闇の中でしか生きられない

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インターホンを鳴らしてから1分は経っただろうか。 何となしにそっとドアノブに手を掛けてみたら、扉は重たい音を立ててゆっくりと開いた。 鍵をかけ忘れていたのだろうか。しっかりしている彼にしては珍しい。 「お邪魔しまーす……」 恐る恐る室内へと足を踏み入れるけれど、中は真っ暗で何も見えない。 やっぱり彼は寝ているのだろう。 でも……ここまで来たのだし、一目彼の姿を見てから帰ろう。 胸中で勝手に入ってしまったことを謝りながら、恐る恐る足を進める。 廊下を真っ直ぐ歩いて行き扉を開ければ、そこはリビングへと繋がっている。 ガチャリと音を立ててドアノブを引けば、心地の良い夜風が頬を撫でる感覚。 ――どうやら、リビングからテラスへと続く掃き出し窓が開けられているみたいだ。 室内へと視線を巡らせれば、見えるのは風に乗ってさらさらと靡く黒髪。 少し猫背な後ろ姿は――正しく彼のものだ。 ……良かった。立てるくらいの元気はあるみたい。 安堵の息を零して彼へと声をかけようとするけれど――何だか、様子がおかしい。 力なく垂れ下がった彼の両腕。 黒いスウェットを着ているけれど、裾から覗く彼の手は、熊みたいに恐ろしく毛深く見える。 それに、後ろ姿からでも分かるくらい顔の横から覗く耳は大きく尖って見えて、まるで――――獣のよう、な。 そこまで考えて頭(かぶり)を振る。 ――私ってば何考えてるんだろ。暗闇で目がおかしくなっちゃったのかな。それとも、彼が私を驚かすために仮装でもしているのだろうか。 彼の名前を呼ぼうと口を開くけれど、声は音となることなく荒い呼吸音だけが自分の口から洩れる。汗が首筋を伝う感覚がして、気持ちが悪い。 何故か声を発することができずに固まっていれば、彼がゆっくりと振り向いた。 「……あはは、見られちゃったか」 ――――目の前に居るのは、一体だれ? 顔中に毛が生えていて、弧を描く口元から覗く歯は鈍い光を放っている。 金色の瞳は、驚くほどに鋭い。 目の前の“ヒト”が、1歩足を踏み出した。 思わず体が強張る。逃げ出したい。でも、動けない。 交わる視線から目を逸らせないでいれば――その瞳の奥が、揺らいだ気がする。 笑っているはずなのに、目の前の“ヒト”が――――泣いているような、気がして。 月明りの下、暗く淀んだその瞳から、私は目を離すことができずにいた。
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