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月が照らすファーストキス
「これで、恋人同士?」
ほんの一瞬だけ唇を触れ合わせた後、大きな眼をだるそうに開いて、結菜は言った。こんなもの?そう聞かれている気がした。
「知るかよ」
初めてのキスによる恥じらいを隠そうと努め、また彼女の態度に苛立ちを覚え、できるだけ強めに答えた。
結菜は何も気にする素振りはなく、そう、と低く笑った。
他人である。それも、悲しいくらいに。
陶器のような肌に、すっと通った鼻筋。肩まで伸びた濡れ羽色の髪。黄金比というものを身体全体に散りばめたようなスタイル。
学校一の美人と評される容姿を持つ結菜は、俺のような一般人とは違った感性を持っている。その違いは、まるで男女という性別や、人と猿の違いのような、どうしようもない違いだった。ただ、それがどんなものなのか、具体的には表現できない。ただ、違うのだ。だから、近づけない。唇を触れ合わせようと、精神的な距離が近づくことは全くなかった。
「どうして、こんなことを?」
「それは、キスの話?それとも、恋人がいると偽装したこと?」
「どちらもだ」
日が落ちたばかり。学校近くの河川敷。目立たないが、人が来ないわけではない。
「偽装については、最初に話したでしょう?」
結菜は俺の肩に頭を乗せてくる。
偽装。恋人として、卒業まで振る舞ってほしい。そう頼まれたのが、一ヶ月前だ。お互い二年で、今が十月。一年と少しを、彼女の恋人として振る舞うよう頼まれたのだ。
理由は、虫除け。その神秘的な容姿に寄ってくる男たちが鬱陶しいので、表向きには彼氏がいることにしようと思った。それで、相手にクラスメートの俺を選んだ。委員会が一緒という接点しかない俺を、だ。
「キスは、カモフラージュ。こういう場所でイチャついていれば、通りがかった生徒が噂を広めて、偽装の信頼性を上げてくれるから」
「そんなの、学校で手でも繋いでいればいいだろ」
そういうカップルが何組かいる。
「嫌よ。子どもみたい、あんなの。見せつけて。隠れるように逢うのを、見つけられるのがいいのよ」
「そうかよ」
腰を下ろした雑草の中に、小さな白い花が咲いていた。月の淡い光の中で、浮かぶように咲いている。
「そんなことのために、俺は初めてのキスを捧げたわけだ」
「気にするの、そんなこと?」
「別に」
結菜が声を上げて笑った。いつも、控えめな笑い方をする。感情を表現しているようで、ただ決められた動作をしているだけのように見える。
「私も、初めて。でも、なんてことないわ」
結菜が頭を俺の肩から離し、空を見上げた。その横顔を見る。呆けたような顔は、それでも端正な造りで、それが月明かりを受けているから、余計に美しかった。
側に咲いている、白い花を指先で撫でた。
同じだ。思った。
肩を抱き寄せ、強引に結菜の唇を奪う。長かった。離れたとき、結菜の息が乱れていた。眼は、変わらない。ただ、触れている、塞いでいる時間が長かっただけだ。
「安全な男だと思って選んだのに、意外と危ないのね」
「触れるだけだ」
他人のままで、違うままで。それでも惚れることができたら。
いつしか、愛せる日が来るだろうか。愛される日が来るだろうか。
月の下で、俺だけが汚かった。結菜の両腕が、俺の背中に回された。
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