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私は大学受験を失敗し、予備校に通うことになった。地元にもほとんど帰らず、バイトと勉強会に生活が染まった。這い上がらなきゃ、というプレッシャーから逃れたくても逃れられなかった。
夏休みの時期に、めーちゃんが札幌に行くから会おう、とメールをくれた。けれど、私は忙しいから、とそれを断り、そのまま秋が過ぎ、冬を迎えた。
志望校を変えて大学に進学し、司書の資格をとった。けれど簡単に職は無く、派遣の仕事にしがみついた。事務仕事に自信がついたのは社会人になって5年目。
転職活動のなかで地元の図書館に空きがあることを知り、応募してみた。 古くからいた司書さんと顔馴染みだったこともあり、驚くほどすんなりと、私は小さな図書館で働き始めた。
限られた予算で新刊を選び、紹介文を書き、返却催促の電話をかけ、研究会に遠征する。
穏やかで忙しい日々がずっとずっと続くのだろう、と思っていたある日。
「ゆきち! 久しぶり」
カウンター越しに、ひょろりと肩の細い女性が目尻に皺をつくり、立っていた。
安っぽい生地のTシャツに、デニム、アンバランスなほど大きなゴールドのイヤリング。
「めーちゃん!」
図書館じゅうに私の大声が響いた。
しぃっ、とめーちゃんは、指を口に当てる。
私は両手で口をしっかり押さえて、叫んだ。
「うそぉ! どうしたの? いつ来たの? ごめんなさい、私……手紙も出さなくて」
めーちゃんは軽く首を振ると、顔を寄せ小声で囁いた。
「私はお母さんたち経由で色々聞いてたよ。ゆきちがここにいるなんて、不思議な感じ」
と、めーちゃんは建物ごと、懐かしむように私を見た。そして、目の前でぱちんと手を叩いた。
「そうそう、それどころじゃないの、ねぇ、この本、この前見つけてね」
と肩から下げていた布バッグから、淡い水色の単行本を取り出した。
そのタイトルに、私は息をのむ。
「『月光書店』……」
「すごいでしょ」
めーちゃんは、さらにその本の奥付けを捲ってみせた。
「え、初版1995年?」
「そう。私たちがあの本屋に行く前に出版されてるの」
「不思議! 私たちって、この本のなかに出てきたりして」
「でしょう? まだ読んでないの。どう、仕事終わったらうちに来ない?」
めーちゃんは、ちらりと壁の大時計を見やる。
「行く行く! 18時に終わって片付けて、すぐに行く」
私は答え、じゃああとで、と去るめーちゃんの後ろ姿を見送った。
トク、トク、と、少し遅れて心臓が高鳴り始める。
今夜は月が黄色く見えるかもしれない。
そしてきっと、硬くてこうばしいマドレーヌを、二人並んで、かじるのだ。
<了>
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