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「いや、あの……」
至極もっともな所を突かれて、チョルホはまた慌てた。
「父が……掌楽院の提調をしていて……それで、私も幼い頃から出入りしていたものだから」
提調、とは、部署によっては都提調とも言い、組織の長を示す。
「そうでしたか。では、お育ちは都で?」
「そうだ。私も行く行くは楽士になりたいと望んでいたのだが、父が許してくれず……」
「科挙をお受けに?」
「ああ。父の希望通り成均館で学んで、今日やっと……もっとも丙科合格だったから、父も母もあまりよい顔はしなかったが」
丙科とは、科挙の最終試験である殿試の結果によって付けられる、成績の等級の一つだ。
全部で三十三名いる合格者の内、上から順に、甲科が三名、乙科が七名、残りの二十三名はすべて丙科合格ということになる。もちろん、どの受験者の親も、甲科合格、その中であわよくば首席の莊元という結果を我が子が持ち帰ることを待ち望んでいるに違いないのではあるが。
けれども、目の前の妓生には、たった今し方出会ったばかりの男の成績など、どうでもいいのかも知れない。
チョルホを慰めるでもなく、ただ淡々と「左様ですか」と言った。その上、話題が途切れて手持ち無沙汰になったとでも言わんばかりに、床を探るように指先を這わせた。
先刻、床へ置いた琴を探しているのだろうか。
チョルホは咄嗟に、彼女の手を、床へ置かれた加耶琴へと導いてやった。
「……ありがとう存じます」
まるで見える人間のように顔をこちらへ向けて会釈した彼女は、手に触れた加耶琴を慣れた仕草で引き寄せる。一度手放した為か、軽く弾くことで弦の様子を確認した。
「……あの」
思わず、チョルホは声を掛ける。
それに対して、彼女は声のしたほうへと顔を向けた。
「また、会えるだろうか」
これまた無意識な台詞に、チョルホ自身も驚いた。
彼女のほうは言うに及ばずだ。何も映さないその瞳を、真ん丸に瞠っている。
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