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壱
鼠の嫌いな音は天敵である鷲の鳴き声らしい。
では現代人の苦手とする音はなんだろう。
なんて聞かれたら十人中十人がこう答えるに違いない。
「目覚まし時計の音」。
ストレス社会の現代における数少ない癒やしのひとつ、睡眠をかの爆音をもって破壊する目覚まし。
これを天敵と言わずしてなんと言おうか?
鼠が天敵である鷲の鳴き声を嫌うように、現代人は目覚ましの音を忌むのだ。
もちろん僕においても例外ではない。
なんといっても中学のある朝、怒りのあまり目覚まし時計を水責めで拷問し、母親に絶食の刑に処されたこの僕だ。
目覚ましのことは人一倍憎んでいる。
それゆえ、大学に入ってからというもの目覚ましをかけたことなど一度も無い。
寝坊しても、おかまいなしだ。敵である目覚ましの力を借りるなどもってのほか。堂々と遅刻する。入学して一ヶ月もするとそもそも大学に行かなくなった。
そうして僕は天敵の雄叫びを毎朝聞かされることもなく、平和な日々を過ごしていた。
だが、ある日。
いつものようにぐっすり寝ていると、僕の耳元にこんなことを囁く声がした。
「いつまで寝ているんですか。大学入って早々授業をサボり倒し一年一学期の取得単位数がカートゥーンアニメの四本指でも余る男、ハポンくん」
やけに芝居がかったセリフ。カートゥーンアニメの四本指ってどういう例えだよ。
まずイヤミを言われて不快。
謎の言い回しも不快。
そもそも人の安眠を邪魔をする者は馬に蹴られて○ね。
寝起きのボンヤリした脳味噌が判断する。
こいつは、敵だっ!
ベッドから転がり出るとスマホを掴み、110番をプッシュ。
「あ、ちょっと待って」
とかのんきすぎる一言が飛んできたが、それで待つやつがいるかッ!
「そこまでだ、不審者ッ! 日本の警察は優秀、もうなにをしても無駄だぞ! おとなしく捕まりやがれッ!」
だが、電話から流れてきたのは、通信指令室の警察官の声ではなかった。
「ぷ、ぷ、ぷ、ぽーん。午後五時四十八分……」
「くそッ、焦りすぎた! 間違って117番を押してしまったとは……。もう僕もここでオシマイだ……ママァ!」
「あ、あの、落ち着いて。僕です。ルームメイトで君と同じ大学の冴木です」
ベッドの横に立つ男が言った。
銀髪、長身、紫のメガネ。すっと尖った鼻はアルプスの峻峰もかくやと冷たく整い、一文字の口元は不気味に静かだ。
冴木――僕のルームメイト。地球人有数の強面の男。
「あ、おう、お前か、冴木。なんだその紫眼鏡は。誰かわからなかったぞ。おかげで取り乱してしまった」
「はぁ……君、僕の声聞いた時点で取り乱してたでしょ。メガネのせいにしないでください」
「冴木は顔だけでなく声も極道臭いからな。仕方ないだろ。それで、なんなんだ、その悪趣味な色眼鏡は」
「いやー、ちょっとイメチェンでもしようかなって思って。ほら、僕、目つき悪いでしょ。だから鋭すぎる眼光をこのメガネでカムフラージュしようと……」
「どう考えたって逆効果だよ! 大体なんで紫を選ぶんだよ!」
なにがカムフラージュだ。紫眼鏡と銀髪の取り合わせとかチンピラにしか見えんわ。
「銀髪じゃありません。若白髪です」
「大体なんでさっきから敬語でしゃべってんだ?」
「その方が丁寧な印象になるかなって。僕の強面じゃ誤解されることも多いですし」
「誤解を助長してるよ、強面の敬語とかなんか裏ありそうでコワイ」
「うるさいですねえ、これ以上そんな口をきこうもんならハジキで永遠に黙らせて差し上げます」
「そういうとこだよ! 冗談に聞こえないんだよ、お前が言うと!」
睡眠を邪魔してきたのは不審者でもなんでもなく、ルームメイトだった。そのことにはほっとしたが、一つ疑問がある。
「冴木、お前……なぜ僕を起こした?」
「ちょっと一つ聞きたいことがありましてね……この男を知りませんか? キトウって言うんですけど」
冴木は一枚の写真を見せた。
写真に写ったその男。一言で言えば、チャラい奴だった。
髪は明るい金で、でもどこか残念なことに、なぜかマッシュルーム・カット。これ流行ったの、何十年前だと思っているんだ?
大体顔、エリンギの石突きみたいじゃないか。不健康な色白で、輪郭は縦の楕円、というか長方形。髪型も相俟ってもう完全にマッシュルームじゃないか!
こんなざまじゃ、折角のブランドっぽいイヤリングも、髪よりキンキラなチェーンのネックレスも、海外ロックバンドの洒落たパーカーも、全部やけに下品に見えるよなあ!
はは。
それにしても、これ。
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