第五話

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 桃がちらりと見上げると、葵は目を瞬かせたあと、小さく口を開けた。 「桃、一つちょうだい」  葵の短い要求には今日のお弁当のおかずの中で一番おいしいものを、という意味が含まれている。今日はミニ豆腐ハンバーグにだし巻き卵、煮物、炊き込みご飯と見事に和食だ。少し悩んで、ミニ豆腐ハンバーグを半分にして、葵の口に運んだ。  葵はうれしそうに、ゆっくりと噛みしめた後、 「うん、おいしい」  頷いて微笑んだ。  昼休みも放課後も桃と葵、綾と明日香の二人ずつで過ごすこともあれば四人で過ごすこともあった。今日のお昼は四人がいい。今日の放課後は二人がいい。誰かが言い出して、わかったと頷いてそうする。大体、言い出すのは葵か明日香なのだけど。  安定しているけど不思議な関係。でも居心地のいい関係だ。 「ねぇ、葵。あの日、明日香になんて言って説得したの? やっぱり気になるから教えて!」 「何度も教えているじゃない。私と明日香さんは同じだから理解しあえるわ。仲良くしましょうって言ったのよ」  購買で買ってきた菓子パンを食べながら葵は涼しい顔で言った。何度、聞いても葵は同じように答えるけれどなんだかはぐらかされている気がする。桃が唇を尖らせると、葵は意味深な笑みを浮かべてパンを差し出した。オレンジのコンポートが乗ったチーズクリームパンだ。美味しいけれど、ちょっとお高いのが難点だ。 「贅沢ものめ」  と、呟きながらも一口かじって、うっとりと目を閉じた。砂糖漬けにしたオレンジの甘さと、その上に掛かった粉砂糖の甘さ。チーズクリームの甘さとふわふわのパン生地の甘さ。やっぱりおいしい。 「桃は綾さんと仲良くなりすぎたのよ」  桃がパンの余韻から覚めるのを待って、葵は笑みを含んだ声で言った。 「それの何が悪いのさ」 「さぁ、何が悪かったのかしら」 「……おい」  澄ました顔で言う葵を、桃はじろりと睨み上げた。 「大丈夫よ。今度は四人だもの。桃と私、綾さんと明日香さん。四人で仲良く、いっしょにお弁当を食べられるわ。――桃、お弁当」  葵に言われて、桃は慌てて膝の上のお弁当箱を確認した。落っことしそうにでもなってたのだろうかと思ったが、そういうことではなかったらしい。 「ついてる」  桃の唇の端に葵の舌先が触れた。粉砂糖がついていたらしい。  最初されたときには驚いたけれど、もう驚かない。海外育ちだもの。あいさつ代わりにキスくらい当たり前よ。葵に満面の笑顔で言われているうちに、そんなものかなと思うようになってしまった。  葵は桃が慌てふためくのを期待してか、意地の悪い笑みを浮かべている。あいさつ代わりだと自分で言っておきながら、だ。やっぱり腹黒だな、と思いながら桃は鼻をくんと鳴らした。さっきのパンだろうか。それとも葵に染み付いた香りだろうか。オレンジの甘い香りがした。  葵が触れた唇の端を舌先で舐めると甘い味がした。さっきのパンだろうか。それとも――。 「……おいしい」  桃が呟いた瞬間、葵は意地悪な笑みを引っ込めて顔を真っ赤にした。 「どうしたの?」  桃が尋ねると、葵はぎゅっと唇を噛み締めた。そして、 「そういう無自覚なところが……酷いっていうのよ」  もう一度、桃の唇の端にキスをした。
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