第九話 傷ついた王子と追いかける王女

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第九話 傷ついた王子と追いかける王女

 ネッカーは大きな街だ。すでに日は落ちかかり、あたりはうす暗い。けれど街を歩く人は多い。ビールを片手に酔っぱらって騒いでいる男たちの集団もいる。騎士のマイノが護衛のために、私にぴったりと寄り添った。  兄のフェアナンドは先頭に立って歩き、ラウリンたちが宿泊している宿を探す。背後から急に、私は誰かに腕をつかまれた。 「わっ」  驚いて、悲鳴を上げる。マイノがすばやく、私の腕を取った手を振り払う。騎士のワルトが、腰の剣を抜こうとする。だが、私の腕を捉えた男は、――紫水晶の瞳、銀の髪をしたラウリンだった。  突然の再会に、私は言葉を失う。私から探すつもりだったのに、ラウリンの方から来た。彼はぼう然と私を見ている。とっさに私の腕をつかんだのだろう。 「こんな薄暗い人ごみの中、よく気づいたな」  私の背後から、フェアナンドがラウリンに話しかける。兄は感心しているようだった。 「フェアナンド、ミラ王女。なぜここに?」  ラウリンは混乱している。彼の背後には、アーレ王国から来た三人の男たちがいる。彼らはラウリンと同じ年ごろで、いぶかしげに私とフェアナンドを見ていた。 「君を追いかけてきたんだ。ここでは人目がある。宿に入って、話そう」  フェアナンドは小声で言う。衆目があるので、大きな声は出せない。ラウリンは私を見て、泣きだしそうな顔になった。 「嫌わないでください。いえ、俺は軽蔑されて当然です。もう二度と会いません。でも、あなただけを愛しています。それだけは信じてください」  ラウリンは私と別れるつもりだ。私は、彼の揺れる紫の瞳をしっかりと見つめた。 「昨日、告げたように、私はあなたを嫌いません。私はあなたと、国境のロイン川を越えるために来ました」  ラウリンは悲しげにうつむく。 「俺はあなたを裏切りました。あなたのそばにいる資格がありません」  裏切ったというせりふに、私の心は傷つく。私はぎゅっとこぶしを握りしめた。けれど今、私よりもラウリンの方が傷ついている。 「ちょっと待て、ラウリン。男の子相手に何を言っている?」  ラウリンの肩を、アーレ王国人のうちのひとりがつかむ。彼はラウリンと親しげで、この事態に困惑していた。 「リアム。この方は、シュプレー王国のミラ王女だ」  ラウリンは小声で告げる。ところがリアムと呼ばれた騎士は、顔をしかめた。 「ついに頭がおかしくなったか。その子は赤毛だが、少年だ。後ろに兄貴っぽい男がいるだろう? だから君が一年間、片思いをこじらせて、入浴をこっそりのぞいたり、結婚する妄想をしたりした王女様ではない」  リアムの言葉は、ひどくなまっていた。しかし、ちゃんと聞きとれた。入浴をのぞいたのくだりで、ラウリンは真っ青になる。私は、かぁっと顔が赤くなる。それからラウリンを責めた。 「入浴をのぞいたって、いつですか?」  彼がそんなすけべなことをしたとは、知らなかった。私は彼を異性として警戒していなかった。容易にのぞけたのかもしれない。  私は、味方になってくれと、背後にいるフェアナンドの腕を取った。巻きこまれた兄はこまって、私とラウリンを見る。ラウリンは半泣きで、首を振った。 「のぞいていないです。この扉を開けたら見れそうとか、あの木に登ったらのぞけそうとか考えただけで、実行していないです」 「そんなことを考えていたなんて最低です」  私はフェアナンドの腕を抱いたままで、ラウリンに怒る。私たちのケンカに、リアムは困っている。フェアナンドはため息をついた。 「宿に入ろう。さきほどから悪目立ちしている」  私は冷静になって、周囲を見る。街を歩く人たちから、ちらちらと視線を送られていた。 「私たちはお忍びで、ここにいる」  フェアナンドは私とラウリンに向かって言った。ラウリンは気弱そうな目をして迷う。 「分かりました」  だがリアムが答える。そしてラウリンの腕を強引に引いて、宿の方向と思われる方へ歩く。私とフェアナンドたちはついていった。  宿の部屋に着くと、リアムはこれまた強引にラウリンをベッドに座らせた。ラウリンは肩を落として、しょんぼりしている。リアムは私たちに、向かいのベッドに腰かけるように促す。部屋はせまい。ベッドがふたつある程度だ。  ソファー代わりに、私とフェアナンドはベッドに腰かけた。マイノとワルトは、ベッドのそばに立つ。リアムはラウリンの隣に腰かけて、残りのアーレ王国の男たちは部屋から出ていった。隣の部屋で待つらしい。  リアムは腕組みをして、私、フェアナンド、マイノ、ワルトを観察していった。特に私をじろじろと見る。私は、男装している王女という奇妙な存在だ。 「俺は、第三王子ラウリンの騎士リアムです。ただラウリンは幼なじみで、弟みたいな感じです」  リアムは自己紹介した。彼の隣で、ラウリンが大人しくうつむいている。彼らの力関係がなんとなく分かった。リアムは、弟を守る兄の顔をしている。彼は腕組みを解いて、表情をやわらげた。 「そちらは、ラウリンの友人であるフェアナンド王子と、その妹で、ラウリンの片思いの相手であるミラ王女で合っていますか?」  リアムはていねいに問いかける。 「後半は合っていないです。私はラウリン王子と結婚するために、兄に協力してもらい、ラウリン王子を追いかけてきました」  私は言う。ラウリンの顔は上がらない。けれど彼の耳が、私の言葉を聞いているのは感じとれた。 「お忍びで、男装してですか?」  リアムは目を丸くする。 「はい」  私は苦笑した。普通の状態ではないことは理解している。リアムは心配そうにたずねる。 「失礼ですが、あなたとラウリンの結婚はシュプレー王国国王に反対されているのですか?」  通常、王族同士の結婚ならば、もっとハデにやる。城で宴が開かれたり、国中に婚姻が告知されたりする。そして大勢のともを引きつれて、アーレ王国へおもむく。それらがないのは、この結婚が国王から歓迎されていないからだ。 「父には歓迎されていません。ただ反対されてはいません。父は結婚を承知しています。ですが、持参金などはありません。私は身ひとつで嫁ぎます」  ラウリンから逃げられている状態で、これを告げるのは勇気が要った。けれど黙っているわけにはいかない。私は男にしか見えない女で、金のない姫だ。  アーレ王国にとって不利益なことを言ったが、なぜかリアムは、ぴゅうっと口笛を吹いた。予想外の反応に、私はまゆをひそめる。リアムは、いい女とつぶやいた。 「リアム、下品だ」  ラウリンが顔を上げて、リアムに怒る。リアムは笑った。 「君の母上、――グレータ王妃殿下にそっくりだ。騎士姿もりりしい。最高じゃないか」  リアムは瞳を輝かせて、私を見る。えらく歓迎されていて、私は逆にとまどった。 「グレータ王女は、ほとんど交流のなかったアーレ王国に嫁いだ。その後、両国のかけ橋となった。ただ駆け落ち同然の結婚だった、とうわさを聞いたことがあります。そのうわさは真実だったのですか?」  フェアナンドが社交的な笑みを浮かべて、口を挟んできた。うわさを知らなかった私は驚く。うわさが真実ならば、ラウリンの父母は情熱的な恋をしたのだ。 「真実です。男装して、少数のともの者たちと、二国の間にあるけわしい山脈を越えました。命がけの旅だったと聞きました」  リアムがうれしそうに私を見る。ただの偶然だが、今の私の状況と似ている。 「しかしラウリンとミラ王女の場合、国境にあるのは、ゆるやかな流れのロイン川ですから楽ですね」  リアムの言葉に、私は妙に拍子抜けした。 「そうですね。船に乗るだけですから」  よほどのことが起きないかぎり、命をかける必要はない。なんて楽な旅路だろう。リアムの笑顔に、私もつられて笑った。彼と話していると、問題など何もないように思える。 「ロイン川は穏やかな美しい川です。魚つりも楽しめます」 「それは楽しみです」  リアムとフェアナンドは、気楽に笑い合う。どんなきれいな川だろう、と私も楽しみになった。 「待ってくれ。さっきから論点がずれている」  ラウリンが困惑して口をはさむ。彼だけは雰囲気に流されていなかった。 「わざとずらしているんだ。ラウリン。遠慮せずに、ミラと結婚すればいい」  フェアナンドがえらそうに命令する。 「何の問題がある? ミラ王女はわが国の国民から、第二のグレータ王妃として歓迎される。この騎士姿のままがいい。周囲は大喜びだ」  リアムが口を添える。嫌いだった男みたいな顔が、リアムにはほめられる。グレータ王妃のおかげで、アーレ王国の国民からも歓迎されるようだ。 「でも……」  ラウリンはまゆを下げて困っている。私はフェアナンドとリアムに向かって言った。 「私とラウリン王子のふたりだけにしてくれませんか? ふたりで話したいのです」  ここからさきは、私とラウリンの心の問題だ。ふたりで話さなくてはならない。
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