その1 石切りの町にて

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「ルイリ姉。頼みがあるんだけど。」 夕食時、六つ歳下の弟タムリが改まった様子で話し掛けてきた。 8年も留守にした挙句、ニメアを連れて帰ってきたルイリを、何の不満も言わずに受け入れてくれた弟には感謝している。 それに、もう暫くすると、この家を出て行ってしまうタムリの頼みならば、出来る限り聞き入れてあげたいと思う。 「何?」 問い返すと、タムリは少し横を向いて照れたような仕草をしながら、口を開いた。 「カノワの婚礼衣装に合わせて、ルイリ姉に装飾品を作ってもらえないかなと思ってさ。」 ルイリは目を見開く。 タムリはメドクメンティ神殿の巫女カノワと、やっと神殿から許されて、夏に婚姻することになっていた。 「晴れの日に、私の作った装飾品で良いの?」 ルイリは確かに装飾品の職人として一人前と認められて仕事にしているが、婚礼に使う装飾品なら、もっと名の知れた高度な技術を持つ職人が幾らでもいる。 「うん。カノワとも相談したんだけどさ。先々を考えると、婚礼にやっぱりお金を掛け過ぎる訳にもいかないし。でも、カノワもあんまり妥協したくないだろうから、色々相談しながら作って貰えるルイリ姉に頼めないかと思ってさ。」 照れ臭そうに頭を掻きながら言うタムリに、ルイリはふっと笑みを浮かべる。 「いいわ。それじゃ、その飾りは私からの婚姻のお祝いね。カノワとどういうのにするか相談しなきゃね。」 笑顔で答えると、タムリが嬉しそうに頷き返してきた。 親友ミユナのことがあってから、幸せという言葉の意味が分からなくなり掛けていたが、半年ちょっと前に出会った旅のヴァラトヴァ司祭のお陰で、少しずつ周りに明るい出来事が増えてきたような気がする。 ただ、自分の中だけは、いつまでもベネトに恋をしながら苦しんでいたミユナの姿と、病で床から起き上がることも出来ずに、ただ幼い娘のニメアの先を案じるミユナの姿が消えない。 いつもいつも、どうしてあげることも出来なかった自分を責める気持ちだけが、胸に刺さる棘のように抜けない。 今朝久しぶりに会ったベネトのことを思い出して、更に苦味が増したような気がした。 今更、ベネトは何をルイリと話したいのだろうか。 半年前、ニメアの父親に心当たりはあるかと訊いたルイリに、ベネトはきっぱりと首を振った。 それに、少しほっとした自分と、がっかりした自分が居て、その心の内が自分でも分からなかった。 「それじゃルイリ姉、明後日カノワ休みだから夕飯がてら相談に乗ってあげて。頼むね。」 幸せ全開のタムリに念押しされて、ルイリは沈みがちな物思いから浮上すると、微笑んだ。 夏には、久しぶりに両親も帰ってきて、家族みんなでタムリの結婚を祝うことになる。 一時的にこの家も賑やかになる筈で、それに向けて家の中も少し片付けた方が良いだろう。 忙しくしていれば、余計なことを考えずに済むだろうか。 そう思って苦笑が浮かびそうになるのを、ルイリは無理矢理貼り付けた笑顔で誤魔化した。
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