その1 石切りの町にて

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ポダ・イスカの町には今日もしとしとと雨が降っている。 傘を目深に被って俯きがちに表通りを辿り、目指すのは岩の神メドクメンティの神殿だ。 ぱらぱらと訪れる他の参拝者達に混ざって神殿の石造りの階段を上ると、今朝も穏やかな笑顔で司祭が迎え入れてくれる。 朝のお祈りの時間に何とか間に合ったようだ。 祭壇に向かって膝を突いて祈りを捧げていると、メドクメンティの司祭や巫女、覡や見習い達が来て、朝のお祈りの時間が始まる。 ルイリはその巫女見習い達の中にニメアの姿を認めて、柔らかく笑みを浮かべる。 親友から預かった彼女に良く似た八つの娘は、今日も元気に過ごしているようだ。 それだけ確かめると、他の参拝者の邪魔にならないように列を抜けて、神殿の入り口に引き返し始めた。 ニメアをメドクメンティ神殿に預けてから、ルイリは毎朝朝のお祈りの時間にニメアの様子を見に行くことを日課にしていた。 ただ、お祈りの時間の最後までいると仕事に間に合わないので、いつもお祈りの始めだけに参加して、抜けてくることにしている。 今日も日課を終えたルイリは、仕事場に向かって足早に神殿を後にする。 雨でぬかるんだ道を水溜りを避けながら歩くが、町には雨にも関わらず人通りが多くて、歩き難い。 今年の春は雨が多く、石切りの仕事が滞りがちだ。 降り続く雨のお陰で地盤が緩んで、事故の懸念があって切り出しが進まないと、石切り工達がぼやいているのをルイリもよく耳にする。 仕事にならない石切り工達は給金が下がるので、副業を探す者もいるそうで、その所為で朝から人通りが多いのかもしれなかった。 ルイリの仕事場は表通りから一本中路に入った職人街の一画にある石の加工工房だ。 ルイリはそこで、小石を磨いて装飾品を作る仕事をしている。 拳大の石から小指の爪程の大きさの石までを扱っている。 磨く石は石切り場から届けられるが、雨続きの所為で、こちらにも中々新しい石が届かない。 磨く石がない訳ではないが、定期的に届けられる石から珍しいものが見つかったり、思い描く装飾品にぴったりの石が見つかったりすると、仕事に対する意欲が湧いてくるものだ。 そういう楽しみがないのは、やはり少し寂しい。 ルイリはそんなことを考えながら職場の工房に足を踏み入れる、と工房からいつもとは違う賑わいが聞こえてきた。 声のする作業場を覗くと、珍しい人物を見付けて、ルイリは目を見張った。 「あら、お早うルイリ。」 入り口で固まるルイリに気付いた職場仲間の女性に声を掛けられる。 「あ、お早うございます。」 作業場に入って行きながら、ルイリは挨拶を返す。 「おう、ルイリ久しぶりだな。」 ルイリの声に振り返ったのはベネトだ。 「お早うございます。」 少し硬い口調になって目を逸らしてしまうのは、何というか、どうしようもない。 紅石組の親方ベネトとは、今は亡き親友を巡って(わだかま)りがあって、最近一応の和解らしきことはしたのだが、それでも中々普通には接することが出来ない。 「昨日、少しだけ覗いた晴れ間に、石切り場を覗いて来たんだが、その戦利品だ。ルイリも見てみろよ。」 ベネトに促されて、ルイリは黙って頷くと、職人達が集まる作業台に近付いた。 どの職人も、雨続きの所為で素材不足に悩んでいたのだろう。 真剣な表情で石を手に取って吟味する皆に混じってルイリも石を手にする。 石を明かりにかざしてみたり、表面を少しだけ擦ってみたりしながらいくつか試していると、不意にその様子を後ろから見守る視線に気付いて振り返る。 と、ベネトが優しい目をしてルイリを見下ろしているのに出逢って、目を瞬かせる。 「どうだ? 役に立ちそうな石はあるか?」 その声は驚く程優しくて、ルイリはますます目を丸くする。 「う、うん。」 何となく、至近距離からくるその優しい声と顔に気恥ずかしい気がして、ルイリは作業台に向き直ると、また適当な石を手に取った。 が、手にした石をいくつか眺めてみたが、どうしても気が入らない。 ルイリは小さく溜息を吐くと、まだ後ろからこちらを覗き込んでいる様子のベネトを少しだけ振り返った。 「あの、どうしてうちの職場にイグメランティルが直々にクズ石なんか運んできたの?」 気になっていたことを口にしてみる。 「そろそろ、ルイリがまともに話しを聞いてくれる気になってないかと思ってな。家を訪ねても、留守ばっかりだからな、職場に手土産持って訪ねてみた訳だ。」 直球で来た答えに、ルイリの顔が引きつる。 「別に私、もうベネトさんのこと怒ってないし。話しくらい普通に聞くけど。」 そう答えてみたが、普通にかどうかは少し自信がない。 それが読まれているのか、ベネトは小さく苦笑したようだった。 「そういや小さい頃は、ミユナと一緒にしょっ中石切り場をこっそり覗きに来ては、両手一杯クズ石拾って持って行こうとして、親方に怒られて、俺が取りなしてやったりしてたな。」 懐かしそうにそう話し始めたベネトに、ルイリはちくりと胸が痛むような気がした。 「ミユナのあれは、悪戯の一種だったが、ルイリは本当に石が好きだったんだな。職人になったって聞いて、あの時ちょっとくらい持たせてやっとけば良かったって思ったよ。」 ベネトの口から普通に出る親友の名に、ルイリはまだ素直に受け取れない自分がいるのに気付いた。 「ごめん、ベネトさん。そろそろ仕事始めるから。また今度、休みの日にでも事務所訪ねるから、それで良いかな?」 目を逸らしたまま、硬い表情になっているのを自覚しながら、そう口先ばかりで答えるルイリに、ベネトが小さく息を吐いたのが聞こえた。 「分かった。邪魔して悪かった。またいつでも事務所に顔出してくれ。」 ベネトの大人な対応に、自分の子供っぽさが嫌になる。 それでも、やはり気持ちの整理が付かず、ルイリは黙って頷くことしか出来なかった。
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