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2.父と子と
花の香りに満ちた日だった。門前の掃除を終え、郵便受けを確認したリオンは封筒を見付けた。封蝋に押された印には見覚えがあった。久しぶりに見るそれは王家の紋章であり、即ちそれは王宮から届いたものであった。宛先は父だ。箒を壁に立て掛け、家に入ると持っていた封筒が手から消えた。目を丸くするリオンの前で長姉がにやりと笑う。そして、封筒を手に彼女は継母と次姉の元へ駆けて行った。
「あの、それはお父様に……」
リオンの声は届かない。紋章を見て三人は歓声を上げる。父に見せるつもりの全くない母子は封を開け、中身を確認する。
「あらあらあら! まあ! 舞踏会へのお誘いだわ!」
「まあ、すごいですわお母様」
「この家に来た甲斐がありましたねお母様」
「ええ、ええ、ようやくこの時が来たわ」
継母と義姉達はひらひらとドレスを揺らしながら小躍りしている。社交界を離れて久しい父の元へ舞踏会の招待状が届いた。曰く、たまには昔を思い出してもいいのではないか。少しは落ち着いただろうか、顔を見せてほしい。交流のあった貴族達から父への言葉が添えられている。
三人の後ろから覗き込むようにしてリオンも招待状を見る。しかし、今の父は楽しく踊ることなどできる状態ではない。リズムを取りながら、そのままへなへなと倒れてしまうだろう。
「貴女達、いいわね。この舞踏会で王子と接触するのよ。私を未来の国王のおばあさんにしてちょうだい」
我侭で欲しがり屋の継母はこの国さえも手にしてしまいたいのだ。リオンの父に近付いた金以外の理由はそれだった。いつか、この弱った貴族が力を取り戻したら。いつか、このくたびれた貴族に声がかかったら。その時にはこの落ちぶれ貴族を踏み台にして王宮へ向かうのだ。
母親の言葉に頷きながら、娘達は頬を紅潮させた。
「私が選ばれても恨まないでよね」
「こっちの台詞よ、お姉様」
王子や王女の出席する舞踏会。多くの客人が招かれるだろう。かつて見た景色を再び見ることができるかもしれない。リオンの胸も高鳴った。
「お義母様、一緒に……」
「リオンは留守番よ。家の掃除、洗濯物干し、畑の手入れ……。やることがあるでしょう?」
「そんな。でも、それはお父様に来ているものです。父の名代に行くべきは実の子である私が行くべきでは」
「さあ、貴女達! 舞踏会に来ていくドレスを手に入れなきゃ! 行くわよ!」
「はい、お母様」
「はい、お母様」
弾む足取りで出て行った三人を見送り、リオンは溜息を吐いた。テーブルに残されていた招待状を手に、父の寝室へ向かう。
父はいつもと同じように横になっていた。かつて淑女達を釘付けにしたという美貌は遥か彼方へと飛んで行ってしまったかのように、頬はこけ、目は落ちくぼんでいる。部屋に入って来たリオンを見て体を起こしかけたが、首を振るリオンを見て再び横になる。
「父上。舞踏会の招待状が届いています」
「私は行けない。こんな姿見せられない」
「お義母様とお義姉様達は行く気まんまんです。新しいドレスを買うと言って出かけて行きました」
喜び勇んで歩く姿を思い浮かべ、父は少し困った顔をする。
「オマエは行かないのかい、リオン」
「私は……。私は、家のことをしていろと言われました」
花壇や畑の手入れで土に汚れたリオンの服にはほつれている部分もあった。箪笥の中で出番を待っている別の服も、台所仕事で着いた汚れが残っている。他の服も皆同じようなものだった。新しい服は全然買ってもらえない。
いつから着ていたのだろう。こき使われるようになったのはいつだったっけ。背が伸び、若干短くなってきている袖や裾を見つめるリオンの目が潤む。しかし、泣いてなどいられない。父を心配させて、余計具合を悪くされてはたまらないと、リオンは必死にこらえていた。
「オマエには苦労をかけるな……。すまない、本当にすまない、リオン。不甲斐ない父で、すまない」
「父上……。そんな……。いいえ、父上は私の自慢です。立派な方です」
「はは、ありがとう……。そう言ってもらえると少し元気が出るような気がする。気がするだけだが」
笑い声を上げる父の顔は笑っていなかった。使用人達と楽しく話していたあの頃が逆に夢だったのではないだろうかと思ってしまえるほど、父は弱り切っていた。医者曰く、体は問題ないのだと言う。心がすり減ってしまっているのだと。
「私は大丈夫です。着ていく服も、ないし……。父上を家に一人にはできないから」
「ごめんな、リオン……」
そう呟いて、父は眠ってしまった。継母達が直接父に噛みつくようになっては困るのだ。自分が盾にならなければ。リオンは拳を握り、表情を引き締めた。だが、その手は小さく震えていた。
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