賢治君のチョイスと私のライフ

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 根元氏の計らいで自治体との契約はスムーズに運び、根元氏、現地の担当者と八勝館で会食をし、ハイヤーで根元氏と一緒に名古屋駅に向かい、この後名古屋の知り合いを尋ねると断わって、「次回は東京で朝食をご一緒に」と握手をして別れた。そして、いったんゲートタワーホテルで荷物を受け取り、知多半島へ向かう列車に乗った。  結局、亮介からごめん、行けない、という電話が掛かって来た。 「本当に貴子と行きたかったんだけど、融資部の直属の上司だけだと思ってたら、なんと専務が参加するって言うんだ。社内人脈は大切だから、せいぜい顔を売っておくよ。この埋め合わせは絶対するから。」  それなら仕方無い。亮介にはとことん出世して欲しいのだから。一人旅になったけれど、この機会にエステと美食三昧、貴子は久しぶりにひとりで羽を伸ばそうと決めた。  旅館についた時には十時を回っていたので、部屋の露天風呂にゆっくり浸かり、マッサージを頼み、身体を揉み解してもらいながら眠りについた。   翌日は起きてすぐ露天風呂に浸かり、部屋出しの朝食を済ませてから、もう一度温泉に入り、予約していたエステで全身を磨いた。それから庭園を散策して、部屋に戻ってもまだお昼をちょっと回ったばかりだ。  もう一度温泉に入り、鏡に素肌を移してみる。肌が温泉の水分を含んで瑞々しく輝き、名古屋で発見した小皺が消えている。嬉しい!とことんリラックスしている証拠だ。ふと賢治君の言葉が蘇る。  自分でも気がつかないうちに溜っていったストレス。  それなら、たまにこういう旅も悪く無いなと思う。亮介がいないのは寂しいけれど、その分、一人旅は全く気を遣わずに済むのだから。そう思った途端に、部屋の電話が鳴った。噂をすれば影、そう思いながら受話器を取った。フロントからで、貴子を訪ねて来た人がロビーで待っていると告げられた。  ひょっとしてサプライズ?  鏡の前で浴衣の襟と帯を確認して、やや内股でいそいそとロビーに向かった。  待っていたのは賢治君だった。昨日のスーツ姿では無く、いつものジーンズとTシャツ姿で。 「何してるの?」 思わず、大きな声を出した。 「安倍さんに会いに来た。」 「どうして私がここにいるってわかったの?」 「だってブランド好きな安倍さんが名古屋近辺で温泉旅行って言ったら、絶対知多半島の海のしょうげつだって検討つけられるよ。ある意味、すっげえわかりやすい人だから。」 貴子は言葉を失った。 「彼氏は?」 賢治君が後ろを確認するように言った。 「週末、大切な接待があるのよ。どちらにしろ、今回はひとりで羽を伸ばすつもりだし。」  言い訳にならないように明るく告げた。昨日の彼女は?と聞きたくてしょうがないのに聞けない。貴子はは自分でも嫌になるくらい意地っ張りらしい。 「ところで、安倍さんの素顔って初めて見た。化粧が取れ掛かってるのは見たことあるけど。」 賢治君が真っ直ぐ見つめるので、貴子は両手で自分の頬を押えた。そして、賢治君が突然、言った。 「ねえ、これから夕飯までの間、予定ある?無いよね、一人旅だって今言ったし。」 「良いお宿で温泉三昧、奮発したんだから、ゆっくりしたいんだけど。」 「ちょっと付き合って欲しいところがあるんだ。」 ダメ?  賢治君が上から貴子の顔を覗き込んだ。断るべきだ。それくらいわかっている。  「仕方無いわね。」  拒否する代わりに口から出た言葉だ。この美しい顔を見ると拒絶できなくなる。あの夜からずっと混乱したままなのかもしれない。  「支度して来るからロビーで待ってて。」 そう言って部屋に戻ろうとすると、 「化粧しなくていいから。」 背中に賢治君の声が届いた。
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