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――月が、綺麗だね
いったい何度、その言葉を君に言っただろうか。
今日のような晴れた満月の夜も、雲がかかった欠けた月の夜も、月の出ない新月の夜も、僕は君に囁き続けていた。
君はいつも、興味なさそうに聞き流す。
月明かりが、夜の公園に一人佇む僕を照らし出す。隣に君のいない僕を、あざ笑うかのようだ。
明るく照らされ、一人分の影しか見えないとまざまざと見せつけられて、僕の心は茨で締め付けられるように苦しく痛い。
いや、今となっては、ここに君がいても辛いのかもしれない。
この数か月、同じ部屋で暮らしていたって、君は僕のことなどまるで関心を示さない。もう僕は、いないも同じだったのだ。
その上、君の関心がどこに向いているかも分かっている。
僕の親友だった男だろう?
こういう時、嫌と言うほど思い知らされる。僕は、君の些細な変化にも気付いていしまうのだ。君とあいつが怪しいと……あいつの名を出すときにだけ、君はほんの少し嬉しそうに顔をほころばせると。隠していたってわかってしまうぐらい、僕は君の些細な辺かも見逃すまいと、君を見つめ続けているということを。
僕が君に告白して、天にも昇る思いで舞い上がっていたころは、君も同じ思いでいてくれたのだろう。些細な変化……シャンプーの匂い、ちょっと落ち込んだ時、大食いだということを必死に隠していたこと、映画の趣味……何でも、気づいたら喜んでくれた。
私の事、そんなにわかってくれるのね と――
いったいいつからなんだろう。僕が些細な違いを指摘する度、ため息をつくようになったのは……。
きっと、鬱陶しくなったんだろう。分かる気はする。いつもいつもそんなことを言われたら、いい加減うんざりもする。
彼女が今、どこにいるかもわかっている。あいつと一緒に旅行にいっているからだ。僕が聞いたら友だちと行くなんて言っていたけど、ウソだなんてわかりきっているんだ。僕は、君の凡てを見通す事が出来るんだから……!
騙されたままでいられれば、どんなに良かったか……。
僕は、いつになればこの惨めさから解放されるのか……。自分から終わりにするか? 彼女から言い出すのを待つか……。
いや、違う。月を見ているとどうしようもないことばかり頭をめぐって仕方がない。
今、言わなければいけないことはそうじゃないはずだ。
そしてそれは、今、この時に、言わなければいけないことだ……!
僕は震える手でポケットからスマートフォンを取り出し、彼女の番号を呼び出した。今日、何度目か知れない発信だ。
出てはもらえないかもしれない。きっと今頃、あいつと一緒にいるのだから――
ため息とコール音が混ざりあう中、ふいにコール音の方が途切れた。そして、声が聞こえた。
ちょっとハスキーな、だけど電話では高めに喋る癖のある彼女の声が。
何? と彼女は問うた。
僕は、どこにいるのか、誰といるのか、問いたくなる衝動をこらえていた。その間が、彼女の不信感を招いたらしい。声が次第に険しくなっていった。
もう切るよ
彼女がそう言った。僕は飛びつくように、叫んだ。
帰ってきてくれ と。
彼女の声は聞こえない。戸惑っていると、わかる。
あいつといるんだろう? わかってる。だけど、帰ってきてくれ、僕のところに。二人の部屋に!
一気にまくしたてた。どう言おうか、プランを練ってもいたのに。あいつのことは話題に出さずに連れ戻す言い方はないか考えていたのに……全部台無しだ。
でも仕方ない。これが、僕の紛れもない本心なのだから。
どうしたの? と、彼女はためらいがちに問うた。
声にならなかった。昼間、誰もいないであろう二人の部屋に戻ってきた時から感じていた絶望が、一気に噴き出してきた。
君はきっと今頃、あいつと楽しそうに笑っているんだろう。僕はそれをわかっていながら、何もできずに月が上るまでずっと公園で一人モヤモヤした想いと戦っていた。
君らふたりは温かい旅館の部屋で笑い合っているんだろう。僕はこんな寒空の下、一人公園で佇むしかない……!
惨めだ……。もうこんな惨めな時間は、たくさんだ。
だから、僕は君に言おう。最高に惨めだけど、ここに居続けるよりははるかに惨めじゃない、言葉を……
鍵がなくて……家に入れないんだ……! 頼む、戻ってきてくれ……!!
その瞬間、ツーツーと無慈悲で機械的な音が僕の耳に届いた。
ああ、月が綺麗でも綺麗じゃなくても、今晩ほど君に会いたい夜はなかったのに……
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