月明かりの魔女

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 走っているうち、レンの目の前に大きな屋敷が姿を現した。 「出た……!」  レンは思わず木陰に姿を隠して様子を伺った。屋敷は2階建てで、もう何十年、いや何百年もそこに建っていたと思えるほどに古びていた。正面の柵門は閉じられ、周囲は塀に囲われていた。柵門の向こうには大きな玄関があり、その上にバルコニーが張り出していた。ただ、灯りがついている様子がなかった。 「見張りはいないみたいだな……」  レンは木陰から出て、思い切って柵門に近づいた。辺りに変化はない。そのとき後ろからカイがやってきた。屋敷を見て驚いているようだった。 「これが屋敷か……。本当にあったんだな」 「何だカイ、帰ったんじゃなかったのか?」 「お前ひとりだけ行かせるわけにはいかないからな」 「とか言って一人で帰るのが怖かったんだろ?」 「ち、ちげえよ」 「まあいいさ、入ろうぜ」  レンが柵門に手をかけてみると、意外にもあっさりと開いた。二人は内側へ足を踏み入れた。 「何か、すんなり入れたな」  拍子抜けしてレンは言った。魔女の屋敷といっても、特別な力で守られているわけではないらしい。続いて玄関だが、これも鍵はかかっておらず、あっさりと入ることができた。そして二人が入った瞬間、一斉に灯りがついた。 「ひ……!」  カイが怯えた声を上げたが、レンは強がった。 「誰もいないと思ってがっかりしたけど、やっぱりここは魔女の屋敷っぽいな」  古びた見た目に反して屋敷の中は至って綺麗だったが、不思議なことに玄関フロアの天井は屋敷の外見より明らかに高く、豪奢なシャンデリアが吊るされていた。と、どこかからか女のすすり泣く声が聞こえてきた。カイは益々怯え、レンにしがみついてきた。 「や、やべえよ、やっぱり帰ろうよ」  カイがそう言った瞬間、玄関の鍵ががちゃりとかかった。 「そ、そうはいかないみたいだぜ」  レンは階段を登り出した。 「お前、何でそんなに肝が座ってんだよ」  実のところ、レンも心の底では怖かった。けれどもそれ以上に、父から聞かされ憧れた冒険をしているのだという実感、喜びの方が強かった。件の屋敷は本当にあった。おそらく、この泣き声の主が魔女だろう。何で泣いているのか分からないが、村に仇なすというのなら自分が倒してやる。レンはそう考えていた。  階段を登り、踊り場を右に曲がるとドアがいくつも付いた長い廊下があった。そのうちの一つが少しだけ開いており、泣き声はそこから漏れているようだった。レンはドアノブに手をかけた。思わず足が竦み、生唾を飲み込んだが、腹を決めた。懐の短剣を抜き、ドアを開けた。 「やい、魔女!俺たちの村に何をしようってんだ!」  が、部屋には明かりこそ灯されていいたものの、誰もいなかった。泣き声もいつの間にか聞こえなくなっていた。カイが壁を指さして呟いた。 「なあ、なんだこれ……」  壁に絵画が飾られていた。レンは剣を下して絵画に歩み寄った。それは肖像画だった。銀色の髪の美女が柔和な笑みを浮かべ、幼な子を抱いて椅子に座っていた。身にまとうドレスは紫だった。優しそうな男性が椅子に手を沿えて立っていた。おどろおどろしい魔女の屋敷から想像もつかない、幸せな家族3人の姿だった。 「誰だろう、この人たち……」  レンが肖像画に指を伸ばしたそのとき、背後から女の声が聞こえた。 「誰かしら……?」  レンとカイがすぐさま振り返って身構えると、ベランダから女が入ってきた。それは肖像画の中の女性と同じ、銀色の髪をした美しい女性だった。ただ一つ違うのは、その表情が憂いを帯びていたことだ。頬にはうっすらと涙の跡が見えた。 「お、お前が魔女か?」 レンは短剣を突き出すが、『魔女』は臆せず二人に近づいた。 「魔女?そう、私は魔女と呼ばれているの……」 「ひいい、ごめんなさいごめんなさい」  カイはレンの背中にしがみつき、泣きながら謝っていた。レンは後ずさりしたくなる気持ちを必死でこらえた。カイを巻き込んだのは自分だ。カイだけでも逃がさなくてはならない。 と、『魔女』は、あと一歩でドレスが短剣に触れるというところで止まった。 「あなた、アドルの幼い頃に似ているわ」 「アドル……?」 「私の息子よ」 「それ、もしかして」  レンは肖像画を見やった。『魔女』が遠い目をして答えた。 「そうよ。私の、最愛の家族……」 「魔女の家族……?」  カイが言った。 「夫とアドルがいなくなってから、4700回、月が満ちたわ。私はずっとここで月を見てきた」 「4700回⁉」  カイが驚いている。無理もない。月は1か月に12~13回満ちる。ということは、4700回となれば一体どれだけの年月が経過したのだろうか。そしてそれだけの年月を過ごしてきたということは……。 「あんた、何者だ?」  レンは尋ねた。 「何百年も前に、私たち家族はここに住んでいて、良く満月を眺めていた。息子は、アドルは家名を上げるんだと行って戦争へ行って、死んでしまった。夫も流行り病に倒れた。残された私は自分で命を絶った。けれど私の心は今もここに留まっているの」 「じゃあ、幽霊ってことか……?」  カイが茫然としながら言った。『魔女』は悲しげな表情を浮かべていた。レンは思わずハッとした。自分がついこの間見た母の表情と全く同じだったからだ。 「私は止めようとした。でもアドルは、私に縛られるのはもうたくさんだと言って、耳を貸してくれなかった。私はアドルを立派な貴族として育てようとしたけれど、アドルの気持ちを理解していなかったね。彼の意志をもっと尊重していたら、結果は違っていたかもしれない……」  『魔女』は、絵画の中の男の子の頬を愛おしそうに撫でた。 「私は、良い母親ではなかった…」  レンは首を横に振った。 「そんなことない、と思う」 「え?」  『魔女』が驚いてレンを見つめた。レンは、樹から落ちた時に母が浮かべた表情の意味が、冒険に出たいというレンを止めようとするレミーの気持ちがわかるような気がした。 「その、うまく言えないけど、あなたは子供のことを精一杯に考えてたんだと思う」 「どうしてそう思うの?」 「俺のお母さんも、あなたと同じ顔をしてたから」  『魔女』が目を見開いた。その目から涙があふれた。 「そう、あなたのお母さんも……」  『魔女』は振り返るとベランダへ向かった。窓から覗く夜空に、満月が燦然と輝いていた。 「ありがとう、小さな勇者さん」  そう言うと『魔女』の姿は、霞にように消えてしまった。レンとカイは驚くばかりだったが、やがて意識を失った。 ****************************************  気が付くと、レンとカイは湖畔で横になっていた。辺りは明るくなり始めていた。朝が来たようだ。二人が忍び込んだはずの屋敷はどこにあっただろうか。今となっては思い出せない。けれどレンは、一つだけ覚えていることがあった。レンは立ち上がり、カイに呼びかけた。 「……帰ろう」  森に『魔女』はいなかったが、見つけたその気持ちを忘れずに持ち帰りたいと、レンは思った。
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