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行かねぇよ。そう心に決めた誓いが守られたのはたった五日。家に帰って風呂に入り、小使いをせびり、それでも出してくれなければ、勝手に財布から抜き取る。資金を手に入れて、同じようにあちこちを転々とする。気が向けば、学校の机で睡眠を取ることにするが、教師に何か対策を取られる前に再び逃走する。
家から持ってきた三〇〇〇円はすぐに底をつく。かといって、家に金がある訳でもないし。
セーラー服のポケットに手を突っ込んで歩き出す。何かが指先にあたる。ごみだ。時々忘れたごみがポケットから出て来る。よくあることだ。
つまみ出すと、縮こまった割り箸の袋だった。
電話番号に住所。店の名前。
気が付けば、小銭を調べている。気が付けば、駅へ向かっている。気が付けば、梅ケ谷駅だった。
「あら、いらっしゃい」
つややかな頬が優しく盛り上がる。頭は、相変わらずプリンだ。
「来てやったよ」
「ありがとう」
穏やかに言われると、気恥ずかしい。だけど、悪いものじゃない。
おばちゃんは嬉しそうに私を招き入れると、「残り物だけどね」と小皿に惣菜を盛り付けはじめる。腹が減っているなんて言った覚えはないが、どれだけ食いしん坊だと思われているのだろう、という疑念が深まる。しかし、それすら悪い気がしなかった。たった二度会っただけの人にどれだけ信頼しているのか、と自分でもほとほと呆れるくらいに、おばちゃんのことを信用していた。
通されたのは上り框すぐにある和室だった。店の部分に大きくスペースを取っているようで、居住空間はここだけのようだった。そこに小さなこげ茶色の丸いちゃぶ台。おばちゃんは店を放っておいて、私の前に小皿を並べ、急須を用意し、湯呑をおいた。お箸は、あの割り箸だった。
「お構いできないけど、ゆっくりと食べててね」
私の前には、家でもそんなに食べないだろうと思えるほどの惣菜と白いごはんが並べてあった。私は無言でそれと向き合った。相変わらず、不揃いでみっともない割り箸で。
私が食べている間におばちゃんは惣菜の準備でもするようで、台所に向かい、いい匂いをさせていた。私はそれに構わず、黙々と食べる。美味しかった。
「これ、気に入ってたでしょう?」
再び私の前にお皿を持ってやって来たおばちゃんの手には、まだ湯気の立つひまわり色の卵焼きがあった。
この日を境に、暇になれば店に来る、を繰り返した私。今に思えば、あんな私が、同じ店でもかなり健全な店に懐いたものだ、と自分を褒めてやりたい。おばちゃんの店は居心地がよく、ご飯にありつけるだけでなく、昼寝、お泊りも。もういっそここに住んだ方がいいかもしれない、と思うくらいによく店に現れるようになっていたのだ。
そんな私を見ても、おばちゃんは何も言わずに店番をしながら、残り物消費を私に任せていた。
「おばちゃんも一緒に食べれば?」
そんなおばちゃんに少し申し訳なく思い始めたのもあり、確実に信頼していたのもありで、私はずうずうしくものを申していた。
「あら、お誘い? じゃあ、一緒に食べようかな」
おばちゃんはいそいそと上がり框を上り、和室にもう一枚座布団を敷いた。
「なぁ、おばちゃんは、どうして私にご飯くれるの?」
向き合いながら疑問に思っていたことを、ポロリと告げると、おばちゃんはにこりと笑い、「そうね」と続けた。
「お惣菜の残り物もったいないでしょう?」
うん、前にも聞いた。それは、そうだ。もちろん、私だってずっとそう思っていたんだけど。
「でもさ、何にも言わないで、ずっと置いてくれるなんてさ、私、こんなだし」
自分の金髪を一つまみ、おばちゃんを見つめた。
「あら、私だってこんなよ」
「ま、まぁ、そうだけど」
年齢には珍しい金髪。確かに、うちの母親なんて白髪は染めているが、ちゃんと地毛色。要するに黒に染めている。
「そうだ、お礼に今度その髪きれいに染めてあげるよ」
「ありがとう」
おばちゃんは嬉しそうに、はにかんだ。きっと、プリンが恥ずかしかったのだろう。
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