賢治君のチョイスと私のライフ

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 無事旅館に戻り、助手席のドアを開けて足元の玉砂利にジーンズの足を下ろした。  その瞬間、目の前にスーツの足が二本立っていることに気づき、顔を上げた。  亮介だった。困惑した表情で貴子を見下ろしている。 「どういうことなんだ。」 亮介は貴子と賢治君の顔を交互に見ながら、腕を組んだ。 「説明してくれないかな。」  どう言いつくろったらいいだろうか。この格好で商談と言う訳にはいかないし、偶然旧知の友人に会ったと言おうか・・・。 「あの・・・」 賢治君があの人懐こい微笑みを亮介に向けた。 「僕、日比谷花壇の店員なんです。」 「は?」  賢治君が車のダッシュボードの中から名刺の入った箱を取り出し、その一枚を亮介に渡した。 「安倍様のお部屋のフラワーアレンジを担当させて頂いております。」 亮介が賢治君の顔を名刺を何度も見比べている。 「実は家業が花農家で、こちらの宿にもお納め頂いているんですが、今日、配達の際、偶然お姿をお見受けして、お声を掛けさせて頂きました。ひとり旅とお伺いして、せっかくなので、知多半島のポピー畑と薔薇園にご案内させて頂きました。」 亮介が、ああ、と小さく叫んだ。 「じゃあ、あの部屋のアレンジメントは君が?」 「亮介、彼はセンスが抜群だから全てお任せしているの。」  貴子も慌ててフォローした。 「恐縮です。」 賢治君が頭を掻いて頷いた。 「見て。」 貴子は携帯をアンロックして、ポピー畑の写真を亮介に見せた。 「そうだったんですか。それはお世話になりました。いや、急に花なんか飾るからびっくりしたんですが、確かに部屋が華やかになりましたね。」 そう言って、貴子の肩を抱いた。 「お友達からお部屋に女を感じないから花を飾るように勧められたと仰ってましたよ。」 「香織よ。」 貴子は亮介の耳元に手を押えて囁いた。亮介が笑った。 「そういうことを言うのは香織ちゃんで間違い無いな。全く君らは仲がいいね。それで貴子、宿に話して僕の分の夕食も用意してもらうことにしたから、今夜はふたりでゆっくりしよう。と言っても明日の朝は君が寝ている間に一足先に東京に帰らせてもらうけど。専務とのゴルフに間に合わせたいんでね。」 亮介はそう言って、貴子の頭にキスをした。貴子はちょっと驚いた。亮介は人前でこんなことをするタイプでは無いのだ。 「あの、僕は仕事があるので、失礼します。」 賢治君が言って、亮介と貴子に会釈をし、踵を返した。  「正直言ってちょっと妬けたな。」 亮介が冷酒を口に含みながら言った。食事の前に部屋の露天風呂で軽く汗を流し、浴衣で差し向かいに座っている。 「宿の主人から貴子が誰かと出掛けたと聞いたが、まさかあんな美形の青年と一緒だなんて思わなかったからな。一瞬、頭に血が登った。」 「亮介でも妬くことがあると知って、ちょっと光栄かも。」 「そりゃ、一応恋人だからな。」 一応、って何よ。口に出さずに言った。 「急に来たりするから、驚いた。」 「驚かせようと思ってたんだから、まあ、それに関しては成功だな。」 「鹿沼くんって言うんだけどね。」 「えっ?」 「日比谷花壇の彼。すっごい才能あると思う。いつも私の好みストライクゾーンの花をアレンジしてくれる。家に帰って花が待ってるって悪くないなあって思わせてくれた。若いのに、将来のヴィジョンがちゃんとあって、三十までに自分の店を持つんですって。一攫千金じゃなくて時間をかけてこつこつと。そういう誠実なところが信用できるのよ。」 「それは良かった。」  お椀の蓋を開けて海老真薯に箸を入れながら亮介が言った。良かったと言いながら、あまり興味は無さそうだ。賢治君の言う通り、数十億の融資を日常的に扱う亮介に、小さな花屋の話など聞く価値も無いのかもしれない。  食事が終わると、もう一度、今度はゆっくり温泉に浸かろうと亮介に誘われた。白い月を眺めながら、湯船の中で亮介が貴子を自分の膝に乗せ、後ろから抱き寄せた。そして貴子の顔を自分に向けて、 「布団敷いてもらうまで、待てないかもしれない。」 耳元で囁き、唇を激しく吸った。
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