1.灰まみれ

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1.灰まみれ

 星の美しい夜だった。川面に映る星を見てリオンは笑みを浮かべる。袖を捲って手を入れ、水を掬うと自分の手の中で星が揺れた。このまま家まで持って帰り、暖炉の上にでも飾ることができればいいのにな。そう思いながら、しばらく手を見つめる。  木々の間を抜けて夜風がリオンの髪を揺らした。長い髪の間で耳飾りに埋め込まれた石が紫色に光る。リオンの格好はおせじにも綺麗とは言いがたいものであり、その耳飾りだけが異様に高貴な雰囲気を纏っていた。  掬った星々を川に返してリオンは立ち上がる。そして顔を上げた。川向うまで広がる森の更に向こうには街がある。周辺の国からも多くの商人が訪れ、交易で栄えるこの国自慢の城下町である。小高い丘の上に建っている王宮には煌々と明かりが灯っており、リオンのいる場所からもその光の粒々が見えた。今宵も王宮では舞踏会や音楽会といったパーティーが開かれているのだろう。もしかしたら音楽の一つや二つ聞こえてはこないだろうかと耳を澄ませてみるが、リオンに聞こえるのは水の流れる音と木々が風に揺れる音だけだった。  自然が奏でる音色に浸っていると、徐々に人間の足音が近付いてきた。草木を掻き分けてがさがさとやってくる足音は急いでいるようにも怒っているようにも聞こえる。はっとしてリオンは振り返る。 「リオン、リオン! どこにいるの」  若い女の声だ。苛立ちが声に現れている。 「リオン!」  身震いしたリオンの前に現れたのは服のあちこちに葉をくっつけた女だった。川べりに立つリオンを見付けて彼女は目を吊り上げる。 「薪拾いに行くって家を出てからどれだけ経ったと思っているの。さっさと戻って来なさいよね。あんたには台所の掃除って仕事も残っているんだからね」 「っ、ごめん、なさい……。お義姉様(ねえさま)……」 「お姉様もお母様もかんかんよ。もう、仕方のない子なんだから」  さ、帰りましょ。と言いかけた次姉はリオンの手元と足元を見て、どこにも薪がないことに気が付く。ほんの少しの優しさを滲ませていた顔は豹変し、更に目が吊り上がった。 「たくさん拾って大変なのかと思って心配して来てあげたっていうのに、あんた何もできてないんじゃないの! 怠け者を迎えに来るなんてアタシが馬鹿みたいだわ。帰る。ちゃんと拾ってから戻って来なさい」 「すみません……」  次姉はキッとリオンを睨みつけると、肩を怒らせながら草の向こうへ行ってしまった。  リオンは辺りを見回す。手ごろな枝などを拾い集め、家の方へ歩き出そうとしたところで一旦立ち止まり踵を返す。王宮に灯る明かりが見えていた。パーティーの様子を思い浮かべるリオンの目が王宮の明かりに負けないくらい輝く。そして、薪を抱えている手に無意識に力が入る。  煌びやかな世界に行ってみたい。いや、戻りたかった。  リオンの父は中流貴族だった。それなりに大きな屋敷で幼少期を過ごした。社交パーティーもしばしば開かれており、リオンは貴婦人達が纏うドレスに何度も目を奪われた。しかし、十年前を境にヴェルレーヌ家は輝きを失っていく。  優しく穏やかな母が病に倒れたのだ。散歩に出れば小鳥が安心して寄ってくるほどの優しさとまで言われた母は、病床にあってもにこにこ笑ってリオンを心配させまいとしていた。「白い鳥を昔助けて、それ以来鳥さんと仲良しなのよ。困った時に助けてくれるって言ってたわ」と面白おかしい話をしてくれたのをリオンはよく覚えている。  一家は療養のため自然に囲まれた別邸に移り住み、長年尽くしてくれていた使用人達には本邸を売った金を分け与えて長い長い休暇を与えた。生活は質素になり、父も豪奢な社交界から身を引いた。三人だけの静かな日々を過ごしていた時が一番平和だったと父は語る。母はそれから五年後に亡くなった。よく頑張ったと医者は言っていた。しばらくして現れたのが父の後妻、今のリオンの継母である。妻を失い傷心の父の元に娘二人を連れてやって来た彼女は、父に優しい言葉をかけ、リオンにも慈しむような目を向けた。しかし、信頼関係をしっかりと築きあげた頃、継母は本性を現したのだった。  落ちぶれたように見えていても、庶民と比べるとまだ金はあった。継母はそれを目当てに父に近付いたのだ。気の強い彼女に押され、父は次第に元気をなくしていく。そして、まさに好機と言わんばかりに継母と娘達はヴェルレーヌ家を乗っ取った。頼りない父だ、とは思わなかった。ずっと傍にいたからこそ、リオンには父の辛さや悔しさが分かっていた。近頃は心労が祟ったのかベッドで横になっていることが多い。  また、継母と義姉(あね)達はリオンにきつく当たった。本邸での暮らしを僅かに語っていた服を奪い、家事を押し付け、自分達は街に出かけたり綺麗な服を着たりした。父は三人の行いを注意し、リオンに昔から変わらない愛情を向けるが今の父に三人を止めることはできない。すまない、すまないと憔悴しきった顔で謝る父にリオンは心を痛めた。  もしも、あの煌びやかな世界に戻ることができたなら。せめて、街へ行く時間を取れたなら。あの子ともまた会うことができるだろうか。屋敷に忍び込んで来た子と、よく遊んだ。母の部屋からこっそり持ち出した耳飾りの片方をあげてしまうほどに仲良しで、今思えばあれは初恋というものだったのかもしれない。リオンの左耳で紫色の石が光る。  薪を抱え直してリオンは別邸――現在の家へ歩き出した。  そんな後ろ姿を木陰で見つめる影が一つ……。
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