけだから傘いらないですよ」 僕はこの店が入っているビルの2階に住んでいる。元々はリュウさんが暮らしていた部屋だ。家具家電付きで家賃は激安。最高な物件だ。 「そうだったな」 クスリと笑い声をあげたリュウさんが、僕の手からモップを掠め取ると、鼻歌を歌いながら掃除を始めた。モップ掛けをしているだけなのに、何か秘密めいた儀式のように見えた。
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