賢治君のチョイスと私のライフ

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 賢治君はそのまま薔薇の畑に続く道を走らせ、路地に車を乗り入れて、停めた。そして運転席を降り、助手席にまわり、ドアを開ける。 「どうぞ。ここが俺んち。」  いかにも農家風というのでは無い、ごく普通のモルタルの家だ。都会と違うのは家がかなり大きいことだ。貴子が育った家に似ている、それが第一印象だった。 「降りて。」 貴子は自分の鼻を指さした。私? 「遠慮しないで。」 別に遠慮しているわけではない。なんで賢治君の実家を訪れる羽目になったのだ。賢人君はとことん貴子を混乱させる。 家の中には誰もいなかった。比較的広いキッチンの隣りの和室の畳の上に不釣り合いな黒い革のソファーが置いてあり、賢治君に言われて、そこに座った。 「今、薔薇の出荷で家族総出で畑に出てるから。」 「賢治君は手伝わないの?」 「せっかく安倍さんに来てもらったんだもの。今朝は五時から手伝ってたし、明日も終日。」 賢治君はそう言って、台所に行き、柔らかく湯気をたてるピンクのお茶を持って戻って来た。 「うちで取れた薔薇のお茶。好みではちみつ入れて。」 そう言って、ソファーの下の畳の上にお盆ごと置いた。貴子は有難う、と言ってお茶を啜った。薔薇のアロマが湯気と一緒に顔を優しく撫でる。 「香りが良くて美味しい。」 「自家製、百パーセントオーガニックだから。」 そう言って笑った。それから貴子の隣に座り、 「俺はここで育った。」 「うちも農家だったの。」 貴子が言うと、 「マジ?」 と飛び上がった。 「ウチね、父親の実家がけっこうな地主だったらしいんだけどね。らしいっていうのは祖父も父も遊び人で、働かないで土地を切り売りして暮らしていたんだって。私が小学校くらいの時、母がこのままじゃ土地を全部無くして食べていけなくなるって危惧して、人を十人くらい雇って、残った土地を耕して、メロン農家を始めたの。今でこそ茨城のメロン栽培は全国一だけど、流行り出す先駆けみたいなことをしたのが母だった。商才があったのかもしれない。農業は軌道に乗って、家計は潰れずに済んだ。」 「君の頭の良さと生真面目さは母親譲りなんだな。」 「その通り。」 「自分で言うか。」 賢治君が貴子の頭を小突いた。 「父譲りで無いことは確かだから。そんなわけで、私は両親に宿題やったとか、勉強しろとか、声を掛けられた思い出が無い。食事もご飯以外は冷蔵庫にあるものを見様見真似で作ってたし。子供ってお腹が空くとクリエイティブになるものなのよ。でね、勉強しろって言われないと逆に、自分でしなきゃってなるものらしい。だから一生懸命勉強した。前にも言った通り、先生が褒めてくれる、同級生に尊敬の眼差しでみられる、それが嬉しくてね。実家はそうやって、比較的余裕のある暮らしは出来たけど、母はいつも忙しくて、子供の教育も化粧もファッションもそっちのけで、メロンの品質管理や従業員の世話に追われてた、多分今もね。そして私は自分に誓った。もっともっと勉強していつかこの家を出たら、バリバリ働いてもお化粧やお洒落もちゃんとして、父親みたいな遊び人じゃなくてちゃんと稼いでくれる人と結婚して、子供に美味しいものを食べさせてたくさん褒めてあげて、人が羨むような家庭を築くんだって。」 「安倍さんの人格は、他人から褒められることが軸になって形成されて行ったんだなあ。」 賢治君が言った。 「そうやってひとつひとつ手に入れて来たから。」 結婚以外は。心の中でそう呟きながらティーカップを両手で包んだ。 「やだ、私、なんでこんな話してるんだろう。」 「どうしてだろうね。」 「多分、あなたの家が実家に似てる感じだから、だと思う。」 「また分析。」 賢治君が微笑んで、貴子の肩を自分に引き寄せた。貴子は目を閉じた。賢治君といるとなぜかいつも身体を預けたくなる。賢治君が肩を優しく抱いた。  その途端に、玄関で物音がした。貴子は慌てて身体を起こし、姿勢を正した。足音がしてジーンズ姿の若い女性が部屋に入って来た。 貴子は思わず、あっ、と叫んだ。  レストランで見た女性だったからだ。貴子は賢治君と彼女を見比べ、その場で硬直した。 「お客さん?」 その女性が賢治君に尋ねた。 「僕が片思いしてる人。」 賢治君が言った。 「へえ。お兄ちゃんでも片思いするんだ。」 お兄ちゃん? 「紹介するよ。俺の妹。」 「えっ?」 「似てるだろ。」 言われてみれば、目とか輪郭とか似ている。いや、そういうことじゃない。 「どうして、昼間、そう言ってくれなかったの?」 隣にいる賢治君に小声で問い詰めた。 「言わない方が面白いから。」 そう言ってウインクしたので、貴子は賢治君の脇腹にパンチをいれた。 「痛えっ」 賢治君が大袈裟に脇腹を押えた。 「なんか、私お邪魔?」 妹が口を挟んだ。 「いえ、そんなんじゃないんです。どうぞ。」 貴子は自分の家でも無いのに、賢治君の妹をソファーに促した。 「オフクロは?」 「まだ、畑。私はレポートがあるってエクスキューズで帰って来た。本当は無いけど。」 そう言って、舌を出した。全く兄妹揃って。 「お母さんが、お兄ちゃんにちょっと畑に来て欲しいって言ってたよ。なんか見たことの無い害虫がみつかって相談したいって言ってた。スーパーバグかもしれないって。でも・・・」 そう言って、貴子の顔を見た。貴子は慌てて立ち上がった。 「あ、私なら大丈夫。タクシー呼んで頂ければ、宿に帰れるし。」 賢治君が妹と貴子を順番に見た。 「安倍さん、そんなに時間かからないから、多分三十分くらい、ここで待ってて、送っていくから。」 「じゃあ、私がお相手する。」 と賢治君の妹が昼間、賢治君の腕に絡めたように貴子の腕を掴んだ。 「余計心配だ。初美、余計なこと言うなよ。」 賢治君が人差し指を初美ちゃんに向け、玄関に向かった。貴子は窓から、賢治君の健康的な肩と足が、走って遠ざかって消えて行くまで眺めていた。
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