月明かり、消し飛べ。

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「だーれーがーへーちゃーせーんーぱー」 「伸ばすのは『だーれーがー』まででいいんですよ、へちゃ先輩」 「そかわかた」 「いや今度はちっちゃい『つ』……ああもうっ! いちいちツッコミませんからね、俺!」  憤慨する俺をよそに、先輩はけたけた笑っている。  へちゃ先輩は、俺と同じテニスサークルに入っているふたつ上の先輩だ。  いつも明るくて、男女問わず人気がある。容姿端麗なのに、度重なる奇行でそれが霞んでしまっている残念な人だ。  ちなみになぜ『へちゃ』先輩なのかというと、くしゃみの音が『へちゃん!』だからだ。まったくもって馬鹿馬鹿しいが、この人のアホな性格をよく言い表したアダ名だと俺は思っている。  そんなへちゃ先輩に、なぜか俺は気に入られてしまっている。 たぶん俺がいちいち反応するのがいけないんだろう。反応を返してくれる人間は奇人にとって居心地がよいのだ。イソギンチャクに住むクマノミみたいなもんだ。  なんて考えていると、俺はふと、友人が悪い笑みを浮かべているのに気づく。 「……なんだよ、その怪しげな表情は」 「いやあ、なんか邪魔になっちゃいそうなんで。オレはお暇させてもらいます」 「なっ! おいちょっと待て!」  あいつ、最悪のタイミングで帰りやがった。 「いやあ~これで二人きりだねえ、シナハラくんっ!」 「神は死んだ」  「ひ、ひどいなあ。わざわざ追いかけてきてあげたのに」 「というか先輩、俺が店を出るときは寝てたはずでしょ」   俺の記憶の中の先輩は、さんざんウォッカを飲んで机にぶっ倒れていたが。 「この前テレビでやってた酔い覚ましの方法を試してみたら、さっぱりだよ!」 「……えーっと、『気分がさっぱりした』ってことですよね? ややこしい使い方しないでください。でも、確かに凄い効果ですね」 「でしょ! コップの水を反対側から飲むっていう方法なんだけどね!」 「それはしゃっくりの止め方です」  どういう体の構造してるんだ。 「でもまだちょっと残っててさ。酔い覚ましの散歩に付き合ってよ~」  確かに顔がほんのり赤い。この状態でひとりにしては、危険だろう。  だから、本当なら俺はここで頷くべきなのだろう。  でも。 「……別に、行くなら一人で行けばいいじゃないですか」  俺は敢えて冷たく突き放した。  他の先輩相手だったら、この態度は失礼に当たるかもしれない。  しかし、俺のこの反応を、へちゃ先輩は予想できているはずなのだ。  俺に向けられた視線の質が変わったのが、何よりの証拠だった。  それは、怒りでも、不愉快でもなく。  ――心配の視線。 「そっか」  へちゃ先輩は、小さな声で優しく呟く。  そして、続く言葉で容赦なく核心に触れた。 「シナハラくんは、やっぱりまだ、夜が怖いの?」
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