0人が本棚に入れています
本棚に追加
……この人は、他人に触れてほしくない部分をよくもそう易々と……。
先輩の言葉に、俺は何も言えなくなってしまった。
そして、過去の記憶がよみがえり始める。
あれは、大学に入学してすぐのことだった。
当時の俺は、希望に満ちていた。一人暮らしを始めて、慣れないながらもいろいろ試行錯誤して、それが楽しくて。自分が少しずつ大人に近づいていっているような気がして、嬉しかった。
その日の俺は、テニスサークルの新歓から帰ってきたところだった。高校のときも文化祭の打ち上げなんかがあったけど、今回のそれとは全く違う。大学生だけじゃなく、ほんとうにいろんな人がいて、自分の世界が広がった気がした。
俺はそんな余韻に浸りながら。
ただひとり。真っ暗な道を歩いていた。
マスクとサングラスで顔を隠した男が現れたのは、その時だった。
そいつは現れるなり俺を地面に引き倒し、ナイフを突きつけた。
倒れた衝撃で手の甲とアスファルトが擦れ、傷がついた。服が破れた。
そんな俺の様子に、そいつはまるで興味がなさそうに鞄の中身をその場にぶちまけ、参考書を汚い靴で踏みつけて財布を拾い上げた。
そして――大学生に何を期待していたのか知らないが――財布の中身が少なすぎるとでも言う風に舌打ちすると、今度は俺の腕時計に目を付けた。
必死の抵抗も空しく、そいつは俺の『入学祝い』を当然の権利のように奪って行き、後にはボロボロになった俺だけが残された。
時間にして、10分も経っていなかったと思う。
なのにその記憶は、1年半にも渡って俺の精神を支配し続けている。
きっと、これからも、ずっと。俺が過去を覚えている限り、永遠に。
最初のコメントを投稿しよう!