賢治君のチョイスと私のライフ

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 あれから数日、さすがに賢治君に自分から電話をかけることはためらわれた。彼の方も電話をかけて来ない。恋人がいると告げたのだから、若い彼から見れば据え膳食わぬは、という成り行きだったのだろう。ほっとしたような物足りないような、貴子の感情は相変わらずこんがらがったままだ。  亮介から週末は接待ゴルフで会えないと言われ、正直ほっとした。あの夜からすぐでは心の準備が整わなかったからだ。けれど翌日の月曜日、その接待相手の紹介で最近ミシュランの星を取ったという寿司屋、広尾の真の予約が奇跡的に取れたという連絡があった。そして会って亮介の顔を見るとやっぱり嬉しい自分がいる。  清潔な白木のカウンター、突き出しの白子も、アワビの磯焼きも絶品だ。 「銀行も最近は生き残りかけて必死なんだよ。日本型金融排除って言って融資の稟議が益々厳しくなっているから。」  亮介が糊の効いたブルーのクレリックシャツの腕を伸ばし、冷酒を注ぐ。袖口からカフリングが除く。ふたりは肩がくっつく距離で乾杯をした。 「でも、銀行って昔から晴れの日にしか傘を貸さないって常識で、今に始まったことじゃないでしょ。」 「それを言うなら、生保だって長生きすればするほど損するって常識だろう。」 亮介が鮃のにぎりの上にほんの少しワサビを乗せ、指でつまみ、身の端にだけちょこっと醤油をつけて口に入れる。シャリに醤油は一切つかない。私は彼のこういう食べ方が大好きだ。 「だから、最近長生きするほど得する終身保険って売り出してるんだけど。」 「それだって実際は積立貯金の方が得って言うのも、中学生程度の数学で誰でもわかることなんだよな。それでも高齢化社会でマジョリティーになった年寄りたちには魅力的なキャッチフレーズ。生保は上手く騙してるよなあ。」 「人聞き悪いわね、時代にあったマーケティングよ。でもなんだってからくりはあるのよね。知的財産を担保に融資するヘッジファンド、実際にはパテント等、商品が絶対売れるって確信がなければ貸さない。資本の無いベンチャーに投資って言いながら、ギャンブルはしないのよね。やってることは銀行と一緒。」 「だからヘッジファンドってぼろ儲けなんだよな。唯一消費者が選ぶクラウド・ファンディングはアイデアをダイレクトに換金できる。今のところは規模は塵みたいなものだけどね。ヘッジファンドはアタリそうな優良物件だと踏んだら俺ら銀行よりハイスピードで、急降下でさらってく。まさにハゲタカだよ。」 「生保もそういう意味では銀行と同じ。客のお金運営して回しておいて、身体が弱かったり病歴のある人々に審査は通さないもの。実際はそういう人が最も保険を必要しているのにね。でも生保は国民保健じゃないから、損失を出すような選択は出来ない、申し訳ないけど。」 「銀行も生保も株式会社だからな。投資家と顧客と行員と社員を守る義務がある。リスクを排他して社会的にバッシングを受けることくらい損益計算済み。今の時代、油断すれば外資に美味しいとこ、持ってかるだろ?さっき言ったクラウドだって、海外の桁違いの富裕層が目をつけ始め、規模がすごいスピードで拡大してる。銀行としてもヘッジファンドと手を組まざるを得ない。スカイマーク買収がそのいい例だ。グローバル化した分、食うか食われるかなんだよ。」  寿司と冷酒を堪能し、亮介から「部屋に行っていい?」と聞かれると思ったら、「明日は早朝から会議なんだ。」と額にキスをして、貴子をタクシーに乗せた。拍子抜けだった。どちらにしても毎回会うたびにセックスするわけでは無いし。無くってきた、と言った方がいいかもしれないけれど。賢治君とのことは事故みたいなもので、今夜はなんとなく、亮介に抱かれて身体を洗い直したいような気分だったのだ。もちろん短期間でふたりの男に抱かれることに抵抗が無いわけではない。でも今夜亮介に会って、やっぱり好きなのは亮介なのだと思う。食事の好みも会話も全てがしっくり来る。傍から見て自分たちは釣り合いのとれたお似合いのカップルなのだ。
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