第四話

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「……おいしい」  思わず呟いて、桃はハッと顔をあげた。案の定、葵は満面の笑顔で桃を見つめていた。葵のしたことに怒っていたはずなのに、一瞬、吹き飛んでしまっていた。桃は気恥ずかしさと悔しさにそっぽを向いた。 「桃があの二人と本当に友達なら、私も壊したりなんてしない。ただ私は、桃においしいって笑って食べてほしいだけよ」 「……友達だよ、二人は」 「でも二人と食べてもおいしくなかったんでしょ?」  それは、事実だ。桃が俯くと、葵の指がオレンジピールを詰め込んできた。砂糖の甘みがふわりと広がった。 「幼稚園の頃、私は何を食べても味がしなかった。お手伝いさんがどんなものを作ってくれても、両親といっしょでも、全然、おいしくなかった。あの頃も、今も、私といるときも、いないときも。両親は仕事のことばかり考えていたから」  細いオレンジピールをゆっくりと咀嚼する。さっきよりも苦味が少なくて食べやすい。さっきとは違う種類の皮で作ったのだろう。 「でも桃が作ってくれて、いっしょに食べたオレンジピールはすごくおいしかった。ちゃんと味がした。少し苦味があって、でも砂糖の甘さが苦みを包み込んでいて。桃が私のことを大好きなんだって。私のことを想って作ってくれたんだって伝わってきたから」  桃は口の中の物をこくりと飲み込んで顔をあげた。見上げると葵はすでに次の一本をつまんで待ち構えていた。差し出されたオレンジピールを、桃は自ら口を開けて含んだ。 「一人じゃだめ。誰でもいいわけじゃない。その人と食べたときに一番おいしいって感じるのって……それってその人のことが大好きで、一番大切ってことなんだって思うの」  四本目のオレンジピール。最初に広がるのはやっぱり甘い味だ。でもさっきとは違う砂糖を使っているようだ。 「桃と食べるご飯が一番好き。一番おいしい。日本に帰って来て、また桃といっしょに食べれるのを楽しみにしていたの。だから桃がおいしいって笑ってくれないのはいや。おいしいかも、なにを食べたかもわからなくなるような相手となんていっしょにいてほしくない」  タッパーを握る手に力をこめて、葵は一気にまくしたてた。桃は葵を見上げて、そのまま薄い青空を見上げた。そういえば“あおくん”が引っ越したのもこんな空の色の日だった。 「小さい頃、葵と私っていつもいっしょにいたでしょ? 葵が転校してからグループを作ってって言われるのがすごく怖かった」 「仲間外れにされたの?」  ちょっと怒った口調で葵が尋ねた。でも桃は首を横に振った。みんな、仲良くしてくれた。きちんと仲間に入れてくれた。でも――。 「居心地が悪かった。何かが、葵と一緒にいるときとは……何かが違ってた」  ぽつりと呟いた瞬間、ぽつりと涙が落ちた。たったの一粒。慌てて手の甲で拭ったけれど、きっと葵には見られただろう。恥ずかしくて、前髪を撫でるフリをして顔を隠した。  あんな居心地の悪い思いを二度としたくなかった。だから高校で新しくできた、真っ白なところから作り上げた綾と明日香との友達関係を守りたいと思った。固執していたのだ。
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