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「なんであんなこと言ったの? 私の友達関係ぐちゃぐちゃにして楽しいの!?」
葵が余計なことを言ったからだ。引っ掻き回したからだ。
桃は奥歯を噛み締めて、葵を睨み付けた。桃の顔を静かに見つめ返して、葵はにこりと微笑んだ。どうしてこんな状況で笑えるのか。苛立ち紛れに葵の手を振り払おうとしたけれど細いけれど大きな手は桃の手首をしっかりと掴んでいて振り払うことができなかった。
「桃は体育の成績、大丈夫? 出席日数が危ないなんてことはないわよね」
突然、何を言い出したかと思えば、葵はカバンを肩にかけて立ち上がった。桃の手を掴んだままスタスタと歩き出した。
「ちょっと何、言って……どこに……」
「どこって屋上よ」
葵に引っ張られて桃は教室を出た。更衣室に向かわないと間に合わない時間なのに、葵は屋上へと続く階段をどんどんと登って行く。登り切って葵がドアを開けた瞬間、桃は眩しさに目を細めた。
広い屋上はガランとしていた。ちょうど授業開始を告げるチャイムが鳴り響いた。誰もいなくて当然だ。ドアの前で立ち止まった桃の手を、葵は強引に引いた。一歩二歩とよろめいて、桃は誰もいない屋上に入ってしまった。背後でガシャンとドアの閉まる音がした。
「授業、サボるつもり?」
「たまにならいいでしょ」
まさかと思って聞いたのに、葵はあっさりと肯定した。葵は桃の手を引いたまま、屋上のすみにあるベンチへと向かった。座ると植木のかげに隠れてドアからちょっとのぞいただけでは見えない。昨日、クラスメイトの誰かが教えたのだろう。
「たまにって、そっちは転校して来て二日目でしょ」
「大丈夫よ」
何が大丈夫なのだろう。でも今更、グラウンドに行っても仕方がない。クラスメイトの前で遅れてきたことを体育教師に怒られて、グラウンドを走らされるなんていい見せ物だ。それなら放課後に呼び出されて、職員室で怒られた方がマシだ。
桃の手から力が抜けたのを感じ取ったらしい。葵はベンチの前で足を止めると、そっと桃の手を放した。
「友達なら壊したりなんてしないわ」
葵の言葉に胸がちくりと痛んだ。綾と明日香は友達じゃなかったのだろうか。桃はベンチに腰かけて空を見上げた。夏の濃い青色と違って秋の薄い青色はまわりの風景との境界があいまいだ。
桃の隣に腰かけた葵が、カバンからタッパーを取り出した。子供向けのクマの絵が描かれたタッパーだ。見覚えのある絵柄に桃は、あ、と声を上げた。
「まだ持ってたんだ」
葵が引っ越す日にオレンジピールと紅茶のシフォンケーキを入れて渡したタッパーだ。捨ててしまっていいと言ったのに。
「捨てられるわけないじゃない。私、桃のことになると執着心が強いのよ」
くすりと艶めいた笑みを浮かべて、葵はタッパーのふたを開けた。タッパーの中には細く切った柑橘類の皮に砂糖をまぶしたシンプルなオレンジピールが入っていた。皮も砂糖も数種類を組み合わせているようだ。色や長さが違っていた。
「桃に食べて欲しくて昨日の夜、作ったのよ。転校してからずっと練習してたの。食べてみて」
桃の返事を待たず、葵はオレンジピールを一本つまんで桃の口に捻じ込んだ。瞬間、
「しょっぱっ!」
桃は口を押さえて叫んだ。柑橘類の皮の微かな苦みと砂糖の甘さを予想していたのに、口に広がったのは塩のしょっぱさだった。
「なにこれ、塩と砂糖を――」
間違えてる。そう言おうと思ったのに、
「よかった。ちゃんとしょっぱいか甘いかはわかるのね」
驚いて涙目になっている桃を見つめて葵はにっこりと微笑んだ。
「馬鹿にしてる?」
「まさか。味覚がおかしくなっている可能性もあるからためしただ……け……ふふ、桃ってば涙目になってる」
口を押さえ顔を背けて今更のように笑い出す葵を見て、桃はため息をついた。そういえばときどき”あおくん”もこういうイタズラをしてきた。いつもは優しいのにふとした拍子に意地悪して、桃が驚いたり不機嫌になったりするのを見て笑うのだ。ごめんと口では言いながら、楽しそうに笑うようすに子供ながらに何かを感じていたが――。
「変わらないね、そういうところ」
「ごめん。本当にごめ……ふふ……っ」
確信した。こういうのを腹黒と言うのだ。
「でもよかった、ちゃんと味がわかって。はい、こっちは甘いから。口直しにどうぞ」
「いらな……んぐっ!」
またもや桃の返事なんて聞かずにオレンジピールを押し込んで、
「どう? おいしい?」
葵は真剣な表情で尋ねた。恐る恐る噛んでみる。微かな苦みと砂糖の甘さ、そして柑橘類の爽やかな香りが桃の口と鼻に広がった。
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