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第十三話 田舎の城と幸せな景色
アーレ王国の城の庭は広い。あちこちに花が咲いている。草も花も長く、伸びきっている。その草を、のんびりと馬が食べる。チョウがひらひらと飛ぶ。遠くでは、庭師のおじいさんがあくびをしながら、植木の枝をかりとっていた。
のどかな夏の光景だ。一年の中でもっとも美しい季節を、緑の多いアーレ王国の庭で過ごせて、私は幸せだった。
(庭というより、牧場と言った方が正しいかな。城の近くにある村々の馬や牛も、ときには人間の子どもたちも遊びに来るし)
アーレ王国の城は解放的で、城の中にいる人々は大らかだ。今、私の足もとでは、一頭の子牛が座り昼寝をしている。姿は見えないが、子どもたちがはしゃぐ声も聞こえる。追いかけっこをしているのだろう。
私はいすに座り、ゆったりと薬草茶を飲みながら庭を眺めた。丸テーブルの向こうでは、ラウリンの妹であるパトリッチア王女が、テーブルに頬づえをついている。
「こんな田舎な景色のどこが楽しいの? 本当にミラは変わっている」
彼女はあきれている。私がこの城にやってきてから、一か月ほどがたっていた。
「そうかしら? 私の目には、すごく素敵に見える」
アーレ王国の城は手狭で、城というより別荘のように感じられた。メイドたち使用人も少ない。けれど私には好ましかった。ラウリンの家族はみんな仲がよくて、ラウリンと結婚した私のことも大切にしてくれる。
パトリッチアも私を慕ってくれる。彼女は、私の異母妹リーナと同じ年の十六才だ。だが私との関係は正反対だった。
父から冷たく扱われ、母はいない。リーナからはバカにされる。父の妾であるカーリーンも、私には心痛だった。唯一の味方は、兄のフェアナンドのみ。そんな私にとって、アーレ王国王家は居心地がよい。
「シュプレー王国のお城は、もっと素敵なんだろうな」
パトリッチアがため息をつく。
「うちの城の庭なんか、下を見て歩かないと牛のフンを踏むし。ミラは大国の王女様だったのに、なんでこんな何もない国にやってきたの?」
彼女はふしぎそうだ。
「しかもシュプレー王国の騎士のかっこうをして、この城までやってきたし。似合っていて、かっこよかったけど、男装までする価値はラウリンにないよ」
私は騎士のまねごとをして、アーレ王国王都まで旅した。道中の村や街では、やたらと歓迎された。今でも城に来る子どもたちから、騎士になってくれと頼まれる。さらに村の若い女性たちからは、真剣な顔で質問される。
「シュプレー王国のフェアナンド王子は、男装したミラ様に似ているのですか?」
「えぇ、そっくりよ」
私の返答に、女性たちは大喜びした。そしてフェアナンドも大人気になってしまった。実際に兄は、すばらしい人と思うが。
「ラウリンのとりえは、外見だけだもん」
パトリッチアは陽気に笑う。ラウリンと親しいからこその悪口だ。私は苦笑した。まだ幼いパトリッチアに真実を教えてあげる。
「ラウリンは誠実な人よ。人を見る目があるし、優しいし、純粋だし、一途だし、素直で純情だし、情熱的な一面も隠し持っているし、――そんな人から愛されたら」
彼と結婚したいと思うのは当然だ、世界中の人がラウリンに夢中になる、と言おうとしたが、パトリッチアが顔をしかめている。
「のろけ話は聞きあきた。ミラはラウリンに甘い!」
私は笑った。その自覚はあるが、改める気はない。
「牛にも甘い」
パトリッチアが、私の足もとで寝ている子牛を見る。牛は人なつこい。なでればなでた分だけ、こちらになついてくる。なつかれるとかわいいので、もっとなでてしまう。
私のそばには常に、牛が一頭か二頭ほどいるようになった。あごの下をなでると、気持ちよさそうにするし、体にくっついている虫を払うと、牛は喜ぶ。
「ミラ」
ラウリンが笑顔で、私とパトリッチアの方へ歩いてきた。故郷に帰ってきて、彼の氷の美貌はなくなった。見目麗しいままだが、人を寄せ付けない感じは消えた。日だまりのような笑みを浮かべている。
ラウリンの後ろにはいつも、大型犬のビケットがついている。優しく賢い、セント・バーナードだ。しかし今は、ラウリンは子牛も一頭引きつれている。子牛はラウリンの右手にある草花を食べながら、ついて歩いているのだ。あの草は何だろう。
「きれいな花を見つけたから、君のために取ってきた。毎年、この時期に咲く花なんだ」
ラウリンはほおを赤く染めて、うれしそうにしゃべった。私は少し考えてから、彼の右手を見る。きれいな花と思われるものは、子牛に食べられている。牛の舌は結構、長い。ラウリンは気づいていない。
「たいしたものではないが、受け取ってほしい」
彼は右手に目をやって、うわぁとさけんだ。花が落ちる。そして牛に食べられる。ラウリンはおろおろと花を見て、私に泣きそうな目を向けた。
「あなたの気持ちは受け取った。だから落ちこまないで」
私は優しくほほ笑みかける。
「ラウリン、しっかりしてよ。かっこ悪い」
パトリッチアがラウリンをしかりつける。幸せな光景だった。私は初めてラウリンとふたりで食事をしたときから、この景色を夢見ていた。だから、城からいなくなったラウリンを追いかけた。いきなり転がりこんできた幸運を、逃したくなかったのだ。
――私の愛する妹、ミラへ。
すでにラウリンから聞いているだろうが、私は少数の騎士たちだけを連れて、アーレ王国王都へ行く。この手紙を書き終えたら、城から出るつもりだ。ひさしぶりに君にもラウリンにも会える。とても楽しみだ。
同じタイミングで、ラウリンの姉も夫ともに帰省する。私はアーレ王国で、ラウリンの義兄であり、カペー王国の世つぎの王子であるシャルルと会うだろう。
ラウリンいわく、シャルルはいつもにこにこ笑っている、愛想のいい男だそうだ。その一方で、国を守るために冷酷な顔も見せる。そのくせ妻には甘いらしい。彼に会うのが楽しみだ。
ラウリンは、テルミニ王国からも誰か親せきを、――つまり王家の人間を呼びたかったそうだ。しかしそれは都合がつかなかったらしい。ラウリンは、気が合うだろう、仲よくなれるだろうなんて理由で、あちこちから人を呼び寄せている。
だが彼のやろうとしていることは、アーレ王国、シュプレー王国、カペー王国、テルミニ王国による非公式の四か国会議だ。テルミニ王国だけは予定が合わず、三か国になったが。それでも、すごいことだ。ラウリンは小心者のくせに、大物だ。
それでは、私はそろそろ出発しよう。この手紙の方が、さきに君のもとへ届くだろう。無自覚にすごいことをやる君の夫と、その家族によろしく。
――フェアナンドより
アーレ王国の城に来てから、三か月ほどがたっただろう。肌寒くなってきた秋のある日に、兄から手紙が届いた。手紙を読んで、私はうれしくてたまらなかった。
フェアナンドがアーレ王国へやってくる。道中では、アーレ王国の女性たちから騒がれて、とまどうだろうけれど。
ただラウリンは、兄がアーレ王国に来ることを私に内緒にしていた。なぜラウリンが黙っていたのか気になる。庭で騎士のリアムと剣のけいこをしているラウリンをつかまえて、私は問いただした。
「それは……」
ラウリンは気まずそうに目をそらした。犬のビケットが心配そうに、彼を見上げる。ビケットは、世話焼きの母親のようだ。リアムが、けいこ用の剣を肩にかついで気楽に笑う。
「あなたがフェアナンド王子と会って故郷へ帰りたくなると、ラウリンは心配しているのです」
図星だったのだろう、ラウリンは言葉に詰まった。私は彼にあきれる。
「あなたは心配のしすぎ」
私の足もとには、子牛が二頭いる。シュプレー王国へ帰ったら、子牛をなでられない。こんなにも私になついているのに。私はなつかれたら、弱いのだ。なんでもお世話したくなる。
「私があなたから離れるわけがないのに」
しょんぼりしているラウリンのほおを、私はなでる。彼はほっとしたらしく、笑顔を見せた。彼の不要な心配は、私を愛しすぎているから。そう分かっているので、ひたすらに彼が愛しい。そして私がラウリンを怒らないから、
「ミラ殿下はラウリンに甘いです。ついでに牛にも」
リアムは笑う。アーレ王国王家における定番のせりふだ。私も笑った。ビケットがわんと鳴き、ラウリンは情けなさそうに笑う。
ある日、突然に求婚して、私の心を奪った人。不器用だけど、一生懸命に愛してくれる人。彼に愛されて、私は幸せになる。ロイン川の流れがたえないように、この幸福は永遠に続くのだ。
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