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夜と呼ぶのははばかるようでこれ以上の夜はない。
そう思える空がある。
煌めく星は街の灯。
どこまでも深い蒼とやわらかな茜との狭間で雲は大地となり人となる。
今もまた、1人やってきた。
海の方から、男性だ。緊張の面持ちでいる。
風に押されて南へ南へーー向かっているのか逃げているのか。
彼を追うものはぐんぐんと高くそびえている。
次第に彼の目や眉や口元に憂いを帯びて、諦めも見え始める。
がんばれ。
そう思うことは簡単だった。
巨大な相手に敵わないと抱くのは、同族だからこそわかることがあるのは、いやというほど知っている。
彼が、雲とはいえ、他人だからか。
僕が彼でも諦める。
抗わないでいれば取り込まれ、取り込まれた先でも生きることはできる。
彼は背中から形を失くした。端と端とが触れると速かった。
ああ。
相手方の歓喜の声が、彼の胸からの猛りが、僕の体内を震わせる。
僕が彼を彼としたときから、彼の手の平は天に向けられていた。
今ではその差し出す形だけが彼が彼であった印となっている。
そこに幸いを見るのもまた僕のひとりずもうではある。
指輪の小箱を乗せているのか、置かれる手を待っているのか。
彼にはきっと誰かがいた。
そう思えてならないのは僕自身にあなたがいるからか。
かろうじてリュックは背負ったまま、道端にしゃがむしかなくなった体ひとつ、仰ぐ目の奥にはあなたがいる。
僕の足はまったき土の上にあり、スニーカー越しにも土地の形がわかる。
隣の青々とした草原からは虫の歌が絶えず聞こえてくる。
ここはあの町とは違う。ビルと呼べるものは影もなく、ビニールハウスが月明かりを反射している。
故郷の土になるのは悪くない。
そう思う心は今もあるというのに、遠いあなたが今も消えない。
僕の両目に映る星月夜が、僕にあなた宛ての手を向けさせる。
あなたが年上だったことは僕にとっての幸いだった。
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